第3話 新生活(1)

「では、来月からご入居ということで」


 不動産屋のお姉さんはにっこりと微笑んだ。ユリカちゃんもご満悦で、俺はこれから始まる二人の新生活に期待が膨らんだ。

 俺たちが決めたのは最初に見つけた木目調のおしゃれキッチンとバルコニーが印象的な物件だ。ファミリー向けではないがやっぱり立地とおしゃれさ、そしてファミリー向けではない静かさがいいということになったのだ。

 ファミリー向けをご所望だったユリカちゃんにまだ早いと説得するのは大変だったがこの物件の契約が1年更新と比較的短いことで納得してもらえた。出会ってから婚約まで約一年ほど、俺としては早すぎると思っているし結婚するのであればもっとゆっくり恋人の時間を過ごしてもいいと思っている。ユリカちゃんが結婚を焦る年齢でもないし、俺も正直これが最後の恋だと思っているからだ。


「二人の思い出だけがつまったお部屋になるんですね」


 ユリカちゃんは帰り道そんな風に言いながらも「ゆうくんのお家までのこの道も大好き」と言った。確かに、俺としても結構長く住んだし居心地の良い町だったと思う。

 ぎゅっと握られる感触で俺は我にかえるとユリカちゃんと目があった。


「ネームプレートなんだけど……間宮でいいよね?」


 この人、ガチで結婚する気みたいです。


***


「藤城さん、先日クライアントから連絡があったんですけど……」


 木内さんの報告を聞きながら俺はインターンのシフトをまとめ、それでいて部長会議の資料を作成していた。インターンの子たちは本格的に就職活動が始まったからかかなりシフトがランダムになってきていて正直人手が足りない。

 カメグラの人気は衰えることなく進化し続けているし、人気のカメグラマーがどんどん増えているのも事実だ。そんな中で俺たちカメグラマーケの人間が何をしていけば良いか……泥臭く仕事をとって信頼を得ないと。社内外問わずだ。


「聞いてます?」


「あ、すんません」


 ちょっと怒り顔の木内さんは短い髪をふわりと揺らす。最近何かあったらしい。ショートカットもよく似合っている。

 いや、違う、そうだ。なんの話だっけ?


「カメグラの投稿文……こりゃよくないなぁ」


 木内さんから見せてもらった案件資料はあまり内容のよくないものだった。広告違反になりうる宣伝文句を使ってカメグラマーたちに商品を宣伝してほしいというものだ。

 グレーな広告ってのは多いがこれはちょっと……。


「うーん、あんまよくないっすねぇ」


「そうなんですけど、いつもお世話になっているクライアントさんなんでちょっと断りにくくて」


 木内さんが困ったように肩をすくめる。


「じゃあ、この広告分の修正案を送ってみようか……。正直、法律に触れるかもしれない案件をカメグラマーに渡すとうちの信用も下がるからさ。そうだ、人事には報告してるんだけどもう一人か二人正社員を中途採用する予定だから一次面接お願いしていいっすかね?」


 木内さんはぱっとPCの画面をみて顔をしかめると「頑張ります」と答えてくれた。彼女はアメリカのカメグラマーたちとやりとりをしているため多分俺より忙しい。インターンたちが少なくなってきたせいで負担が大きいのだ。本当に申し訳ない。インターンの就活まで視野に入れていなかった俺の責任である。


「そうだ、聞きました?」


「何を?」


 木内さんは「最近、気が緩んでません?」と俺をからかいつつ、


「広報に新しいメンバーが入るんですって。確か、元モデルの男の子で社長の知り合いだとか」


 ——まじかよ


「そ、そうなんだ。大学の後輩とかっすかね」


「多分、弱くわからないけど間宮さんの実力を買って広報に配属になるらしいですよ。あ〜うちが欲しかったなぁ……」


 まぁ、そんなことはどうでもよくて。俺はぐっと胸が押しつぶされるような気持ちになった。俺とユリカちゃんがしていた仕事を、今度はユリカちゃんと知らん男がやる。しかも元モデルのイケメンで、社長の知り合いってことは少なからず俺の5億倍は高スペックな男だろう。ユリカちゃんは俺を好いていてくれているけれど、気持ちが変わってしまうかもしれない。


「藤城さーん、会議じゃないんですか?」


 木内さんの声に呼び戻されて俺はパッと腕時計を見る。会議まであと10分、本社に戻らなくては!

 

「いってきます!」


 俺はノートパソコンを小脇に抱え、スマホでタクシーを呼ぶと急いで本社へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る