第8話 甘えたな間宮さん(2)
「あ、ありがとう?」
「ほんとうは……ゆうくんから言って欲しいです」
久々の必殺上目遣いでそんな風に言ったユリカちゃんはすぐに俯くときゅっと俺の服の裾を掴んだ。
同棲を始めて結構時間は経っているがこんなにドキドキしたのは久しぶりな気がした。まるで付き合う前に戻っているような感覚。絶対にユリカちゃんにも聞こえているはずだ。
「俺も好きです」
「だめ、もっとちゃんと目をみて言ってください〜」
ぐんっ! と顔の距離が縮まる。ち、近い。まつげエクステをつけていないのに自然にカールした長いまつげ、瞳も驚くくらい綺麗でキラキラしていた。だめだ、溶ける。死んでしまう。
「あっ、ひどい! なんで目をそらすんですかぁ!」
ポカポカと俺の胸を叩くユリカちゃん。ユリカちゃんが動くたびにいい匂いがする。俺の彼女は最強だ。
「す、好きです」
やっとのことで絞り出すように俺はユリカちゃんに好意を伝えた。はじめてデート行った時よりも緊張しているような……?
ユリカちゃんはぐっと俺の胸ぐらを掴んで唇を押しつけると「まぁ、許してあげてもいいです」と訳のわからないことを言って俺から離れるとフォークを握った。
——な、なんだったんだ
「だって……心配なんだもん」
ぽつんと呟くようにユリカちゃんは言った。心配? 心配なのは俺の方である。超絶ハイスペックイケメンと二人っきりでユリカちゃんは仕事をしているんだぞ? 広報の仕事といえば密に関わるだろうしランチやおしゃれな場所に行ってうちの会社がいかに楽しそうにしているかってのをアピールしたりする。
つまりは、超絶ハイスペックイケメンと二人っきりで食事に行ったりイベントの運営をしたりするわけだ。
となれば、フツメン以下の俺なんかより超絶ハイスペックイケメンになびいてしまうかもしれない。
自分の彼女を信じたい気持ちはあるが、さすがに不安になる。
「えっと、何がっすか?」
「だって、だって」
「えっ?!」
ユリカちゃんは大粒の涙をぽろぽろとこぼしながら軽くしゃくりあげるように肩を揺らしていた。
俺は泣かれるのなんてほとんど初めてでどうしていいかわからない。
「ゆうくんから好きって言ってほしかっただけ……だもん」
とユリカちゃんは言ってまた抱きついてきた。こういう時、どうすればいいんだろう。兄貴の話じゃ女の子ってのは時々こんな感じで不安になって情緒が不安定になったり急に怒ったりするのが普通だって。
いつも明るく可愛いユリカちゃんだけど、同棲にも慣れて俺に素を見せてくれている……のか?
「好きじゃなきゃ付き合わないし同棲もしないよ」
小さい頭をを回転させて絞り出した答えを伝えるとユリカちゃんは涙を俺の服で拭ってそれから「うん」と小さく返事をすると
「ごめん、変なこと言って泣いたりして」
「だ、大丈夫。びっくりしたけど……俺もそのごめんなさい」
「じゃあ、約束です! 毎日好きっていうこと……それからお風呂も寝るのも毎日一緒じゃなきゃいやです!」
これは……トラップだった。女の武器ってのはフルスイングされたようだ。毎日こんな感じで過ごしていたら俺の心臓は持たないぞ……。
その日、ユリカちゃんはお風呂からベッドに入るまでずっと俺に抱きついている状態だった。嬉しいやら困ったやら体力が持って行かれたやらで頭がごちゃごちゃになったが、やっぱりいつものユリカちゃんとは様子が違う気がする。
すやすやと寝息を立てる彼女の背中に毛布をかけて、俺はスマホを眺める。今日はイケメンとランチ、それから二人でミーティングざんまい。
——やっぱり、やましいことでもあるのかな
俺はベッドを抜け出して服を羽織るとキッチンに向かう。ケトルに水を入れてスイッチを押し、換気扇をつけてタバコをくわえた。タバコを吸い始めて少し頭が冷静になると俺はユリカちゃんへの疑惑を心の奥へ押し込めてこのままの生活を続けていくのが一番いいだろうという答えにたどり着いた。
ふぅと吐き出した煙が換気扇の方に吸い込まれていく。
ケトルがパチンと音を立てて、俺はマグカップにハーブティーのティーバッグを入れるとお湯を注ぐ。ハーブティーを蒸らす間にタバコ臭くなった口をゆすぐために洗面所へと向かった。
——は?
俺は鏡に映った自分を見て飛び上がるくらいびっくりした。
鏡に映った俺の首筋から鎖骨にかけて真っ赤な斑点が浮かび上がっていたのだ。最中は気がつかなかったが……ユリカちゃん、激しすぎやしませんか……?
「明日、暑くなるのにタートルはきついよなぁ……」
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