84.風来たる

 楽しいことしている時、人は時間を意識しなくなる。

 だから気づけば時は流れていて、太陽がオレンジ色に染まり始めてようやく気付かされる。

 デートに夢中だった僕たちは、気づけば夕暮れ時になっていた。

 僕の右手にはデート中に勝った服の入った紙袋がさげられている。

 反対の左手は、今日一日ずっと師匠の右手と繋いだままだ。


「はー楽しかった!」

「満足して頂けましたか?」

「うん! 大満足だよ!」

「それは良かった」


 今日のデートにご満悦の師匠は、たぶん今朝どうして怒っていたかなんて忘れてしまっただろう。

 それくらい清々しい表情だった。

 師匠は僕と同じ歩幅で歩きながら大きく背伸びをして両腕を上げる。

 繋いだ手も一緒だから、僕の左手も師匠の背伸びに合わせる。


「くぅーっと、偶にはこんな日もあって良いよね」

「そうですね。平和に、のんびりできるのは良いことですよ」

「うん。でも残念だな。せっかく楽しかったのにもう終わっちゃうんだ」


 師匠は切なげに、西の空に沈んでいく夕日を眺める。

 夕日が徐々に沈んでいく様子は、楽しい時間の終わりを意味していた。


「まだ終わりじゃないですよ」

「え?」

「帰宅したら終わりなんて決まりはありませんからね? 今日が終わりまで……いや、眠るまではデートです。今夜は昨日より寝るのが遅くなりそうですね?」

「ぅ――もう、バカ……でも、ありがとう」


 師匠の右手に力が入る。

 触れ合った手から師匠の熱が伝わり、表情からドキドキも感じられる。

 誰から見ても良い雰囲気だ。

 このまま二人きりになって、誰の目もない場所でイチャイチャしたいと思えるほどに。

 師匠もきっと同じ気持ちで、だから互いに歩くペースが早くなる。

 さっきまで帰りたくないと思っていた足が、今は急かす様に動いている。

 師匠はわかりやすいな。僕も同じだけど。


「だ、誰か!」

「「――!?」」


 大通りを抜ける手前で、女の人の叫び声が聞こえた。

 僕たちは慌てて立ち止まり、声がした方を振り向く。


「なんだ?」

「フレイ! あの人だよ!」


 師匠が先に見つけて指をさす。

 僕も遅れて視線を向けると、往来でしゃがみ込んでいる女性を見つけた。

 彼女は正面を指さして叫ぶ。


「ひ、ひったくりです! 私のバックが!」

「ひったくり?」


 彼女が指さす方向には、女性物のカバンを小脇に抱えて走る男の姿があった。


「フレイ!」

「わかってますよ師匠」


 まったくこの街には困ったものだ。

 せっかくいい雰囲気だったのに台無しじゃないか。

 逃げる窃盗犯に向けて右手をかざす。

 そうしながら僕は、いつの日か同じような出来事があったことを思い返す。

 賑やかで繁盛しているのも考えものだ。

 どうしても一部、邪な考えを持っている人間が紛れ込んでしまう。

 呆れながら僕は術式を発動する。


「氷麗操術――【氷柱落とし】」


 逃げる男の正面に氷柱を生成して落とす。

 当てるのではなく道を塞ぐように。男は慌てて止まろうとするが間に合わず、そのまま氷柱に激突。


「ぐはっ……」


 衝撃で倒れながら、抱えていたバッグを放り投げてしまう。

 バックが宙を舞い、人混みのほうへと落ちそうになる。


「しまったカバンが――!?」


 その時だった。

 僕たちの間を通り抜けるように、鋭く冷たい風が吹いたのは。

 それはただの風ではなく、魔力が込められていた。

 風は優しく宙を舞ったカバンの元へ駆け抜け、人混みに落ちる手前で掬いあげる。

 そのままゆっくりと宙を浮かんで持ち主の元へと移動していく。

 しゃがみ込んでいた女性の隣には、風を操る緑色の髪をした人物が立っていて、かざした右手に従うように、カバンが彼女の手元に戻る。


「はい。今度は取られないように、しっかり持っておくようにしましょうね?」

「あ、ありがとうございます!」

「お礼は俺じゃなくて、彼に言ってあげてください」

「え、彼?」


 彼は僕たちのほうを指をさし、カバンの女性がこちらを向く。

 こっちへおいでと手招くされたので、僕たちはそれに従い二人に歩み寄る。


「彼が氷の柱でひったくりを止めてくれたんだよ」

「そ、そうだったんですね。ありがとうございました」

「いえ。お怪我はありませんか?」

「はい。どこも怪我はしていません。本当にありがとうございます」


 何度もお礼を口にする女性を見送って、倒れたひったくりを拘束してから衛兵に引き渡す。

 そんなことをしていたらすっかり日が暮れて夜になっていた。


「御料力感謝いたします!」


 事情の説明が終わって、衛兵が僕たちに敬礼をして去っていく。


「やっと終わったよぉ……」

「終わりましたね。もうすっかり夜になっちゃいましたか」

「いやーまったく災難だったね君たち。いや、災難はカバンを取られたあの女性か」


 隣で彼は陽気に笑う。

 長く綺麗な髪は一見して女性と間違えるほどで、声を聞かなければ僕も彼が男性だと断言できなかっただろう。


「あの、さっきはありがとうございました」

「ん? ああカバンのことか? 気にしないでくれ。ひったくりを捕まえたのは君だし、俺はちょっと手伝っただけだよ。さて、そろそろ俺も行くかな」


 そう言って彼は人混みのほうへと歩き出す。

 背を抜けたまま顔を振りむき、右手を振りながら別れの挨拶を口にする。


「フレイ君、アルセリアさん、二人ともまた会おう」

「あ、はい」

「ありがとうございました」


 僕と師匠は軽くお辞儀を返して、彼が見えなくなるまで見送った。


「なんだったのかな? あの人」

「さぁ? でも……かなり腕の良い魔術師ですね」

「うん、それは間違いないね」


 カバンを救い上げた風は、彼の魔術が生成したものだ。

 簡単なように見えるけど、緻密なコントロールが要求される芸当を、彼は呼吸をするようにやっていた。

 何よりも、僕と師匠は気づいていた。

 彼から発せられる魔力が、周囲の風を穏やかに動かしていた。

 熟練の魔術師の魔力には属性が付与される。

 僕や師匠の魔力が冷気を持つように、彼の魔力も風を纏っていた。


「あれ? そういえば、なんであの人私たちの名前を知ってたのかな?」

「え、ああ……」


 確かに、僕たちは一度も名乗っていない。

 衛兵とのやり取りでも一度も口に出していなかった。

 どうして彼が僕たちを知っていたのか。

 そして最後、別れ際に彼はまた会おうと言った。

 予期せぬ事態から疑問を残して、僕たちのデートは終わる。

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