第17話 私とわたし

 その晩の夕食はにぎやかだった。ピザにゲームになぜかピアノ生演奏でのカラオケまで。

 それをきりあげて亀山家が帰ったのは、夜も10時に迫った頃だった。

 臼井理絵はリビングのソファでカラフを抱えていびきをかいて寝ている。

 それにタオルケットをかけて、うたげの後を片付けるのは臼井父子である。

 ひとしきり片付いたところで、ショウは茶を入れた。

「お、ありがとう」

「パパ?」

「ん?」

「ぼく、わたしって自分のことをいったほうがいいのかな」

 臼井氏は、すこし笑んで聞き返した。

「女の子だから?」

「うん、それもだけど、うち、パパもママも、外の人に対しては『私』っていうでしょ?」

「うん、いわれてみればそうだね」

「……ぼくが、ぼくだと、へん?」

「千鶴さんに言われたの?」

「ううん、パパは、ぼくが、女の子になるまでのあいだぼくって自分の事いうの、いや?」

 これには、父の大きな目は少し困ったような形になった。

「なんでそんなことを?」

 ショウは、うつむいて応えない。

 ――先日、亀山千鶴が学んだ、性自認、性的指向、性表現。あれはむろん臼井親子も知っている。それでいう性表現の部分に、ショウの中にゆらぎがあるのだ。

 だが、臼井光にとって、父として言えることは一つしかない。

 いや、父としてというより一人の人間として、この若い一人の人間に対して開いてやれる心の扉は2つに1つしかない。受け入れるか、イヤだと拒絶するかである。

 臼井光にとって――この子は、臼井ショウはまぎれもない自分の子である。そうあり続けるためなら――するべき答えはひとつだった。

「――パパは、ショウの好きにしたらいいと思うよ。どちらでも、パパは受け入れる」

「ほんとに?」

「ああ、受け入れる」

 臼井氏は、できるだけやわらかくほほえんで、そう応えた。

 ショウは軽くはずむような仕草を見せた。小さいときから嬉しいときに出る動きだ。

「じゃあ、もうしばらくだけ、ぼくっていってていいかな! それとたまに、わたしっていっていいかな?」

「ああ、もちろん」

 ショウは少しだけはにかんだ。

「じゃあ、わたしお風呂入ってくる」

「ああ、いっといで」

 そういって、すぐにはたと真顔になる。

「……あ! 脱衣場のカギをかけて入りなさい。ママが来ないように防ぐんだ。風呂場で吐くのはカラフだけで十分だからな」

「わかったー」

 廊下でカーディガンを脱ぎながらそういうショウを見送って、臼井氏は少しため息をついた。

 ――肯定、という千鶴の父の言葉が、ふと思い出された。

 彼はひげを撫でながら軽くうなずいた。

「ああ、そのとおり、これでいいんだ。これで」

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