第2話 失恋相手と1 on 1
藤城くんは少し疲れた様子でサテライトオフィス唯一のMTGルームに入って来た。1ヶ月に一度の1 on 1。上司と部下で話すだけのイベントだが私にとっては気が重かった。
相手はついこの前失恋した相手なのだ。
「お疲れ様っす」
「お疲れ様です」
藤城くんは疲れた様子でふにゃりと笑うと椅子に腰を下ろした。タバコ臭い。
「そういえば聞きましたよ。資華堂の案件。木内さんがお願いしたコスプレイヤーさんの投稿がすごく喜ばれたって」
「はい……。えっと御笠ちゃんのフォローで友人にお願いしたんですけど、英語での投稿がかなり喜んでいただけてて……。なんでも海外からの注文が殺到してるとか。日本の化粧品は質が良くて高いけれど欲しい人が多いんだそうです」
「大学時代留学していたんすよね? 何か夢とかそういう感じですか?」
「えっと、私のような出身大学でこんなこと言うのは恥ずかしいんだけど……学生の頃は翻訳の仕事がしたくて。あっ、でも漠然としてたから全然具体的とかそういうんじゃないんだけど……」
藤城くんは笑顔で私の話を聞いている。変なこと言ったかな?
「で、今もまだなりたいとか思います?」
そう言われると、私が自分のキャリアビジョンを全く考えていない。最近は少し大きな仕事も任されて、インターンの子達の教育とかサポートもして、全然充実はしているけど……でも5年後10年後の私は何をしているんだろう?
そう言われると夢なんてものはないし、想像すらできない。
「あっ、聞き方が悪いっすね。うーんと、そうだなぁ。このミシェルさんの英文考えてる時、どんな気持ちでした?」
藤城くんに言われて私は思い出してみる。クライアントさんの伝えたいことをアメリカ人にも伝わるように英語で自然に説明する。ミシェルらしさを忘れないように可愛い単語を使ったりして……
——私、すごく楽しかった。
翻訳には英語力だけじゃなくて「専門性」が必要である。例えば、何を翻訳するにしてもその分野のプロでないといけない。だから、英語力をベースで持っている帰国子女やネイティブスピーカーは強いんだ。英語力じゃなくて「専門性」に時間を割くことができるから。
新卒ではなんの専門性も持たない私を取ってくれる企業なんてなかった。英語力だけではネイティブに太刀打ちができなかった。
でも今はどうだろうか。
私は今から翻訳者を目指しても遅くはないんじゃないか。
ぼーっと私を見てる藤城くんを見て思った。
だって、ただのエンジニアだった藤城くんが今では1つの部署を動かす部長さんで、しっかり営業もして……人は変われる。きっかけさえあれば。
藤城くんが間宮ユリカをきっかけに変わったのであれば、私は彼に失恋したことで変われるかもしれない。
「——楽しかったです」
私の回答を聞いて藤城くんは「よかったっす」と笑った。そして彼はパソコンのキーボードを叩く。すぐに私のチャットがポンと通知音を鳴らした。
「これ、先方からきた新しい案件です」
私は藤城くんの送って来た資料に目を通す。
「日本滞在の留学生や外国人インフルエンサーから海外向けに日本製化粧水のPR?」
案件先は結構老舗の化粧品メーカーだ。なんでも、この前のミシェルの投稿から資華堂の化粧水が海外で売れたことを嗅ぎつけて連絡が来たらしい。業界って狭いんだな……。
「もしも……なんすけど。木内さんがまだ翻訳の仕事……将来的にやりたいなって思うんであればうちの仕事と両立してできるような企画とか考え見たらどうかなって。実績があるんでこういう案件来るらしいんで……」
「えっ……でも私プロじゃないですよ?」
「うーん、会社としては結構コストをかけたくないってのもありますけど、俺としても木内さんが今後翻訳の道も考えたいって思ってるのであればちゃんと応援したいっす。というか、俺自身英語全然なんでお願いできたら嬉しいなって」
苦笑いする藤城くん。
今までの私ならここで「私はプロじゃないから」と引いてしまっていたと思う。でも、引いてしまえばチャンスが逃げていくことを身を持って知ったから、だからどんなに恥ずかしくても、誰かにバカにされたとしてもやりたいことはやりたいと言うべきだと思う。
「海外向けの仕事……というか企画メインでやりたい……かも」
「じゃあ、俺に来てるの全部投げていいっすか」
藤城くんは「手が回らない〜」と愚痴を吐く。あぁ、人事にお願いしてもう1人正社員か大人のパートさん雇ってもらわないと私と藤城くんがパンクするな……。営業ちゃんも育って来る頃だし、あっ……留学経験のあるインターンを雇うのもいいかも。最近の若い子のトレンドをキャッチできるような存在重要!
「じゃあ、そういうことで。あっ、そうだ。藤城くん、インターンの子たち頑張ったんで今度お昼ご飯おごってあげてくださいよ〜」
藤城くんは「へいへい」と呆れたように笑いながら返事をする。私は彼よりも先にMTGルームを出て席に戻った。
「木内さん、木内さん」
御笠ちゃんとインターンの子たちが私の周りに集まって来る。なんだろう?
彼女たちは小声で
「藤城ぶちょーってすごい可愛い彼女がいるって聞いたんですけど知ってます?」
御笠ちゃんたちは目を輝かせている。本社のインターンから聞いたのかな? 学生っぽさに私は少し笑ってしまう。
「うん、すごく可愛くて頑張り屋さんな彼女がいるよ」
間宮ユリカは広報としてすごく活躍している。失恋した当初は悔しくて、彼女はただの美人で得しているだけだと思っていた。でも、藤城くんと絡む前の何もしなかった間宮ユリカと藤城くんと付き合い出してから成果をあげている間宮ユリカは明らかに違う。
——きっと好きな人のために私と同じくらい努力したんだ
「え〜、誰ですかぁ〜気になる〜」
「自分で聞きなよ、あっ。そうだ、外国のカメグラマーよくみる人いる? リストにして欲しいんだけど……」
「私、アメリカに友達がいるんで聞いて見ましょうか? あっ、そうだうちの大学のミスがハーフでインター出身なんでその子にも聞きます!」
インターンたちはやんややんやと話題を変えながら、与えられた仕事を楽しむように会話を始める。私はそれを近くで眺めながら5年後の自分について考える。
藤城くんのことは今でも大好きだ。むしろ、新しい部署になって彼の優しさや優秀さに触れる機会が多くて尊敬している。
でも、今までの行動を後悔して彼に固執していたら今までの私と同じ。だから、前に進むために彼を踏み台にしてもっといい人を見つけてやるんだ。
いつか藤城くんが「あの時間宮ユリカじゃなくて私にしておけば」って思うくらいに。
「木内さーん、うちの大学のミスにアポ取れたんで呼んでいいですかぁ?」
「いいよ、で?」
「頑張ったんでタピオカおごってください」
給料日前なんですよぉ。と泣きつく御笠ちゃん。3人分でざっと1500円。でも今の私は気分がいい。それに、彼女たちには今後もすごくお世話になるし……
「しょうがないなぁ、今回だけだよ?」
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