89.支配権争奪戦

 一定量域内における魔術的支配権。

 魔術師同士の戦いにおいて、自分が支配する領域の獲得は勝敗を大きく分ける。

 相手より優位に立ちまわることのできる領域が広いほど有利。

 特に相手を自分の領域内に引き込めば、常に相手より優位に立ち回れる。

 そのためには広大な術式範囲と、それを制御するための術式精度が不可欠だ。

 例えば僕の【氷牢結獄】は、一定領域を氷の壁で区切ることで自分が有利な空間を作り上げている。 

 同じように、結界などで区切ることで自身の領域を獲得する者は少なくない。

 ただし、風属性を扱う魔術師に限っては、そんなことをする必要がない。

 なぜなら風は、大気はどこにでも必ず存在するから。

 大地のように一面だけでもなく、水や氷、雷のように限られた環境にのみ存在するものでもない。

 僕たちが生きるために必要不可欠なものとして、常に傍らに存在し続ける。

 故に、大気を完全な支配下に置くだけで、術者にとって有利な領域は完成する。

 もちろん誰にでも出来ることじゃない。

 名前を挙げてしまえば、今のエヴァンには不可能な芸当だろう。

 この部屋にあるすべての大気を知覚し、少ない魔力で正確に、まるで自身の手足のように扱う。

 当たり前の技術も極限まで極めれば、それは一つの術式と呼べるだろう。


「……その昔、俺がこの術式を完成させたとき、友人がこう言ったんだ。まるで風の賢者様のようだってね。風の賢者様も同じことが出来たと言われている。畏れ多いとは思ったけど、俺は負けず嫌いなんだ。だから敢えて同じ名前を付けた」


 以前、師匠から教えてもらったことがある。

 風の賢者様は、大気の全てを味方につけて戦うことが出来た。

 それはまるで、風そのものになっているかのように。

 大気の支配権を完全に得た風の賢者様には、どんな攻撃も届かず、賢者様はどこからでも自由に攻撃出来たという。

 その力を、師匠はこう呼んでいた。


「――【全ての大気を統べる者エンペラー】」

「へぇ! 名前まで知ってたんだ。属性も違うし知らないと思っていたんだけど」

「詳しい人に教えてもらったんですよ。でもまさか、実際に体験できるとは思っていませんでしたよ」

「はははっ! 楽しんでもらえたかな?」

「はい」


 かの賢者様と同じことが出来る。

 千年以上経った現代で、賢者様の境地に達している魔術師なんてほとんどいない。

 願わくば過去に戻って、実際に賢者様たちの力を見たいと思ったことすらある。

 それが今、こうして体験できているんだ。

 楽しいと思わないはずないだろう。


「そうか。楽しんでもらえたなら何よりだよ。なら今度はそっちの番かな?」

「はい。僕の番です」


 セトさんに僕の術式を見せつけるはずが、反対に彼の術式を見せつけられてしまった。

 不覚にも驚き、感動してしまった自分がいる。

 そこはちょっぴり情けない。

 師匠と同じ術式を使う僕が、他の賢者様の力に魅了されてしまうのは、なんだか裏切りのようにも感じるから。

 感動してしまったこと仕方がない。

 なら僕がやるべきことは、その上で見せつけること。

 師匠の術隙が、他の賢者様より優れていることを証明することだ。

 だから――

「その支配権、奪わせてもらいますよ」

「へぇ、見せてくれ」


 僕は続けていた氷柱と凍結の攻撃を一時的に解除して、両手を合わせて魔力を一瞬で高める。

 おそらく難しいけど、これで捕まえられるならそうしたい。

 出来るだけ一瞬で、この部屋全てを凍結させる。


「氷麗操術――【氷花の陣】」


 僕の足元を中心に、氷の茨が四方へ伸びる。氷の茨が触れた箇所が一瞬で凍結して、さらに凍結は周囲の地面や壁に伝わり、そこから新たに氷の茨が生まれる。

 茨は木々や地面、壁などを伝って絡まりながら広がる。

【氷花の陣】も同様に、壁や地面に天井、この部屋を囲むように広がった。

 時間にして約三秒で、訓練室の六方は氷の茨によって支配された。


「驚いたな! こうも一瞬で氷の部屋を作り上げてしまうなんて! けど、甘いね」

「やっぱり捕まえられなかったか」


 凍結が及ぶ直前、彼は地面を蹴って飛び上がり、そのまま空中に立っている。

 足元には何もない。

 おそらく空気を圧縮して足場にしているんだ。


「部屋全体を凍結させるっていうのは凄いけど、俺は風を操れるんだ。空を飛ぶことだってこの通り簡単なんだよ?」

「そんなこと知ってますよ」


 僕は右手をかざし、周囲の茨を操る。

 凍結した茨が四方八方からセトさんに襲い掛かるが、彼には届かない。

 全て彼に当たる前に軌道をずらされてしまう。


「無駄だよ。部屋の壁は君の支配下だけど、この大気はまだ俺の支配下にあるんだ。どんな攻撃も届かない」

「それもわかってます。だから当てるための茨じゃありません」


 軌道をずらされた茨はセトさんを避けて反対側の壁や床、天井に届いて繋がる。

 他の攻撃も同様に、外れた先で結合する。

 伸びた茨はそのまま残り、網目状に交差してセトさんが動けるスペースを狭めていく。


「なるほど。蜘蛛の巣のように井畑を張り巡らせて、俺が自由に動ける空間を削っているのか。ただそれでも甘い。残っている空間さえば攻撃は出来るよ」


 言葉通り、茨がない空間を使って風を操り、僕の背後から風の弾丸が飛んでくる。

 すでに予想していた僕はそれを氷の壁で防御した。

 さっきの風の刃より威力が弱い。

 支配できる空間が狭まり、扱える大気の総量が減ったことで威力も落ちたんだ。

 これだけでもさっきまでよりは戦いやすい。

 だけど一番の問題は、彼に攻撃が届かないことにあった。

 攻撃が届かなければ勝利はない。

 あと一手、もう一歩先に進む必要があるんだ。


「まさかと思うけど、このままこの部屋を埋め尽くすつもりかな?」

「いいえ、そんなことしてもどうせ、貴方の周囲は守られるんでしょ? だからこうします」


 僕は心の中で唱える。


 ――砕けろ。


 次の瞬間、彼の周囲に伸びていた氷の茨が一斉に砕け散った。

 砕かれた茨は氷の粒になり、大気を霧状に舞う。

 その幻想的な光景の中で、僕はセトさんに宣言する。


「これでもう、ここは僕の空間です」

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