年上の彼女が僕に言う「何でもない半日を」
玉椿 沢
第1話「今日の話」
それなりに平穏で、それなりに不穏っていうのが、僕自身のベースになっていると思っている。
そのベースになる事柄の8割くらいは、五つ年上の彼女が担当してくれている気がする。
「多分、最終に乗るんだと思う。明日は大丈夫っぽい」
その五つ年上の彼女――
「OKOK」
電話の向こうで孝代さんがいう。
「今朝はゴメンね。大丈夫だった?」
「大丈夫。ギリギリ間に合ったから」
終電まで部活をしているというのは、聞く人が聞けば学校を叩く口実になるかも知れないけれど、僕は「それはそれ」と思ってる。
僕が所属しているのは、文化系運動部、またはその逆、運動系文化部と呼ばれる事もある演劇部で、運動部は夏の総体で引退だけど、文化部は秋の文化祭で引退だ。
その文化祭が近いんだから、この時間まで練習というのも「今だけだから」と頭につくけど仕方がないと思える。
「いやぁ、本当にごめん」
孝代さんはまだ謝っているけれど、多分、もう何日かすれば笑いのネタになっている。
というのも、孝代さんは自分でいう。
――記憶なんていい加減なものだから、事実がどうだったか怪しい記憶は、面白そうな方を信じてるの。
そんな言葉を聞いたのは、僕が大学へ進学した先輩からメンバーが足りないからと呼び出された合コンだった。
孝代さんも、後輩からメンバーが足りないからと呼ばれたといっていたから、実はメンバーが足りないというより賑やかしが欲しかったのかも知れない。
様々な話題が色々と飛び飛びに出てくる話し方も、他の人は辟易する事があるというのも聞いているけれど、僕には合っていた。大好きなF1ドライバーも同じだったけど、孝代さんの記憶が違っていても気にならなかった。
――いや、デビュー戦でポールポジションは取ったけど、ポール・トゥ・ウィンはしてないよ。
F1でデビュー戦がポール・トゥ・ウィンだったドライバーはいないけれど、いないからこそ手が届きそうになったドライバーだからこそ孝代さんは「した」って記憶してたんだろう。
――あれ? そうだったっけ? ゴメン。
この辺りが、「事実かどうか怪しい記憶は、面白そうな方を信じる」って事なんだろう。
それなりに平穏で、それなりに不穏な孝代さんとの毎日が始まったのは、この日だった。
「あ、電車が来た。切るよ」
「うん、また」
孝代さんの返事を聞いた後、僕は電源を切った。マナーモードにして通話しなければいいというけれど、何故か居心地の悪さを感じる僕は電源を切る事にしてる。
車内に入ってガラガラの座席に座ると、不思議と欠伸が出た。
アナウンスは子守歌に、動き出す振動はゆりかごになったんだ。
***
今朝の夢を見た。
「気付いてしまったのだよ、ワトソンくん」
孝代さんは、いつも通り芝居かがった口調で切り出してくる。五つ年上の彼女は、時々、こんな風に子供かと思うような事を始める。
「はぁ、何があったの?」
今日の練習は午後からという事もあって、終電近くまで練習するんだろうなと予想している僕は、あと1時間くらい寝ていたかったんだけれど。
「バーグおばさんの店ってご存じ?」
ご存じも何も、部活の後に寄ってる店だ。アメリカンステーキとハンバーグの店で、アメリカナイズされた量を手頃な値段で出してくれる。
「よく行く」
部活の帰り、夕食まで待てない胃袋を宥め賺すためだ。
「そこなんだよ、ワトソンくん」
孝代さんは車のキーを片手に持って見せた。車のくせに二人乗り、トランクもないという孝代さん愛用のスポーツカーのキーだ。
しかし時刻は、まだ開店前。
「今から? まだ開店前だし、11時から昼ご飯?」
朝を抜いているから丁度いいかもしれないが、孝代さんに昼間からステーキというイメージはない。そう食べる方でもないからだ。
「まぁ、まぁ」
孝代さんはプラプラと手を振りながら、僕に立てという。
僕に対してワトソンワトソンと連呼する彼女は、ホームズが麻薬中毒だったように、常に何かに飢えている。
開店直後という事で当然、店内は無人。今日、初めての客が僕と孝代さんだ。
「あー、僕は今日はラムステーキが――」
メニューを見るまでもなく注文をしようとした僕の声は、突き出された孝代さんの手で
「先に、アイスクリーム二つ。今日は、バニラとストロベリー? 一つずつ」
随分、慌てて注文する孝代さんに首を傾げさせられるが、注文を取りに来た店主――まだバイトも来ていないような時間だった――も、孝代さんの雰囲気に押されたみたいに慌てて厨房に戻っていった。
「アイス?」
ちょっと早い昼食じゃないのかと訊ねる僕に、孝代さんは両手を顔の横に掲げるという芝居がかった動作と共に首を横に振った。
「後、あと」
「アイス食べてからステーキって……」
逆が普通だろうと思うけれど、孝代さんは「いいから」と一言で押し切った。
その理由は、アイスが来るまでに時間が少しかかった事で考える事だけはできたけれど、答えは出てこなかった。孝代さんの態度から、そのネタばらしを我慢しているのが見て取れるのに、こう言う時は我慢強い。
「ネタばらし、してくれない?」
なら僕が孝代さんの流儀に合わせようか。
「いいかな? ホームズ。この世のあらゆるものに、タイミングというものがあると思うんだ。それを外すと想定している効果を得られなくなると思うんだけど、どうか?」
僕は今日の孝代さんに合わせて見た。ワトソンが本当にこんな台詞を言うのかどうかは知らないけれど。
こうすれば孝代さんも乗ってくれる
「そう、タイミング。そのタイミングが全てを握っている。だから今、ここでアイスを持ってきてくれないと――」
ただ、今度は孝代さんの言葉が遮られた。
アイスが来たんだ。
ステーキ屋には定番デザートのアイスクリームだけれど、カフェやパティスリーじゃないんだから、種類がそう多い訳じゃない。日替わりか週替わりか知らないけれど、バーグおばさんの店では大抵、二種類だけ。当然、メインじゃない。
それを態々、これだけを食べにくる客は珍しいはずだ。少なくとも、ここでアイスを先に食べるなんて事は、僕は初めてだ。
「これ、これ」
カットグラスに乗せられたアイスにスプーンを入れる孝代さん。
食べてから話す気なんだろうと考えながら、僕もそれに倣う。そんなアイスを口に運ぶと、出てくるのは単純で簡単な一言しか出てこなかった。
「あ、おいしい」
グルメ番組なら落第だけれど、僕はコメンテーターでも何でもない。何を指して美味しいと感じたのかは分からないけれど、美味しいと思わず出てくる。バニラアイスを久しぶりに食べたから感じたというようなものでもなく、ただ美味しい。味が濃く感じて、口の中で蕩けて消える。二口、三口と食べていく手が、なかなか止まらない。
「ちょっと、味見させて。味見」
そんなところへ、孝代さんがスプーンを伸ばしてくる。同時に自分のストロベリーも僕の方へ押しやるんだから、拒否する理由はない。
「アメリカってステーキも本場だけど、アイスも本場なんでしょ? アメリカンステーキっていうから、案外、アイスも仕入れてるんじゃなくて作ってるのかなぁって思ってたの」
そう言う孝代さんには「なるほどな」としか僕は返事ができなかった。
「なんだろうな? アイスなんて、どれも同じと思ってた。多少の差はあっても、どこで食べても大差ないって」
「それはね、ワトソンくん。簡単な事なのだよ」
孝代さんは、それこそが急いだ理由だと言う。
「出来立てなの」
出来立て――それだけだ。
「……それだけで?」
「アイスクリームって、本当はソフトクリームと同じように柔らかいのよ。同じように冷やしながらかき混ぜる機械で作るから。その出来立てが一番、美味しいんだけど、普通はそう言うタイミングでは食べられないでしょ」
「うん?」
「普通は容器に入れて冷蔵庫にしまっておく。そうすると凍るの。凍ると、わかるでしょ? 口当たりが硬くなってしまうの」
本当にそれだけなんだと言う孝代さんは、この時間に作っている事に気付いたから、今日、こんな時間に来て、いきなりアイスを頼んだのか。
「口当たりも美味さの内、か。アイスなんて最初から凍ってるものだと思ってた」
そう言った僕に、孝代さんはフフンと笑いかけてくる。
「タイミングだよ、ワトソンくん。君が言っていたタイミングだ」
それなりに平穏で、それなりに不穏で、いい事も悪い事もイーブンになっている僕の毎日を、8割くらい担当してくれる孝代さんは、ニコニコと楽しそうに笑っていた。
「グルメじゃないけど、君と一緒に食べると美味しい」
孝代さんの一言と、現実の声がその時、重なった。
「終点、河口湖~」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます