第2話

 どこまでも続いているようなただただ真っ白な空間、そこで僕は目の前に浮かぶ不思議な少女の不思議な説明を何とも言えない顔で聞いていた。


「それで、ラブ。僕は脳みそだけになったと」

「ハイです。厳密には生体ユニット化措置によって脳を摘出したのですよ!」


 ああ、と絞り出すように小さくうめき声をあげて両手で顔を覆う。

 僕が僕という存在を自覚したとき、呆然と立っていたのはこの何もない真っ白な空間だった。

 今まさに生まれたというのに存在するつぎはぎの人格と半端な知識は植え付けられたもので、それを為したのは<帝国>という宇宙を戦場とする超大国だった。

 遺伝子及び人格生成の操作による特殊兵科適正操作実験。それが植え付けられた知識が囁く僕を生み出した実験。

 半端な知識は自分が<帝国>の実験によって生み出された人造人間なのだという事実だけを肯定し、それをつぎはぎな理性が強く拒む。経験を伴わない未熟な人格が、自分はまともであると叫ぶ。

 しかし僕は自分が人間だと証明しようにも、頭の良くない僕には人間と人造人間の違いなんて分からなかった。

 そうして思考停止していた僕の前に光の粒子とともに現れたのがラブだった。

 ラブは説明する。知識を肯定するように。あなたは<帝国>によって生み出され、肉体が脆弱だったので破棄され、幸いにも適正があったので脳だけになったのだと。

 人間的な動作と笑みを浮かべながら、しかしどこまでも機械的に回答を続けるアンバランスなラブに僕は密かに恐怖していた。


「信じられませんか。おかしいなあ、ジェイさまにはしっかりと人格生成と記憶処理が施されたはずですよね?」


 そう言ってラブは首を捻っていた。そんな少女を恐る恐る見つめる。

 ラブは黄金を思わせる金髪に透き通る青の瞳が美しい少女だ。なにより際立っていたのは背中に存在する、童話に出てくる妖精のような羽だった。淡く虹色に光るそれはこの非現実的な状況をいっそう際立てている。


「うん、まあ」


 僕は彼女の疑問に曖昧に頷いた。

 知識にはなかったが、ジェイとは僕の名前らしい。いや、厳密には知っていた。J-0277。それが実験上での僕という存在を表す識別番号。きっと頭のJから取ったのだろう。

 僕はラブの言うとおり記憶処理によって脳に半端ながら知識を刻まれたため、それなり以上にこの事態を把握していた。

 未だに受け入れきれていないが自分が既に脳みそだけになったことも、ここが自分の脳と機械によって生み出された疑似空間、VRのようなものであることも。そしてなによりこうして会話しているラブという妖精のような少女は人間ではなく、機械によって作り出された疑似人格ということもだ。

 それなのに僕が困惑していたのは自分の植え付けられた知識の中にある疑似人格とラブの容姿があまりにもかけ離れていたからだった。

 疑似人格は主人格である僕に負担をかけないよう潜在的に親しみを感じる容姿を形成する。

 つまり僕は遺憾ながら機械によって潜在的に妖精を好いていると判定されていた。経験もない、知識も人格も半端な僕がである。幻想に焦がれるメルヘンな思考などしたつもりはない。

 当たり前だが、太陽系のいくつかを支配する<帝国>においても妖精は童話の中の存在だった。少なくとも埋め込まれた一般的な知識群はそう言っている。


「仕方ないですね。決定的な証拠、ジェイさまの生体ユニット化措置の時の映像を見せますです!」


 そんな僕の困惑をよそに、なにやら勝手に解釈したラブはぱちりと指を鳴らした。

 すると何もなかった白い空間に一つの大きなモニターが出現する。

 そのモニターで再生されるのはラブの説明にもあった、僕が脳だけに改造されていく映像だった。




 一時間にも満たない上映会は僕の脳が銀缶に詰められ、肉体を打ち捨てられて終わる。

 僕はずっと拒否反応を示していた割に思っていたよりもショックはなく、ただ肉体はもうないんだという事実を受け止めていた。受け入れ難かった自分が人造人間だという事実も、映像として見るとそうだったのかという納得の方が強かった。

 僕は結局のところ、曖昧な事実を確かなものとして証明して欲しかっただけなのかもしれない。何もなかった僕はこうして、自分は人造人間であるという確固たるアイデンティティーを確立したのだ。つぎはぎで不安定だった人格に軸が生まれ、安定していく。


「なんともまあ。記憶にはないけどこれが僕の体なんだよね?」


 そうして少しは余裕の生まれてきた僕は複雑な表情で中空に浮かぶモニターを指差した。そこには映像の最後で止められていて、脳を失った男の死体が写し出され続けている。

 僕は与えられた知識からこの状況が仕方がないと理解してショックはさほどないとはいえ、自分の肉体が打ち捨てられているのを見るのは気持ちの良いものではなかった。


「ハイです。記録映像の男性の肉体は遺伝子上100パーセントジェイさまのものといっていいです。目の前のジェイさまにそっくりですよ!」


 おめでとうございます、と言わんばかりにニコニコと笑うラブを見て、僕はため息を吐いた。

 最初のように恐怖することはない。しかしもともと肉体を持っていない疑似人格故か、どうにも噛み合わない認識の齟齬に不安が募る。

 僕もラブも自我を得たのは今日のはずなのに、どうしてこうも違うのか。きっとそれこそが僕の生まれた理由なのだろうけれど。


「あ、気になるのでしたら鏡で見ますか?」


 そういってラブはまたぱちりと指を鳴らす。ラブの横には僕の全身がしっかりと写る鏡が現れていた。

 写る姿はたしかに映像の中で脳を摘出されて打ち捨てられた男と同じもの。黒い髪に黒い瞳。それなりに整った顔立ちの少年の姿。

 そこに写るのは僕の生まれたままの姿、つまり裸だった。


「って、裸じゃないか!」


 当たり前だが銀河を股にかける<帝国>といえども人間は服を着る。ラブもしっかりと服を着ているのだから知識に間違いはないはずだ。


「ああ、忘れてました。はい、服です!」


 僕の悲痛の叫びにラブが指を鳴らすと体が衣服で包まれる。

 どこまでもマイペースなラブの行動に本当に僕を補助するための疑似人格なのかと、深い深いため息をついた。

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