第25話 ちーちゃんと呼ばれて

 ……運動会はつつがなく終了した。

 ショウは予定通り、リレーだけに参加して帰った。

 競技が終わると再び男女共用トイレで千鶴と待ち合わせ、着がえ、化粧を落として、家族と帰っていった。

 千鶴の両親も、運動会の片付けや帰りの会などの邪魔にならないようにと一緒に帰っていった。

 だから千鶴の帰り道は一人だった。

 今日は運動会しか予定がないのだから運動着だけでよさそうなものを、なぜか通学カバンも背負わされていた。帰り道の小学生はみんなそうだ。

 そこに少しの理不尽さを感じつつ、千鶴は家路を歩いていた。カバンの中身はソーラン節の一式のみ。

 先をゆくのは、見覚えのある丸い大きな背中だった。……いや以前お世話になった背中、という方が正しいだろう。斉藤ミアである。

 千鶴は少し歩みを速めて、彼女に追いついた。

「おつかれさん」

「おつかれー」

 ミアは物持ちがよく、いまだにランドセルである。

「保健室、ごめんねー」

 ミアは今年も保健委員だった。おそらく今日だけで10人はひざに消毒液をぬっている。

「んー?」

 千鶴はなんのことかわからないようなふりをした。

 だが、ミアはその反応に不思議そうに小首をかしげる。

「あれ? 臼井くんの着替え手伝ったの、ちーちゃんじゃないの?」

 これに千鶴は思わず立ち止まって、目を丸くした。

 少し追い越したミアが振り返って足をとめる。

 千鶴はこれにうながされるようにあるき出した。

 千鶴は、迷った。どう言い逃れようか、である。ところが、ミアは気にせず続けた。

「……当番で保健室のそばにいたから。職員室前のトイレに一緒に入ってくのも見てた」

 これに千鶴は「ああ」とおでこに手を当てた。

「……あの、あれにはわけがあってね」

「うん、べつにいいよ。なんとなく想像つくし」

「……つきますか」

「つくよー、だってちーちゃん、リレーの間だけ男子のズボン履いてたでしょ」

 ――全部バレている。だが、ここで白状するわけにはいかない。アウティングになる。

「あー、えーとそれはですね……」

「んふふ、ねえねえ、お姉さんってうわさ、もしかして本人だったり?」

「もう、ミアちゃん? ぐいぐい来すぎだから!」

 そうつっこまれて、彼女はくすくすと笑った。

「否定しないんだー。世の中そういう人がいるのは知ってたけど、世間はせまいねえ」

 そう言われて、千鶴はどきどきとしながら、ミアを上目づかいに見た。

「あのね、おねがいなんだけど……」

「大丈夫、誰にも言わないよ」

 千鶴は思わずミアのふっくらとした手を取って「ありがとう」と心から礼を言った。

 これにミアは目を丸くして、けらけらと笑う。

「ちーちゃん、ほんとウソつかないね。私冗談の言い合いのつもりだったのに」

「え?」

「ねえ? 保健室ってなにかの都合で自分のが着れなくなっちゃった時とか用に、体育着も置いてるんだよ? 男子のしかない時とかもあるし」

 千鶴を目を丸くした。それから、がくんと肩を落とした。

「ねえ、いまのってさ、私がばらしたことになるのかな?」

 ミアは思わせぶりににんまりと笑んだ。

「んー、どうだろうねー」

「わー、やっぱりそうだよね」

「んもう、本当に冗談通じないなあ。……ならないんじゃない? ちーちゃんが自分から言いふらしたわけじゃないし」

「うん……そうだね」

「けど、そっか……今まで秘密にしてたの、大変だったねー」

 くったくのないねぎらいに、千鶴は鼻の奥につんとくるものを感じた。

「……うん」

「あの子、また学校来れるかな?」

「なんで?」

「だって、あの化粧の顔、かわいかったじゃん。私達と違って」

 そういわれて、千鶴はぷっとふき出した。

「あれは少し嫉妬しっとした」

「だよねー」

 ミアは少し遠くをみて、こう続けた。

「私は、ふつーに女の子のかっこうの臼井さんも見てみたい」

「見てみたい、か」

「あ、好奇心って意味じゃなくて、キレイだったから。走ってる横顔。きっとふつうの女の子としての格好もかっこかわいいんだろうなって」

「うん……かっこかわいい、か。うん、そうだね。きれいだよね。しーちゃん」

「しーちゃんって呼んでるんだ……」

「あっ、いまのなし、いまの内緒で」

「んははは、うん、わかった……けどさ、明後日からはちーちゃんたいへんだよー?」

「なんで?」

「臼井くんファンクラブ」

「え、なにそれ」

「私が勝手にそう呼んでるだけだけど、そんな感じの子らに質問攻めにされるよ?」

 千鶴はこれをきいて青ざめた。

「……まあ、ヤバくなったら保健室おいでよ。火曜はわたし、当番だから。面会謝絶めんかいしゃぜつっていって全部止めてあげるから」

「うん、助かる」

 二人はそれぞれの家へと分かれる交差点で、バイバイと手を振り合って別れた。

(……ほんと、ミアちゃんや柴田くんみたいな子ばかりだったらいいのに)

 千鶴は心からそう思った。ミアはもとより、同じ班の柴田もショウをオカマトイレ騒動ではやし立てた子らではない。

 千鶴にとっての『あの子達』のように、ショウにとって避けるべき子らはまだいるのだ。それを思うと、そう簡単な事には思えなかった。

 さらに言えば、今日自分達がやった計画も、本当に正しかったのか迷いそうになる。

 千鶴は、ほとんど空っぽなのに重たく感じるカバンを背負い直して、ため息をついた。

 ……千鶴にはほかにもまだ一つだけ、決着のついていないことがあった。

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