第21話 そして知っている人々
学級会後の放課後、そして翌朝、さらに昼休みまで、千鶴は一人で勝手に
「おお、亀山やっとみつけた。放送で呼び出そうと思ってたとこだ」
「どうかしたんですか?」
先生は廊下をうかがってから、少し声を低くして言った。
「臼井のことだ。本人と仲がいいのなら、もうわかってるだろう?」
これをきいて千鶴は心のそこからほっとして息をついた。肩の力が抜けすぎて、立ちくらみのように少しよろけてしまった。先生はあわててこれに手をさしのべて「大丈夫か?」と声をかけてくれる。
千鶴は少し笑って、大丈夫です、と応えた。
そう、学校の中には話の通じる人がいるのだ。
「とりあえず、来てくれ」
そう言われて、岩井先生に連れて行かれたのは職員室ではなかった。保健室のとなりのカウンセリングルームである。
カウンセリングルームとはついているが、なぜか部屋の
他の教室と違うのは、
「まあかけてくれ」
言われるままに座った。
「すまんな、本当はスクールカウンセラーの先生も来てもらって話した方がいいんだが、今週は休みなんだよ」
「そうですか」
そう言ってる間に、ドアがノックされ、そっと開く。現れたのは保健室の先生である。
「お、そろってる」
と言うその腕にはお盆に湯のみ、そして麦茶の
「亀山さんも大変ねー。去年は自分で今年は友達」
「去年よりは楽しいからいいです」
「そう、それはよかった」
保健室の先生は3杯の麦茶を並べて、それぞれの前に出した。
「いいんですか?」
やや驚いてたずねる千鶴に、保健の先生は笑顔で「ええどうぞ」とすすめる。
「いただきます」
と言って一口飲んだ。つめたくておいしい。
「それで、どういう話ですか?」
「どういうもこういうも、今日はあなたの話よ」
「え、私?」
「ええ、今年はそんなに保健室来てないでしょ? クラスでは、うまくやれてるかなって」
「それは、大丈夫ですけど……」
「本当に? 生理とかは?」
「あれは……実は、4年生の時は、学校に来たくなくて、親に……」
それをきいて二人は、最後までいわなくてもいい、とでもいうように、軽い調子でうなずいて見せてくれた。
「まあまあ、そういうことなら別にいいの。病院とか紹介しなくていいのかな、って心配の話でもあるから」
そういわれて、千鶴はあっという顔をした。
「ごめんなさい」
「ううん、いいのいいの。元気ならいいの」
「他になにかあるか? 悩み事とか、他の子に話しづらいこととか」
「ああ、それなら」
そこまで応えて、千鶴は言葉にまよった。
ショウのことを言ってしまって良いのだろうか。そこにまよったのだ。
岩井先生は、頭を軽くかいて、聞いてきた。
「もしかして、臼井のことか?」
千鶴は言いにくそうにうなずいた。
これに保健室の先生が笑顔を見せた。
「それなら大丈夫よ。あの子が心は女の子だって知ってるから」
それをきいて、千鶴は目を見開いた。見開いたまま岩井先生を見る。
「え、先生も知ってるんですか?」
岩井先生は軽い調子でうなずいた。
「ああ。親御さんと竹下先生と、スクールカウンセラーの大原さんと、ここで話した」
竹下先生というのは保健室の先生の名前である。
それをきいて、千鶴はほっと心の中のこわばりをほどいた。
岩井先生は続けてこう話した。
「本人がよければ、初日から女の子のかっこうで来てもらってもよかったんだが、今回は隠して通学したい、という意向を聞いてたからな……」
「そんな話までしてたんですか?」
「ああ」
それをきいて、ほっと肩の力を抜いた。そこに、ふと千鶴の頭の中に疑問がわいた。
「あの、夏になるとプールの授業、ありますよね」
これに、岩井先生は軽い調子でうなずく。
「ああ、服装のことか。まだプリントで出してないが、今年から全校生徒、本人の自由でラッシュガードを着ていいっていうことになった」
「そうなんですか!」
「あんまりヒラヒラしたのとか、ハデな
「ああ、それは、そうですよね……」
「着がえも、体育のときと同じで、とりあえず職員室前のトイレを使ってもらおうかって話にはなってたんだがな……ただ、ちょっとそれでクラスで面倒なことになってるだろ?」
千鶴は渋い顔でうんうんとうなずいた。
――4年生のときから、体育の着替えは男女別になっている。ショウがその着替えにあのトイレを使っていることまでは知らなかった。
「なんとかなるといいんですけどね」
「――まあ、この前の学級会のときの様子見てても思ったが、一応男の子らは自分たちが騒いだせいで来なくなったって自覚はあるっぽいんだよな」
「みたいですね。柴田くんとかと話してて、そんな気はしました」
「柴田なんかと話ししたりするのか」
「はい、班一緒ですし」
「あ、そうか。そうだったな……まあそれでも、前の学校での話や本人の負担を考えると、な」
千鶴は納得して小さくうなずいた。
「いずれにせよ、プールの授業は本人が出られそうなら出る、無理なら最悪、全部見学でもいいってことで話はつけてある」
「あの、おトイレのことなんですけど」
「ああ、例の騒動、なにかあるのか?」
「いいえ、そうじゃなくて……臼井さん、男子トイレと女子トイレ、どっちに入るつもりだったのかなって」
「それは、最初から職員室前のトイレを使うっていうことで、だいたい話はついてた。ただ亀山が先に使ってるってのは……俺も竹下先生から聞くまでは知らなかったけどな」
千鶴はすこし照れて顔を伏せた。
「あ、すまん、セクハラか」
「いえ、大丈夫です」
これに保健室の先生が身を乗り出してくる。
「元々男女共用ですもの、一緒になっちゃうこともそういうこともあるわよね」
「はい、よく、トイレですれちがってました」
「そうか。しかし、いままで良く言わずにいてくれた」
「それは、べつにバラす必要がないと思ったから」
「ほう、そうか」
岩井先生は少しほっとしたような顔をした。
「亀山、おまえはいい奴だな」
「岩井先生? ヤツはないでしょう?」
「ああ、そうだな。……すまん」
「いえ、いいです」
「それでタイムなんだが、少し前に臼井のお母さんと電話で話したら、体育公園で100メートル走を撮った動画が送ってこられてな。タイムはそれの通りでいいと思ってる」
「何秒ですか?」
「15秒5だったかな」
これをきいて、千鶴は口元を抑えた。クラストップの子が、先日の体育の授業での計測で15秒72だった。それより速いのだ。
「3人目確定なんですね」
「ああ、昨日の学級会で話したら、騒ぐ子が出そうだったから、言わなかった」
千鶴はくすりとした。
「それで、問題はここからなんだがな」
「はい?」
「臼井は、運動会に出るとしたらどっちで出ると思う?」
「女子か男子かってことですか?」
千鶴の小学校の体育着は、男子と女子とで色が違う。
「ああ、リレーはなんとかなる。PTAとの総会での話し合いで、今年からリレーの選手はチームカラーのティーシャツに着替えて走ってもらうことになった」
「ああ、いいですね」
「ソーラン節は、知っての通り、欠席になる。問題は徒競走だ。おそらく午前中になるんだが、そっちは出るとしたら、午前中から生徒の席についてもらう必要もある」
「……それは、しんどいかも」
「だよな。最悪、午後のリレーだけでいいんじゃないかと思ってる。それに……2か月前とはいろいろ状況が違うだろう。本格的に病院にも通っているそうだし」
「えっと……」
言いよどむ千鶴。
「岩井先生、ちょっと」
と、保健室の先生が岩井先生をたしなめる。
「あっ、悪い。今のは忘れてくれ」
「ええ、知っていても話す必要ないわ。臼井さん本人の問題ですから」
「一応は、本人から聞いてます。……しーちゃんが運動会に出るためにお母さん達、PTAで結構頑張ってくれたって」
これに、岩井先生は少し笑う。
「ああ、確かに頑張ってた」
「だから、出た方がいいと思ってるって本人はいってました」
「そうか……お母さんから聞いてたよりだいぶ温度差があるな」
「そうなんですか?」
「ああ、臼井のお母さんは出す気満々という感じだ」
それをきいて千鶴も少し笑った。
「わかります。なんか、しーちゃんと話してても、乗せられてる感じはありました」
「しーちゃんって呼んでるのか」
「はい、ショウちゃんだとまだ男の子っぽいから」
「なるほど、女の子は細やかだな。俺みたいなおじさんにはできない気づかいだ」
「岩井先生、女の子はじゃなくて亀山さんはですよ。それに、それでも、岩井先生は岩井先生なりに頑張ってると思いますよ」
竹下先生にそう言いなおされて、彼は頭をかいた。
「へまをしないかひやひやしてる」
これに竹下先生が口をおさえて笑う。
「……それで、もう一度聞くが、お前の方は大丈夫なのか?」
「大丈夫、です」
「前のクラスの子らのことだ」
「それは……」
「まだちょっかいとか出されてるようなら、遠慮せずに言えよ」
千鶴はそういわれて、すこし勇気づいた気持ちで笑んでうなずいた。
「はい、そういうのは、無いです」
「そうか。プールの授業が始まったら、隣のクラスと合同になる。そこで何かあったら、すぐに言え。見学か、その時間だけ保健室というのも考える」
千鶴はその言葉に少しだけ不安になり、そして同時にほっとした。
去年は隣のクラスと合同になることは逃げ場になった。だが今度は向こうからやってきてしまうのだ。
「……はい」
ほどなく、予鈴が鳴る。
「もうこんな時間か。呼び出して悪かったな。次の授業の用意があるから、俺はこれで」
そういって岩井先生は席を立った。
「はい」
「お茶、ごちそうさん」
「ごちそうさまです」
つられて千鶴も礼をいうと、保健室の先生はくちびるに指を立てた。
「ここで麦茶飲んだの、ないしょね」
千鶴はくすりとしてうなずいた。女二人だけになって、保健室の先生は体を伸ばした。
「しかしあの子も大変ね。結構モテるそうじゃない」
「モテてましたね」
「他のクラスの保健委員の子がね、学校来なくなって落ち込んでたくらいだもん」
「そんなにですか」
「足が速くて顔がきれいで、まあわかるけどね……その辺はどう?」
これに千鶴はぎょっとした。
「ちゃんとお友達として見れてる?」
「えっと、それは」
「あら、セクハラ?」
「いや、そこまでは……びっくりしましたけど」
「ないの?」
「ぐいぐい来ますね」
「だって気になるじゃない。保健室って結構噂好きも多いし、何もないならそういう子らにきちんと
そういわれて、千鶴ははたとした。
「ああ、そういうことですか……大丈夫です。女友達です」
千鶴は、少しだけ自分に言い聞かせるように言った。そう、自分は女の子同士として、臼井ショウと仲良くしているのだ。
「ふうん、どんなことして遊んでるの?」
「え、普通ですよ。うちに来てゲームしたり、服の貸し借りしたり。足が長いから何着ても私より似合うんです」
――それでも一緒に笑ったり、目が合うと、心のどこかがどきどきすることがある。千鶴はそれを言わずにおいた。
「そっか。じゃあもうしばらく、『お姉さんとお友達』って噂に調子を合わせておくね」
これに、千鶴は思い出したように頭を抱えた。
「ああ、それもあるんですよねー。しーちゃん一人っ子なんですよ」
「言っちゃだめよー。本人が自分で話す覚悟ができるまでは絶対に」
「わかってますー」
そうこたえて残った麦茶を飲み干し、席を立った。
「はい、いってらっしゃい」
千鶴は少しはにかんで「いってきます」とカウンセリングルームを出た。
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