90.決着は突然

 彼の術式は大気を自在に操れる。

 しかしそれは、ただの大気だからこそ操れるだけだ。

 異物……すなわち他者の魔術によって生み出された物が混じれば操れない。

 現に彼は、僕の近辺に存在する大気を操作することは出来ていなかった。

 攻撃は必ず、僕より一定距離は離れた地点から生成して放っている。

 僕が最初に突撃した時も、あれはあらかじめ正面の大気を操作することで、僕の感覚を狂わせたんだ。


「貴方の術式で恐ろしいのは自然を味方につけられることだ。大気はどこにでもある。何の変哲もない大気が手足になる。でも、ただの大気じゃなくなったら話は違ってくる」

「さすが、正解だよ」


 あっさりと認めたことには驚いたけど、やはりそうだったか。

 違和感は最初からあったんだ。

 僕を攻撃したいなら、最初から僕の近辺の大気を操って直接攻撃すれば良い。

 ガードも回避も間に合わない至近距離から攻撃されたら、僕だってどうしようもない。

 それをしなかったのは驕りではなく、出来なかったんだ。

 僕の身体は【氷鎧】に覆われていて、常に冷気を放っている。

 その冷気は僕の術式によって生成されたもので、魔力が籠っていた。

 さらに【連鎖氷結】や【連刃氷柱】が砕かれた時に出来る氷の粒が周囲に舞うことで、大気には僕の氷という異物が混じる。

 茨を伸ばしていた時も、僅かな空間を起用に使って攻撃を繰り出していた。

 あれだけ細い茨なら砕いてしまえば良いのに。それだけの力を彼は持っているのに。

 そうしなかったのは、大気を支配する僅かな魔力では、僕の生成した氷に負けてしまうからだろう。


「今、この空間には僕の術式で生成した氷の粒が漂っています。一つ一つは小さいですけど、一つに含まれる魔力の密度は並じゃありません。こうなってしまえば、貴方は大気を操れない。そして今度は――」


 僕は両手を叩くように合わせ、散らばった氷の粒に意識を向ける。

 たとえ粒状になっても、連続性が絶たれていても、氷麗操術の氷なら遠隔で操れる。


 氷麗操術――【開花】!


「くっ、氷の粒がはじけた!?」


 空気中に漂った氷の粒は、まるで華が開くように爆発的に周囲を凍結し砕ける。

【開花】は氷の爆弾だ。

 威力はそこそこだけど、例えば相手が体内に氷の粒を取り込んでいた状態ならどうなるかわかるだろう。

 もっとも風を操るセトさんは飲み込むことなんてない。

 自分の周囲だけは未だ、彼の支配力が残っている。

 爆発の瞬間、彼の周囲に小さな竜巻が発生しているのが見えた。

 しかし至近距離での爆発は少なからず彼にダメージを与える。

 一部は当たったようで、服が数か所切れている。

 ダメージは小さいが、攻撃が届くなら問題ない。

 再び茨を伸ばし、砕けさせて大気中に氷の粒を漂わせる。

 これを繰り返せば常に空間の支配権は僕のものだ。

 後は一方的に攻撃が出来る。


「これは困ったなぁ」


 セトさんがぼそりと呟き、ポリポリと悩んだように頭をわしゃわしゃ触る。

 大気の助力を得られなければ、全方位からの不意打ちは出来ない。

 警戒すべきは彼自身、正面から攻撃だけだ。

 そうなってしまえば脅威は著しく下がる。

 対照的に僕は、彼の周囲に散った氷を使って全方位からの攻撃も可能だ。

 完全に有利不利が逆転した状態ではお手上げ……ただし相手は、賢者様と同じ極致に至った現代最強の風使い。


「仕方ないな。じゃあここからは力比べだ」

「――っ!?」


 簡単に終わるはずがない。

 そう思った直後、一瞬の突風が発生した。

 凄まじい威力の風が吹き荒れ、瞬く間に周囲の氷を吹き飛ばす。

 壁や天井を覆っていた氷の茨も、彼に近い側は全て砕かれてしまった。


「これは……魔力で生成した風?」

「その通りだよ! 【全ての大気を統べる者エンペラー】による細かな支配は捨てた。今からは力押しだ。俺の嵐で全部を巻き込んであげるよ」

「なら僕は、貴方の嵐ごと凍結してみせます!」

「やれるものならやってみると良い!」


 セトさんを中心に吹き荒れる風、それは無数の刃であり竜巻でもある。

 触れれば斬られ、吹き飛ばされ、貫かれる。

 故に近づけさせるわけにはいかない。

 僕はそれに対抗するように、【氷花の陣】の訓練室を再び凍結しようと対抗する。

 氷の茨を伸ばし、地面と壁を凍結させて空間の支配権を主張する。

 今この瞬間、訓練室は二つの災害に襲われていた。

 僕が立つ地点から半分は、触れたもの全てを凍結してしまう極寒地獄。

 片やセトさんの周囲は、触れたものを斬り裂き吹き飛ばす暴風地獄。

 二つの災害がぶつかり合い、壊し合う。互いにここが自分の領域だと主張して一歩も引かない。

 支配領域同士の押し合いだ。

 攻撃の密度、精度、勢い全てが勝らなければ押し切れない。

 密度と勢いはこちらが上。

 しかし精度はあちらが上だ。

 悔しいけど、僕よりセトさんのほうが術式の精度は優れている。

 いやもしかすると、師匠に匹敵するかもしれない。


「まったく……楽しいですね」

「同感だよ! こんなに楽しい戦いは初めてだ!」


 戦いの中、セトさんは無邪気に笑っていた。

 たぶん僕も、同じような表情をしていたに違いない。

 魔神やエクトス、敵との戦いのようにしがらみもなく、ただ純粋に力をぶつけ合う。

 そんな戦いは僕にとっても初めてだった。

 この時僕は本心から、戦いを楽しいと思ったんだ。

 だからこそ、楽しい時間が一秒でも長く続いてほしいとさえ思った。

 だけど、終わりは突然やって来た。

 どこからか、亀裂が入るような音がしたんだ。

 ほんの小さな音で、最初は僕もセトさんも気づかなかったけど。

 その亀裂はすぐに大きくなり、目に見える形で現れた。


「「――あっ」」


 気づいた時にはもう遅かった。

 僕たちは唖然とする。

 チラッと視界の端に見えた師匠は嬉しそうだったけど、隣にいたエヴァンはやれやれと首を振っていた。

 それもそのはずだ。

 僕とセトさんの力が競り合っていた地点から、訓練室が真っ二つに割れてしまっていたんだから。

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