第7話

 僕は涙を拭おうとした時、強烈な違和感を感じた。


「なんだ、これ」


 拭おうとした僕の手は人間の手ではなかった。いや、手だけでなく足も胴も人間のものではない。

 目から流していたはずの涙はなく、視界には幾つもの謎のメーターがちらつく。

 そしてその目に映るのは灰色の装甲を纏った、人を模した機械の体。


『ジェイさま。無事に接続できたみたいですね!』

「うわわ!」


 呆然とする僕の頭にラブの声が響く。

 そして昨日出会ったときのように目の前に光の粒子が集まり妖精の形になった。

 ラブは仮想空間にいたときとは違って、まさしく妖精らしい小ささだった。そして背にある羽を使って僕の視界をひらりと飛んでいる。

 僕はその現実離れした光景と自分の身体が機械になっているという事実に呆けた調子で言った。


「どうして体が機械に……。いや、ここはまだ仮想空間の中なのか?」

『なに言ってるですか。ジェイさまは生体ユニットとしてリベラティオに乗ったのですよ。ここは現実、キルクスの闘技大会で今から戦うのですよ!』

「でも、現実世界なのに疑似人格のラブが目の前にいるじゃないか」

『まったく本当になに言ってるです。今のラブはARで投影された、つまりリベラティオに接続されたジェイさまの視覚データに擬似的に投影しているだけですよ』


 僕の余りにも間抜けな言葉に、いつも笑みを絶やさなかったラブが呆れたように言った。

 その言葉のとおり、ラブを触ろうと機械の無骨な手を近づけたがすり抜けて触れない。

 今になって僕はようやく現実を受け止める。この肌の感触も匂いも流れたように感じた涙も、全てはリベラティオによる演算によって作り出された擬似的な人間の感覚だったのだ。


「これが、リベラティオ。本当に人間の体みたいに感覚があるんだ」

『当然ですよ。そういう風に作られたのですから』


 人型兵器リベラティオ。ラブ曰く、僕の搭載されたこの兵器は人間の力を最大限活かすために人型兵器という欠陥兵器をどうにか実用化できないかという酔狂な計画のもとに作られたという。成果主義の<帝国>には珍しく非合理な計画であったはずのそれはしかし成功した。

 人型兵器には多くの欠陥があった。まず人型という構造の複雑さから部品が増え、コストと整備の難易度が格段に上昇すること。<帝国>の主戦場は宇宙であり、人型兵器の利点である手足を生かす場面が少ないこと。そして最大の弱点は操作性だった。

 人間が手動で操作をして人間の立体的な動きを再現しようとすると恐ろしい数の手順と操作端末が必要になるのだ。さらに端末の操作という物理的なラグまで発生してしまう。

 その弱点を克服したのがリベラティオだった。制御システムを人間の脳に直接繋ぐことで思考で操作が可能になり、さらにコックピットが不要となり大幅なコストダウンに成功。そして限りなく人間に近い感覚を生み出すことで人間の持つ超能力の兵器利用を目的とした、戦艦やドローンでは出来ない特殊装備を使う兵器として今もぎりぎり存在している。

 これが僕の乗るロボットの正体だった。

 そんなことを思い出しているうちに、焦れたらしいラブが声をかけてきた。


『さあ、ジェイさま。もう始まるですよ』


 そう言って小さな指で示すのは薄暗い通路の先。そこには一筋の光が射していた。きっとこの先には戦いが待っている。

 結局覚悟なんて定まらないままだった。それでも迷いだけはない。なぜなら行かなきゃ死んでしまうから。

 人間が生きるために食べて眠るように、きっとこれからすることに本来覚悟なんて必要ないのだろう。だから僕は覚悟の代わりに言葉を吐き出す。


「ああ、今日を生きよう」


 僕は恐る恐る一歩を踏み出した。現実世界で歩くのは機械の体でなくても始めてだったけれど、まったく違和感はなかった。それどころか仮想空間よりも弾むように軽く、思い通りに体は動く。

 軽い興奮と共にさらに一歩前に進む。二歩目は更に確かな足取りで進む。

 そうして軽やかな足取りと反して重く重厚な足音がいくつも響き、これまで感じていた不安はどこへやらと通路を歩んでいった。

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