第15話 時は流て、連休も明け

 5月の連休をすぎて、運動会の準備は本格的になった。

 5年生の全体演目は例年通りソーラン節となり、いうまでもなく体育の授業の大半はこれの練習になった。ちなみに6年生もまた例年通りで、鼓笛こてき隊とフォーメーションダンスのチームである。

 そして学級会の議題ぎだいも運動会関係がふえた。例えば『放課後練習の日程にってい』などだ。

 だが、裏の話題として生徒間で上るのはもっぱら『誰がリレーの選手になるか』である。

 リレー自体は全学年通年での男女混合である。混合、というが実際は各クラスから男女それぞれの代表者が一人ずつ選出される。

 ――ところなのだが。

 今年度からはなぜか『性別を問わず計測タイムを基準きじゅんとする』というルール改正案かいせいあんがPTAで持ち上がっていた。

 ――背景にあるのは、ほかならない臼井ショウである。彼/彼女の性自認について学校として一定の対応が求められている、ということである。

 要するに、ショウがリレーの選手になった場合にそなえた話し合いを、大人達はすでに開始しているのだ。

 そして、その提案ていあん例が『性別を問わないタイム基準』である。

 一方で5年3組の中でも、そのルール改正とは別に、ショウが再び話題になりつつあった。『あの俊足しゅんそくの不登校児臼井は現在どうしているのか』である。


 ――実をいうと、この時期、すでにクラス内にはある噂が立っていた。

 『亀山さんが臼井くんのお姉さんと仲がいいらしい』という話である。

 ショウのお姉さん、というのも臼井家の家族構成こうせいを知る人から見れば事実無根じじつむこんな話だ。なにしろショウはひとりっ子である。

 だが転校初日のとき、すでに誕生日を迎えて11才だったショウの身長は小5の男子の平均よりやや高い。

 こんな噂がたった原因は、ショウの服装のせいだろう。おそらくショウと千鶴が一緒にコンビニに行ったり、おたがいの家に自転車で行き来したりしていたところを見られたのだ。

 ――ショウは普段の服装として、イーストボーイというブランドの服を好んで着ていた。このブランドの服は学校の制服によく似たデザインのものがとても多い。むろんショウが着るのはプリーツスカートを初めとした女性向けのものである。

 ブランドロゴを見ればひと目でそれとわかるが、遠目に見ればどこかの女子中学生に見られても全く不思議ではなかった。

 その上、ショウがどういう子かについて――ショウがいわゆる性的少数者だという事実を――クラスメイトは誰も知らない。

 そして千鶴の家に遊びに行くショウの姿は、ほぼすべて女物だ。イーストボーイの女子中学生風や、フリマアプリで購入しているという小柄な女物、千鶴が貸したスカートなどである。

 ――それらの目撃情報をまとめた上で、『ショウ本人の心が女の子』ではなく『小柄で細身の中学生のお姉さんがいる』という考察が出回っているのである。


 さてそんな噂が立つと、当然亀山千鶴のところにも真実をたしかめようとする声は向いてくる。

 最初にそれが来たのは給食の時間、例のポケットティッシュの柴田くんからだった。

「――で、実際のトコどうなん?」

 逃げ場のない班給食の場で、彼は千鶴に真っ向からそう聞いてきた。

 千鶴は一瞬しらばっくれようかと思いつつ、しかしそれはそれでショウに悪い気がして、言葉を選んだ。

 その間が何か思わせぶりな空気でもかもしたようで、班の一同の聞き耳が立つのを肌で感じた。

「どうってきかれても……まあ臼井さんちとウチは仲いいし、私も遊びにもいってるけど」

「で、どんな感じなの?」

「テレビゲームがなくて、おおきいピアノがあったよ」

 ここまでは、千鶴は、嘘をついていない。ただ隠しているだけだ。

 だがこの程度の情報でも、柴田をのけぞらせるには十分だった。

「いいトコんちじゃねえかー。え、じゃあお手伝いさんとか家庭教師とかいる感じ?」

 その表現に、隣の席の女子がぷっと笑う。

「イメージが古すぎなんですけど」

「けど実際、結構古い家じゃん。庭の木もでけーし」

「中は新しかったよ」

「リフォームかー。どこの匠だ」

「そこまでは知らないよ」

「で、本人は? 臼井くん、元気そうだった?」

 この質問に入った途端、どこかでずずっと椅子の脚が鳴り、周囲の気配が変わった。

 隣り合った他班の女子らまで聞き耳を立て始めたのである。

 そのプレッシャーを感じながら、千鶴は寒気のようなそわそわっとした感触に身をふるわせた。

 ……さて、どう応えたものか。

 いま、千鶴はみんなが知りたい秘密をにぎっている。それは若干の優越感と、それ以上の重圧があった。

 だが、それよりさらに重たいのは母の亜希からの言いつけだ。

『勝手にばらすのはアウティングと言って、すごく悪い事なんだからね。しーちゃん泣かせたくなかったら、絶対にダメだよ』

 ――言われるまでもなかった。なにしろショウ自身がまた男の子の格好で学校に来るかもしれない。その時のことを考えたら、いま正直に話してしまうのは、絶対に良い事ではない。

「んー、家庭教師は知らないけど、フリースクールとか塾に通ってるって」

 これも、嘘ではない。

 それに、ここまでは話していいという許可を本人にも親にも取っている。

 途端に、女子たちがざわざわとささやき合いはじめる。

「……フリースクールって、うちの学区ないよね?」

「隣駅のコンビニの2階、うち弟が通ってる……」

「隣の学区じゃん」

「じゃあ電車かなあ……」

「……駅で待ってみたりする?」

「そこまでしちゃうとストーカーっぽくない?……」


 ――そんな声を聞きながら、千鶴はまるで遠い出来事のように感じていた。

 千鶴は、ショウの様々な表情を見ている。

 たとえば先日の、ショウのママの化粧品で遊んでいたときのことなどはいま思い出してもにやにやとしてしまう。何しろあのときのショウは宝塚風の化粧をし、それがなかなか落ちなくてとてもあせっていたのだから。その焦った顔が妙にかわいかった。

 秘密を共有する。――こういう立場になると、トイレの鏡越しだけの関係の、淡い恋心を抱いていたころの自分はずいぶん昔のことのように思える。


 いや、本当のことにいえば、千鶴の心の中の初恋っぽい気持ちはまだ消えてはいない。

 だが相手が女の子とわかってしまえば、話は別だ。むろん今どき同性同士の恋愛というのは変な話ではない。それでもショウの場合は、体は男の子なのだ。

 ――千鶴なりに、ショウがどういう子かを知ってから、調べてみたことがある。


 人には生まれつきの体の性別とは別に3つの性別があるのだという。

 ひとつは性自認、これは自分がどういう性別かという自覚する性だ。

 2つ目に性的指向、これはどんな人を好きになるか、という性だ。自分がどんな性であれ、男の人が好きなら男の人が好き、女の人が好きなら女の人が好き、そんなの関係なく好きになった人が好きという人もいれば、誰も好きにならないという人もいる。

 3つ目は性表現だ。これは、どんな性を人の目に触れさせて生きるか、という外見的な性だ。男性的な人も、女性的な人も、どちらかわからない人もいる。

 これをまとめてSOGIEと言う。さらに『体などの性的特徴』を加えて、SOGIESCなどと言ったりもする。

 ショウの場合、1つ目は女の子、2つ目はわからない。3つ目は女の子で、学校にいたときだけ男の子だった。これはSOGIESCでいう『性的特徴』のことでもあるのかもしれない。

 そう――性的指向、『どんな子が好きか』――はまだわからないのだ。

 ――だが、それはよく考えれば千鶴も同じことだった。

 なにしろ、千鶴の初恋がなのかわからないのだ。

 千鶴がこれまでで、一番恋心に近いものを感じたのは、あの体力測定のときの『臼井ショウ』へのときめきだった。

 そして今の『しーちゃんとしてのショウ』を知って、更に楽しい気持ちでショウとすごしている。

 臼井邸で発声練習を一緒にしているときは、目が合うだけで幸せな気持ちになる。手をつないだりバイバイのハグをしたりすると胸が温かくなる。

 千鶴は去年の『あの子達』のいじめから、心が温まるような友達というのは、ミアのような昔からの友達のほかには出来ていない。

 そこにショウがハマっている。

 ――いまショウとの間に感じている幸福感は、恋愛感情なのか、深い友情なのか――。


 ただ、現在周りにいるクラスの女子たちを見て、感じるところもある。

「好きな子ができたら、こうなるのかなあ」

 なんとなくひとりごとをもらした。

 しかし、なぜかその頭に思い浮かぶのは、自分の事ではなかった。

 着飾きかざったショウのそばに誰か、ショウよりも背の高い少年がいる景色である。

 きっと、とても素敵な子なのだろう。……ショウのことを受け入れて愛する子なのだから、きっと周囲に振り回されない心の強さのある優しい子のはずだ。

 千鶴はうっとりとしてため息をついた。

 そこで、ふと気づいた。

 ――周囲の視線が千鶴にあつまっていた。

「亀山さん、ドライだもんね」

 鈴木さんが、少し引いた口調で言った。

「へ?」

「臼井くんの家に出入りしてて、距離きょり的には一番近いはずのに、一番興味きょうみなさそうだもん」

「え、そんなことないよ」

 真正面で牛乳を飲み干した柴田が、かんっ、と瓶を机に勢いよく置いて、何か渋い顔をしてうなずいた。

「いずれ我々にもそういう日もくる事だろう」

 かしこぶった言い方に「なにそれ」と少し笑った。

「まだそんな恥ずかしいもんに興味ねーよってことだよ。な」

 そう千鶴に同意をもとめてくる。

「いや、興味がないわけじゃないんだけど」

「なんだよ! そっち側かよ」

「まったく、男子ねー」

 柴田は、机からティッシュを出して鼻をほじりながら「はいはい」とおざなりに応じる。それから汚れたティッシュを机のなかにしまいこんで、千鶴のほうに身を乗り出してきた。

「あのさ、もし本人に会ったらさ、聞いてくんねーかな」

「何を?」

「オカマトイレのこと、まだ怒ってるかって」

 千鶴は何ともいえない、少し嫌な顔をした。

「どういうこと?」

「いや、怒ってるなら、言い出したヤツ知ってるし、そいつも悪いと思ってるっぽいからさ……会わせられたら、謝らせてやりたいんだよ」

 そういわれて、彼女は目を丸くした。

「いやそんな顔するなよ。難しいのはわかる。お前の友達は姉ちゃんの方だ。しかも本人学校来てねえ。間違いなく気まずい」

「うん。けど、なんで?」

「俺、たまにそいつと遊ぶんだよ。いつもじゃないけど。そういうやつがさ、いじめっこになるのって、やっぱりヤだよ。俺は」

 ――意外だった。

(こういう子もいるんだ……)

 千鶴がその身に受けた『あの子達』からのいじめは、はじめはささいなものだった。

 それが次第に悪質になり、言い逃れがきくアリバイを備えたものになり、根も葉もない悪評となって、全く知らない子から妙なことをいわれるまで悪化した。

 そういう、まるでへちまの成長のように深く大きく広がるのが『いじめ』だと思っていた。

 だからこそ、ショウが学校に来ないことに、なんのうたがいもなかった。

 だが、この柴田のような子がいるのなら、少しは事情が変わってくる。

 思い返してみれば、自分の周りにも思い当たる人はいる。

 たとえば体育の授業の時に介抱してくれた斉藤ミアだ。この柴田くんもそうだ。

 ふたりともいじめられていた過去とは一線をかくして、きちんと向き合ってくれる。そういう子もいる。2組の田村くんのように知らないところで味方になってくれた子もだ。

 千鶴は、心れながらも、それでもはっきりとこう口にした。

「本人次第だから、私からはどうすることもできないと思う」

「そっかーそうだよなー。ごめんなー」

「ううん」

 これに、鈴木さんがしみじみという。

「柴田、あんたいい男になったねえ。3年生の時、牛乳飲んでる人笑わせるのに命かけてた男とは思えないよ」

 本人は勘弁かんべんしてくれというように額に手を当てている。

「もうりたからー、まじトラウマ級に叱られたからー」

 そういう本人に、班の面々は、

「いや、あれがあってこその柴田だよ」

「あの頃まではマジでただのクソガキだったもんなー」

 などと好き勝手に言われる。

 ……そうこうしている間に、昼休みの校庭の開放を告げる校内放送が流れた。

 毎日バスケットボールのゴールの使用権しようけんうばい合っている男子たちはいっせいに席を立つ。

 柴田もそれに続いて「じゃ、そういうことでよろしく」と食器を下げに走っていった。

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