第19話 結婚したら(3)
朝の気配を感じて眠りが浅くなった。俺の鼻腔をかすめる焦げ臭い香り。火事か?! と思って飛び起きたが……隣にはユリカちゃんがいない。
だいたい俺よりも遅く起きる彼女は可愛い寝顔で眠っているはずなのに。
おや……?
デジャブか??
前もこんなことあったような……? 俺がキッチンの方へ出向くと涙目で焦げた卵焼きを見つめるユリカちゃん。シンクは泡だらけ、彼女の髪にはなぜか小麦粉が付いていて、トースターも煙をあげている。先にバター塗ったな……。
「ど、どうしたんすか」
俺はとりあえずユリカちゃんのそばに寄ってコンロの火を止める。
「ゆうくんに……ごはんっ……奥さんになりっ……うぐっ」
あぁ……。
そういうことか。明らかに結婚を意識し始めたユリカちゃん。きっと彼女の中の理想の家庭像や理想の奥さん像はきっと旦那さんよりも早く起きてご飯をつくってる……まぁいわゆるあるあるだ。
ユリカちゃんが「ひくっ」としゃくりあげながら泣くので俺はそっとその背中に手を添える。
ユリカちゃんの気持ちが嬉しいと思った。彼女は俺だけのためにこうして頑張って、それから泣いているのだ。
「俺にご飯、つくってくれるんですか?」
ユリカちゃんが俺の胸に擦り付けていた顔をくいっとこっちに向ける。大きな丸い目がうるうると涙でゆらいで、すっぴんだというのになんとも魅力的だった。
「うん……でもうまくいかなくて、私……理想の奥さんに……」
「ユリカちゃんには……俺の理想の奥さんになって欲しいです」
俺の言葉を聞いたユリカちゃんは一瞬目を見開いてそれからゆっくり瞬きをして、溜まった涙をぽろぽろとこぼした。彼女がしゃくりあげなくなったのはきっと、今の涙は嬉し涙だから……だと俺は信じたい。
——あれ……? 泣き止まない……だと
ユリカちゃんは腕の中で泣き続けた。やばいぞ、俺まずいこと言ったか?
と、とりあえずティッシュだ。
俺はユリカちゃんをそっと話すとティッシュを取りにテーブルまで急ぐ。ティッシュを何枚か手にとってポンポンと彼女の涙をぬぐい、ティッシュを渡す。
「ゆうくん……一緒にお料理しませんか……?」
泣きながらユリカちゃんが言った。俺は「もちろん」と答えてエプロンをひっつかむと腰に巻いた。
***
「今日はユリカちゃんが主役で、俺がお手伝いです」
ユリカちゃんは「がんばりますっ」とファイティングポーズをとる。ユリカちゃんが焦がした料理たちは庭の香草の肥料になることにして、まずは
「ユリカちゃんが作りたい料理にしましょうか」
「えっと……ゆうくんが好きなのはお母様特製の混ぜご飯と……それからお味噌汁わわかめですよね」
ユリカちゃん、よく覚えてたな。まだ付き合う前に兄貴たちから情報を仕入れてきて、我が家思い出のお袋の失敗弁当を作ってくれたんだっけ。焦げ焦げの卵焼きに足の少ないタコさんウインナー。
俺にとっては大切な思い出であり大切な味だけど……
「お袋のは置いておいて、俺とユリカちゃんの理想の朝ごはんにしましょ」
ユリカちゃんがまた嬉しそうに微笑む。そして
「私……ジャムたっぷりのトーストと……それからオムレツと……スープは洋風が好き。ゆうくんが作ってくれる野菜たっぷりの」
ジャムあったかな……? ないけど、いちごはあるな。よし、大丈夫。
「じゃあ、始めましょうか!」
ジャムは潰したいちごに砂糖をかけてチンするだけの簡易ジャムを提案。トースターに新しい食パンを入れ、その間にユリカちゃんが卵を解いていく。卵の中に顆粒コンソメ、塩コショウ。
「よし、じゃあゆうくん。後ろからサポートしてくださいね」
ユリカちゃんは俺とフライパンの間に体を滑り込ませるとフライ返しをきゅっと握った。朝には刺激の強い密着度。ゆるっとした部屋着の隙間から胸が視界に入る。一緒にフライ返しを握って、ユリカちゃんを導くようにオムレツを作っていく。
ユリカちゃん、緊張しているんだろうか。耳が真っ赤だ。
「ゆうくん、あんまりさわさわしないで……」
きゅん死にしそうになりながらなんとか焼きあがったオムレツ。スープはユリカちゃんだけでも作ることができた。
ダイニングテーブルに並んだのは洋風でいい感じの朝食だ。熱々のいちごジャム。手作りでカロリーが低いからバターも添えて……。
なによりほとんどユリカちゃんが作ってくれた朝ごはんである。
「ゆうくん、美味しく食べてね?」
オムレツに書かれたいびつなハートマーク。ユリカちゃんがスプーンで俺に食わせてくる。
「おいしい」
「ほんと?」
「ユリカちゃんが作ったんですよ、美味しい」
ユリカちゃんはそのまま同じスプーンでオムレツを食べる。
「お、おいひぃ……」
「また、お料理したくなったら一緒にしましょユリカちゃん。焦って怪我したりまた悲しくなる前に俺を起こしてほしい」
ユリカちゃんは小さく頷くと
「私、焦ってました。理想の奥さんになりたいって。でも、私は私だから理想とか誰かの真似とかじゃなくて……私と結婚したいって思ってもらえるように頑張るね」
ユリカちゃんは料理を食べる俺をじっと嬉しそうに眺めている。食べづらい……非常に食べづらい。
「私が作った料理を食べてるゆうくん。好き」
えへへ。と目を細めて笑うユリカちゃん。さっきまで泣いていたのに楽しそうに料理をして、照れて、笑って、今は満足げなユリカちゃん。可愛すぎませんか……?
「そうだ、ゆうくん。いいニュースといいニュースがあるの」
「ん?」
俺の口元についたジャムを指で拭って舐めて、それからユリカちゃんは微笑んだ。
「しばらく広報チームがサテライトオフィスで働くことになったの!」
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