第8話
通路の先にある光を追いかけてしばらく歩くと、すぐに終点に行き着いた。
そこは鉄柵になっていて、隙間から人間のざわめく声と外の光が漏れていた。そっと柵に触れると視界にディスプレイが現れ、<通行不可>という文字が赤く光る。どうにもここから先には行けそうもない。
どうしたものかと鉄柵の隙間を覗き見ようとする僕に、視界の端にいたラブが言った。
『ジェイさま、まだ開始まで時間があるみたいです。それよりも忘れずに武器を取るのですよ』
「ああ、これか。ありがとう」
ラブが指差す方を見ると通路の壁には昨日機体と一緒に買った武器、三十メートルはあるリベラティオの全身を隠せるほどのタワーシールドが立て掛けてあった。
僕はそれを手に取り具合を確かめる。大盾はずしりと重いが、リベラティオの馬力のお陰か振り回すことも問題なかった。このタワーシールドを選んだ理由は大抵の近接武器では壊せず、構えても盾に付いているカメラが壊れない限り視界が塞がれることのない優れものというのが薦めたラブの売り文句だ。その言葉に嘘はなく、前に突き出しても盾は半透明になって視界を遮らない。
僕がしばらく盾の使い心地を確かめていると、突然鉄柵が上がった。
漏れでる声は最早叫びとなって僕の聴覚センサーが異常を示す。
『さあ、ジェイさま。時間みたいです』
「ああ。始まってしまうんだね。まあ、いまさらここで足踏みしたってしょうがないか」
『うふ、ジェイさまの活躍が始まるのですよ!』
喜色に染まったラブの声に従い素直に一歩進む。
通路を抜け出てまず感じたのは光だった。何十というライトは生身であれば皮膚を焦がす程の熱を照射し、見上げるとその明るさに一瞬目が眩む。
次に感じるのは熱。ライトの発するものではない、人間の狂乱が生み出す熱だった。円形闘技場、そこは人間によって形作られた欲望の坩堝。
異常値としてメーターの二つが振りきれるほどの熱と大歓声。
三十メートル級の巨大ロボットに乗っているはずの自分が余りにも矮小に思えるくらいの巨大コロシアム。
そしてはるか先で相対するのは僕と同じく理解を放棄して呆然と立つリベラティオ。
この欲望を満たすため、無駄のために一体どれだけの時間と資源を費やしたのだろうか。僕はなによりこれがこのキルクスではあらゆる意味で規模の小さいコロシアムであるという事実に震える。
僕は気分を落ち着かせるために改めて周りをぐるりと見渡した。
円形のコロシアムには素人の試合なのに隙間なく人が集まっている。そして中央に浮かぶ巨大モニターには極彩色のモヒカンをした厳つい男が映っていた。
男は僕がモニターを見たのと同時に大きなマイクを手に叫び出す。
『さあ、ついに両選手出揃ったァ。この対戦は両者生体ユニットに成り立てのォ、ビギナーズマッチだァァ!』
会場は独特の高い声で行われた宣言にさらにわっと沸く。
どうやら男は有名人らしく、彼の名前らしき記号を叫びモニターを指差す人がたくさんいた。
そんな会場の盛り上がりに満足したのか、モニターの男はさらに大きな声で言う。
『選手が揃ったところでェ、会場の皆様にご注意だァ。怪我や死亡は自己責任でェ、賭ける場合は試合開始と同時に締め切りだぜェ。さァ、注目のオッズの発表だァァァ!』
モヒカンの男の言葉と共にモニターが切り替わる。そこには試合開始までのカウントダウンとこの試合のオッズが表示されていた。
オッズは常に変動し、時間の経過と共に僕の倍率が桁違いに上がっていく。
それはきっと見た目で判断されたから。前情報のない新人同士の戦いだから、観客は僕らがどんなリベラティオに乗り、どんな武器を持っているかでしか判断する材料がない。
僕は熱狂に慣れ始め、冷静にぽつりと呟いた。
「やっぱり僕が負けると思われているね」
『ハイです。ジェイさまの乗る<サクスム>は四世代も前の重量級機体ですし、武器も盾のみです。それに対して相手の乗る<ベスティア>は三世代前の高速機動が可能な軽量級機体、相性が悪いと判断されたのですね』
僕の買った機体は<サクスム>。その言葉の意味は岩。その名を表すようにこのリベラティオは分厚い装甲に守られた機体だ。大きさも相手の<ベスティア>に比べて一回り大きかった。
四世代も前となると普通は生産もされていないのだけれど、この<サクスム>はその堅牢さと信頼性の高さ、そして安さから未だに需要があった。
とはいえ相当古い機体には変わりがない。
反面、対戦相手のリベラティオは世代の新しい高機動機体の<ベスティア>で直剣を持っている。
これに旧型で大きな盾を持った完全に攻撃を捨てたような<サクスム>では勝てると思う方がおかしいのだろう。
それでも僕は前に進む。指示された初期位置まで来ると何でもないようにラブに問いかけた。
「それにしても、賭けなんてやっているんだね」
『ハイです。この大会は新人や負けが続いてろくな機体も買えない人の出場する大会です。熟練者のような派手で見応えのある試合はまずないですけど、泥臭くて先の読めない戦いから賭けが大盛り上がりするですよ』
そういって笑うラブが無言で僕のクレジット残高をでかでかと表示した。
たった一日の付き合いだけれど分かったことがある。僕は自分が安定志向だと思っているのだけれど、僕の人格を参照して作られたはずのこの妖精は何故かこういった賭けや一発逆転を狙ったオールインを好んでいるということ。
どんどん表示が大きくなるその圧力に屈して僕はため息と共に言った。
「分かったよ。賭けるよ」
『流石ジェイさまです。もちろんオールインですね?』
「うん。まあ2クレジットぽっちだったらあってもなくても変わらないでしょ。高倍率でも配当なんて大したことないだろうしね」
どうせ負ければリベラティオと一緒に剣に押し潰されてスクラップになるか、生きていても二日で銀缶から脳を捨てられ死ぬのだ。
だからか、安定志向のはずの僕でもなけなしの2クレジットを賭けることに戸惑いはなかった。
『オールイン完了なのです!』
満足げに0クレジットになったディスプレイを消すラブを横目に、僕は減っていくタイムリミットを睨み付けた。
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