第3話 未来について無造作に
清春は何のためらいもなく、ぱくりと佐江が焼いた伊達巻を口に入れた。黄金色の卵が、ほろりと口の中で崩れていく。
「うまいよ、で、来年は何を作るって?」
佐江はあきれた顔で清春を見た。
「おせちです。あたしの話、ちゃんと聞いていますか」
「聞いている。そうか、おせちは作るものだな」
「最近は、買う方が増えていますけれどね」
そのまま二人は、清春の作った酒を飲み、佐江の母が作ったおせちを食べた。
食べ終わった清春がぽつりと言う。
「来年はおせちを作る、か。たいしたものだ。きみは、未来について無造作に話せるんだな」
佐江は手早くテーブルを片づけながら、明るい声で笑った。
「キヨさん、結婚するってこういう事なんですよ。ご存じありませんでした?」
「なにが?」
清春が尋ねると、佐江は笑ったまま答えた。
「夫婦というのは、何の計算もなく未来のことを話していい相手でしょう? あたし、結婚してよかったわ」
佐江の言葉を聞いて清春は、
「そうか」
とだけ、言った。ほかに言える言葉はなかった。
なにか弾力性のあるものが清春の喉元まであふれあがり、声帯をふさいでいる気がする。
「——そうか」
と、2度目に清春がつぶやいたとき、佐江は時計を見てあわてて立ち上がった。
「たいへん、もうこんな時間だわ」
時計は23時50分。年が明けるまで、あと10分。
★★★
佐江はいそいでテレビのリモコンを手にとると、電源を入れた。清春には何がなんだか、わからない。
「どうした」
「“ゆく年くる年”です。なんだかこれを見ないと、一年が終わった気がしないの」
そういうと佐江はチャンネルを合わせた。
夜の中、深い雪に包まれた寺がテレビ画面に浮かび上がった。白い雪に巻き取られたような寺に人々が吸い込まれている。
鐘の音が鳴り響く。
佐江はまだ飲み終わっていないカクテルのブルドッグをダイニングテーブルから取り、テレビの前のソファに戻って来た。
そして清春の隣に座り、いっしょにテレビを見はじめた。
「今年が、おわりますね」
「ああ」
「どんな年でした?」
いたずらっぽく、佐江が尋ねた。
清春はテレビを眺めたまま答えた。
「女房が、きた。そういう年だったよ」
嘘だ。本当はこう言いたい。
『17年も恋こがれた女を、ついに女房にしたよ』
清春の口はそこまで言わない。だが清春の口が言わない言葉を、佐江の耳はあやまたずに聞き取っている。
清春の美しい妻が、にこりと笑う。
「あたしも。夫が出来ました。そういう年でした」
清春は渋い顔をして、自分の鋭い顔のラインを撫でた。
「おれが手に入れた女房と、きみが手に入れた亭主。貸借対照表のバランスが悪い気がするが」
「あたしでは、役不足でした?」
佐江が笑ってそう言う。清春は、妻のつんととがった鼻をつまんだ。
「おれみたいな男じゃ、きみが大損って意味だ。まあ、ここまできたら、もう手を引こうって言っても遅いが」
「いまさら離婚には応じませんよ。あなたにだって、何度も考え直すチャンスはあったんですから」
「おれは考え直したことはないよ、一度も。この17年間ずっと」
清春が思わずそういうと、佐江はにこりとした。
「やっと言わせたわ。手間のかかる人ね。あら、新年になりますよ」
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