第5話 男子はすでに、そして女子も。

 岩田先生は「病欠は臼井のみ、と」出欠簿にそう書きつけながらつぶやくように言った。

 ――臼井ショウの欠席は1週間をこえた。

 誰かが「なんの病気ですか」と聞いた。

「ああ臼井……は、元々体の問題で治療中らしい。それの都合でしばらく休むそうだ」

 先生はめずらしく『くん付け』を飛ばした。いや、言いよどんだ、という方がより確かだろうか。

 ――さらにふみ込んで言えば、岩田先生はショウに対してだけ、くん、さん、といった敬称をつけていない。

 この学校自体の慣習かんしゅうとして、教師は生徒に対して、男子には『くん』女子には『さん』をつけて呼ぶ。今のところ、彼はクラスでただ一人の例外である。

 むろん、教師と生徒でざっくばらんに話す関係ができてくると、多少は変化してくる。先生もあだ名や呼びすてといった『くずし』を始める。この場合であれば、臼井ショウに対してのみ、岩田先生はずっと『くずし』をしているのである。

 これに関して、女子の間でちょっとした考察こうさつが出回っている。考察というのは、明らかになっている事実にもとづいて、理由や原因を考えることだ。

 その考察は『先生は転校生が仲間はずれにならないように、無理になれなれしくしているのではないか』という説だ。これを言い出したのは去年転入してきた子で、そのせいか妙に信憑性しんぴょうせいのある話として広まっている。

 だがこの考察には穴がある。

 まず『くずし』の相手である本人がいない。次に『集団での軽いいじめ』といわれたら否定もできないような『オカマトイレ騒動』の後の長い欠席だ。親しみを出すほうが無理がある。

 ではなぜ呼びすてなのか。その穴をめるには、あの転校生にはなぞが多かった。

 そしてそのような空白みたいな謎をうめようとして生じるのは……たいてい、誰かが言い出したそれっぽい想像とこじつけばかりである。

 結局、女子も男子も臼井ショウをありもしないうわさ話の対象としてしまっていた。

 ――ただ二人、岩井先生と亀山千鶴をのぞいて。

 岩井先生はいうまでもなく事実と真相を知っている。

 千鶴は、自分のせいで転入生を不登校におちいらせてしまったと思いなやむようになっていた。

 ……その一方で母親同士の交流は進んでいた。

 臼井くんの母と千鶴の母の亜希はいわゆるママ友の仲にまでなったらしい。

 それでも千鶴におりてくる情報は「とりあえず大丈夫そうよ」というくらいのものである。

  悩める千鶴はそれさえも母からのなぐさめなのかもしれない、と思いつつあった。

 というより本当に『大丈夫そう』なら、なぜ学校に来ないのか。その部分の核心かくしんるには母の言葉もあまりに手ごたえがないのだ。

 そして、そんな日々の中、千鶴自身にも変化がおとずれた。

 母の亜希からある日、こんな誘いをうけたのだ。

「保護者会で知り合ったママ友の旦那だんなさんでボイストレーナーやってる人がいるんだけど、ちーちゃんの事で相談したら、一度見てみようかって。キョーミある?」

 ないわけでもなかった。実際、いまのところ千鶴はヒマでもあった。なにしろ塾以外の習い事だったプールも、去年『あの子達』の一部と同じクラスになった月を最後にやめている。

 千鶴は亜希の娘として、このさそいを受けた。

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