ホットミルクの話

第1話 ホットミルク


 ぐらぐらと揺れる視界、俺はベッドに身を沈めて体の中の熱と戦っていた。扁桃腺が腫れて喉が痛いから多分いつもの風邪だ。

 いつもと違うのは……


「大丈夫ですか……?」


 間宮さんがベッドのそばで心配そうな顔をしている。彼女はもう会社にいく格好に着替えていて、もうそんな時間か。と思った。

 

「大丈夫っす。この時期はいつもなるんで……」


「できるだけ早くかえってきますね」


 まるで間宮さんはお母さんだ。俺のおでこを優しく撫でると「いってきます」と言い残して部屋を出て行った。

 病院の予約はお昼頃か。それまでに少し熱を下げちゃわないと。本当はダメだけどおかゆでも食ったら解熱剤を飲もう。

 俺はゆっくり体を起こすとキッチンへと向かう。間宮さんが朝食を食べたあとがある。食パンに生のハム。間宮さんのズボラ飯である。


 俺は鍋に冷凍していた白米を入れて水を入れる。火にかけてその間に溶き卵を作り、そこに顆粒出汁を混ぜる。昨日刻んだネギもあったはず。

 ネギはやめとくか、喉痛いし。


【(俺)すんません、喉痛くて通話も厳しいのでチャット飛ばしてください】


 木内さんは即レスで「カバーしておくのでゆっくり休んでください」と返事をしてくれた。申し訳ねぇ。

 体調管理ができないなんてのはもってのほかだし、何よりも仕事が多すぎるせいで穴を開けると翌日が怖い。恐ろしすぎる。


 おかゆを蒸らしながら、俺は椅子に腰を下ろした。頭がぐらんと揺れるし、喉が痛い。扁桃腺を取る手術をよく先生に勧められていたが本当に摘出しようか。

 有給とって、連休作って……間宮さんを心配させるわけにはいかないしな。



「うま」


 おかゆを無理やり飲み込んで、口に入れて飲み込んでを繰り返す。


【(間宮) 悠介くん、大丈夫? 私半休とったから病院迎えにいくね】


 間宮さんからの連絡だ。正直、死ぬほど嬉しい。体が辛いし、なんもしたくねぇ……。


【(俺)ありがとう。連絡します】



 病院の外で間宮さんと俺は落ち合った。彼女は心配そうな顔で俺に駆け寄ると俺のバッグを奪い、タクシーに押し込める。間宮さんは大きな買い物袋を持っていたし、俺が持ってあげないといけないのに……。


 間宮さんは手際よく運転手さんに住所を伝え、俺に「大丈夫?」と心配の目線を向ける。俺は「大丈夫です」と返事をするが急な眠気に襲われて彼女の肩を借りて家までの車中で仮眠をとった。


***


「お熱……ありますかっ?」


 間宮さんは俺の前髪をかきあげると体温計をピッと当てた。さっき測ったけどなぁ? 間宮さんは温度をみて渋い顔をする。


「ゆ、ユリカちゃん? ちょっと休めば大丈夫だから……」


「だ、ダメです」


 間宮さんは俺のおでこにひんやりするシートを貼ってそれから俺に無理やり毛布をかけた。


「ちょっと待っててくださいね」


 うん、嫌な予感。

 ただ、間宮さん本人はいたって真剣な様子で頷いた。


「えっと……はい」


 俺はキッチンの方へ行く間宮さんを横目で見送ると枕元に置いてあったスマホをチェックする。チャットは確認報告ものばかりだ。急ぎのものはないな。

 俺はチャットを閉じてため息をついた。やっぱ扁桃腺摘出しよう。


 ——チン


 電子レンジの音。白湯でもつくってくれているんだろうか。間宮さんの気持ちだけでも嬉しい。実家に住んでいる時、親父に看病してもらったことがあるくらいで大学になってからは基本的に1人で苦しんでなんとか治していた。

 まさか俺が彼女に看病してもらえる日が来るとは……風邪になるのも悪くないな、なんて思ってしまう。


 間宮さんの足音が近づいて来る。


「悠介くんっ、これを飲んで元気を出してくださいっ」


 俺は起き上がると間宮さんが持ってきてくれたマグカップを受け取った。結構熱めのそれは甘くて香ばしい香りがする。自分では絶対に作ろうとは思わないそれは優しい色をしていた。


「ホットミルクですか?」


「はい、私が熱を出すとよく母が作ってくれていたんです。これを飲んだら元気になります!」


「いただきます」


 俺はふーふーしてからホットミルクを一口。ん? これは……口の中に広がるのはミルクにはない香ばしい香りと甘い味。

 それなのに爽やかでもう一口飲みたくなる。牛乳のこってりした嫌な部分も少なくなって飲みやすい。


「これ……うまいっすね」


「うちのホットミルクはきなこと黒蜜入りなんです」


 間宮さんの答えを聞いて俺は納得がいく。きな粉か。そう言われればきな粉の香りだ。うまいし、俺には全く思いつかない組み合わせだ。


「母の味なんです。うちの母、料理が苦手だったけど……熱が出た時は必ずこれを作ってくれて……思い出の味です。風邪引きたいなって甘えたい時期は思ったりしたんだ」


 間宮さんは少し切ない表情で微笑んだ。


「俺も、ユリカちゃんに看病してもらえるならって思ってました」


 冗談のつもりで言ったのに、間宮さんは目を潤ませるとぎゅっと俺に抱きついた。そして……


「ダメですっ。早く元気になってくださいっ」


 と言った。風邪がうつるからとキスだけは拒否して、俺は体をベッドに沈めた。

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