第6話 体の大きさと声の大きさは別

 千鶴の母の亜希の言う『ママ友の家』は、亀山家のマンションから自転車で10分ほどのところにあった。

 集合住宅よりも庭付き一戸建てが多い、坂の上の地区だ。千鶴はこの辺にあまり土地勘とちかんがない。最寄り駅とも学校とも反対側である。ほかの同級生の家もなくはないが、たいていは祖父母と一緒に住んでいる子の家である。

 だから当然のように(そういう家族の多い家の子のところなのだろうな)と思い、表札などは見ずに門扉もんぴをくぐった。

 しっかりとした生垣いけがきで囲われた、古風な二階建ての一軒家だった。

 ドアフォンを鳴らして出てきたのは、ママ友と思しき女の人だった。ショートカットで手足がすらりと長く、スキニージーンズがよくにあっている。

 亜希は声の調子を高くして挨拶あいさつをかわし、家で焼いてきたカップケーキの包みを手わたした。

 玄関に上がって、外と中でだいぶ具合が違うことに気付いた。内装が新品なのだ。いわゆる中古住宅の中だけを新築しんちくのように作り直したリノベーション住宅である。

 玄関に出ているき物は、大きな革靴かわぐつと大人サイズのスニーカー、つっかけサンダル。そして千鶴の靴とさしてかわらないサイズの女の子向けのパステルカラーのスニーカーである。

「おじゃましまーす」

 そう言いながら上がり込んだ。

 親が挨拶に出てきてクラスメイト本人は現れない。習い事で出かけているなら靴はここにないはずだ。

(妹かお姉ちゃんがいる子? 表札を見ておけばよかった)

 ママ友と亜希はあらためて丁寧に挨拶をし合い、それから千鶴に目線をあわせた。

「はじめまして、臼井翔羽ショウの母です」

 そう名乗られて、千鶴は目を丸くした。

(え、臼井くんの家!? っていうか、あの子きょうだい居るんだ)

 千鶴が校内でそんな話を聞いた覚えはない。

 だがこの母親には、言われてみれば確かに面影がある。色の白さや鼻筋の感じがそうだ。

「ええと、はじめまして。亀山千鶴です」

 動揺どうようをかくすというより、ほとんど条件反射じょうけんはんしゃのように頭をさげる。

「ご丁寧ていねいにどうもー、お会いできるの、楽しみにしてました」

 そのまま亀山親子は、奥の部屋に通された。

 来客が来ることを意識してなのか、単にキレイ好きの家なのか、かなり整ったカウンターキッチンつきのリビングダイニングに通された。

「あの、先生というのは」

「あ、私の旦那、ショウの父です。支度したら下りてくるから、その辺にかけて待ってて」

 千鶴はうなずきながら部屋を見渡した。

 リビングのソファは、体の大きなキジトラ柄の長毛の猫が『ここは自分のスペースだ』だといわんばかりに寝そべった姿勢でこちらをじっと見ている。

 これに遠慮えんりょして、千鶴達はダイニングテーブル側の椅子いすに腰を下ろした。

 ショウの母は一度キッチンに立ち、すぐにああとなげくような声をらす。

「しまった、紅茶買いそびれてた。ごめん、とりあえず麦茶で悪いんだけど」

 そう言いながら、手早く冷たいお茶を出される。

「いいわよ、そんな気を使わないで」

「ううん、だめなの」

「旦那さん?」

「旦那というか……夕方から別の生徒さんのレッスンが入ってるの。ちゃんとのどを温めるものを出さないと」

「そうなの?」

「うん、音大の受験生……あ、このケーキ、おいしそう。ねえ、いただいてすぐで悪いんだけど、そっちのレッスンの生徒さんに、これ、出させてもらっていいかな?」

「え、全然かまわないけど、普通のよ?」

「私こういうのちゃんと作れないのよー。いつもは商店街のケーキ屋まで買いに」

「ああ、あそこの美味しいもんね」

「おかげで旦那が太る太る」

 これに、んふふふと亜希は声をひそめて笑った。

「ちょっと様子見てくるわ」

 そういうと、さっさとショウの母はさっさとリビングから上階に伸びる階段をあがっていった。

 二人だけ、ぽつんと残される。

「ちょっとお母さん? 私は聞いてないよ?」

 千鶴はわざと少しよそよそしく言った。これに、亜希はすっとぼけたような顔をする。

「あれ、話してなかったっけ?」

「ない。臼井くんの家とは聞いてない」

 思わず声が大きくなりつつツッコミをいれた。

「あのさ、もののはずみってあるじゃない? それに、聞かせてたら来てた?」

 そう言われて、千鶴は小さくうめいてだまる。

「まあ、これからお会いするのは臼井くんのお父さんだから」

「それは、そうだけどさ……」

 千鶴が緊張から飲み物に口をつけていると、二階への階段の上の方から足音がした。

 あらわれたのは、ショウの母と同じくらいの背丈の、がっしりとした男の人だった。

 顔の下半分をもっさりと包んだヒゲが特徴とくちょう的だった。そのくりっと大きな目と長いまつ毛、眉の感じは確かにショウの父だと感じるところがある。

(なんかドワーフっぽい人だ)千鶴はそう思った。

 母はすっと立ち上がり、つられて千鶴も立ち上がる。

「あ、そのまま、お気づかいなく」

 響きのゆたかな活舌かつぜつのよい声だった。

「こんにちは」

 千鶴がそう挨拶すると、にこやかな顔をして「こんにちは」と返してくれる。

 その目じりに寄ったしわが、ヒゲ面の迫力をぐっと優しそうなものにした。

「いつも翔羽がお世話になっております。臼井光です。君が千鶴さんだね。はじめまして」

「はじめまして、亀山千鶴です」

「千鶴の母でございます。今日はよろしくおねがいします」

 あとから、ぱたたた、と財布を手にしたショウの母が下りてくる。

「あの、臼井くんは……」

 千鶴は大人たちのやりとりにつられて、ややしっかりとした声でそう尋ねた。

「うん、さっきフリースクールから帰ってきたばかりだから、部屋で着替きがえでもしてるんじゃないかな。君が来ると聞いて、そわそわしてたよ」

「フリースクール、ですか」

 千鶴がそういうと、亜希が横から「うん、まあ、そのことはそのうち」と口をはさむ。

「さて、それじゃあ早速だけど、始められるかな。のどはかわいてない?」

 そううながされて、千鶴は出されたお茶をくいっと半分くらい飲む。

「ゆっくりでいいよ。今日は軽いものだけだから」

「大丈夫です。ちょっと緊張してて」

「はは、そうか。無理もないね。それではお母さん、今日は防音室の戸は開けておきます。様子を見るときは、こっそりおねがいします」

(防音室!?)

「千鶴を、よろしくおねがいします」

 そう言ってわかれると、廊下に出てはす向かいの、分厚いドアの防音室に入った。

 一歩ふみ込んだ途端とたん廊下ろうかとは空間が違うと感じるほどに音が失せた。

 室内はリビングがもう一つあると言えそうなほど広く、奥寄りにグランドピアノが一台ある。窓は二重サッシだ。壁の一面は収納しゅうのうのようだが、その戸板は全て鏡張りである。その壁際かべぎわには、折り畳み式の譜面台ふめんだいが立てかけられている。

 ショウのお父さん――いやここは臼井氏と呼んだ方がいいかもしれない。臼井氏はピアノの前に座ると、軽く鍵盤けんばんをなでるように鳴らした。

「とりあえず、鏡の前にまっすぐ立って……あ、そうだ。ママー!」

 臼井氏は突然、大太鼓おおだいこでも打ち鳴らしたような太く響く声で妻を呼んだ。

 その一声で、千鶴はやや身をすくませた。臼井氏はかまわず続けた。

「翔羽よんできてー」

 千鶴はぎょっとして目をむいた。

「なんでー?」

 あけ放たれた防音ドアの彼方からショウの母の声だけが返ってくる。

「お手本ー」

 まるで家の中で大声のキャッチボールでもしているような会話である。

「わかったー。ショーちゃーん?」

 集合住宅住まいの千鶴には考えられない声のやりとりだった。

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