第10話 ヒナちゃん(2)


 第一に、ヒナちゃんにとって最良の選択であること。次に、俺たちカメグラマーケにとって良い選択であること。

 朝のコーヒーを飲みながら俺はじっとユリカちゃんの顔を見つめる。ユリカちゃんはパリパリになるようにじっくりボイルしてからサッと焦げ目をつけたソーセージを咥えている。朝はさっぱり塩胡椒で、目玉焼きは半熟のとろーりで。これはユリカちゃんが大好きなオーダーだ。


「ゆうくん、お寝坊さんですね」


 ふふふ。と笑ったユリカちゃんは首を傾げて上目遣いをする。朝から刺激が強すぎますって……。

 汗ばむ季節ということもあってユリカちゃんはデコルテが出ている服を着ている。ムラッとくるが、俺が自分が今日もタートルネックを着るしかない状況であることにため息をついた。


「ヒナちゃんのこと?」


「えっ? あぁ、まぁね」


 ユリカちゃんはうちの広報だから俺は彼女に跡を残すのはナンセンスだと思っている。そもそも、俺みたいなモテない陰キャが可愛い彼女を束縛するなんて許されないことだ。

 ユリカちゃんが俺を好きでいてくれているのは宝くじにあたるよりも低い確率の奇跡だし、束縛をすることで愛を確かめるなんてカッコ悪すぎるじゃないか。


「私ね、ゆうくんとはじめてミーティングした時のこと思い出したの」


 コトンとマグカップをテーブルに置くと、ユリカちゃんはにっこりと微笑んで目を閉じ、何度かゆっくりと瞬きをした。

 その仕草があまりにも可愛くてぐっと顔の中心が熱くなった。


「ゆうくんはね、初めて私に……間宮さんはどうしたいですかって聞いてくれたんです。親や友人、職場の人からの『あぁしてほしい、こうしてほしい』って命令や願望に囲まれていた私にとって、私の気持ちを優先してくれたことが嬉しかったんだ」


 ——そうだっけ??


 うろ覚えだが、初めて部下を持つことになって、しかもそれが超美人で……会社のアイドルだった。ただの下っ端エンジニアだった俺が苦肉の策で言った言葉だ。

 そんな真実も知らずユリカちゃんは嬉しそうに続ける。


「家庭環境が良くないとね、誰も聞いてくれないんだよ。『あなたはどうしたい?』って。お金は出すから好きにしろって羨ましいように見えて一番辛い言葉なのかもね」


 ユリカちゃんらしくないいい言葉……かと思いきや


「でもでも……ゆうくんが他の女の子に優しくしすぎるのはいやだなぁ。ヒナちゃんってむ……胸も大きいし」


 ユリカちゃんは自信なさげに自分の胸をちらりとみて頰を膨らませた。


「それに、若いしお金持ちだし……。ヒナちゃんがゆうくんを好きになったら困るからやっぱだめ!」


***


「ジーッッッ」


 まるでデジャヴだ。

 ヒナちゃんは体を前のめりにしてジト目で俺を見つめている。そりゃそうだ。俺は昨日と同じタートルネックで今日は夏日になる。

 ヒナちゃんの後ろでクスクス笑いをこらえている木内さん。


 あれ、まじで夢なんじゃないか。


「ぶちょお、風邪ですか? 顔、赤いですよ」


 ヒナちゃんが純粋でよかった。

 じゃなくて……


「ヒナちゃん、会議室。行こうか」


 俺の言葉を聞くとヒナちゃんはしゅんとした表情になった。


 会議室の電気をつけて、向かい合わせで座る。ヒナちゃんは不安そうにうつむいたままだった。俺はPCを開いてヒナちゃんのシフト表を開いた。平日フルタイム。まるで大学に通う気のないシフトだ。


「俺は、大学は卒業した方がいいと思う」


 俺の言葉を聞いてヒナちゃんは目を見開いた。多分、人手不足だから部長の俺からそんな言葉が出ると思わなかったんだろう。ベンチャー企業ではインターンが社員になる代わりに大学中退ってのは結構ある話だし、実力があればそのまま役員になるやつだっている。

 そういう環境だからこそ俺のこの答えは彼女に衝撃を与えたようだった。


「で、でも……」


「わかってる。いじめのことは聞いたし、ヒナちゃんが学校に行きたくないのもわかる」


「じゃあ、なんでっ」


 ヒナちゃんはふわふわのパーマ髪を揺らして瞳に涙を浮かべた。ユリカちゃんのいう通り、ヒナちゃんのグラマラスな上半身が小刻みに揺れる。

 俺は好みじゃないけど多分ちょっと童顔な子が好きな男にはドストライクのタイプだ。


「落ち着いて、続きがある」


 ヒナちゃんにティッシュを渡して、彼女が落ち着いてから俺は話を進める。


「ヒナちゃんは学校に行きたくない、同級生からいじめられてたから、だったよね?」


「はい」


「学年が違っても、場合によっては顔をあわせるから嫌だってことなら……休学しよう。ただし、休学をするには親御さんに説明する理由が必要だ。そうだろ?」


 俺はキーボードを打った。チャットの相手は木内さん。俺たち大人はちょっとカッコつけさせてもらうことにしたのだ。

 しばらくすると、木内さんがドアをノックして会議室に入ってくる。目を白黒させるヒナちゃん。


「実はね、アメリカのカメグラマーケの代理店に交換出向する人材を探しているの。本当は私が行く予定だったんだけど……こっちでの交換出向してくる子の教育とか、仕事もあるからお願いできる人いないかなって」


 ヒナちゃんは涙をぐいぐいとふくと木内さんのPCを覗き込んだ。


「いい……んですか?」


「ただ、そのためには契約社員になってもらわないといけないんだ。最先端のマーケティングを学べる機会だし、大学を休学してでも人生に必要な経験だと思うんだ。ヒナちゃんはいつも頑張ってくれているし、それに留学経験もある。なにより、いじめで受けた傷は深い。しばらく日本を離れて違う環境に身を置いてみないか? 1年後、帰ってくる頃には同級生は卒業してる。そしたらゆっくり大学に通えばいいさ」


 ヒナちゃんは安心と、期待で涙をぽろぽろとこぼすとど溢れ出る感情をぶつけるかのごとく俺に抱きついてきた。


「ふぁっ?!」


 あまりのことにまるで童貞のように腰を引く俺


(あたってる!)


「わたし……がんばります!」


 ヒナちゃんは今年一番の笑顔で言った。俺と木内さんは顔を見合わせて安堵する。これから、人事に文句を言われながらもヒナちゃんを契約社員にして手続きをしてもらわなきゃならないのだ。

 とはいえ、部下と会社両方にとってヒナちゃんが契約社員になることはメリットなはず。中間管理職がストレスを受けてやろうじゃないか。


(今日は帰ったらユリカちゃんにたくさん癒してもらおう……)

 

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