60.賢者の影響力
ヴォルガノフ火山の平均気温は五十五度。
それ自体が厳しいというわけではなく、問題は熱さの感じ方にある。
目の前のすぐ触れられる距離にマグマが流れていたり、空気中に灰が飛び交っていたり。
肌身に直接熱が触れる感覚を味わい続ける。
乾燥こそしないが、常に肌が焼けるように痛い。
呼吸するだけで喉がヒリヒリと焼けるようだし、目も大きくは開けられない。
加えてそれだけじゃない。
「想像以上に険しいですね」
「うん。やっぱりあいつの魔力が影響してるよ」
黒い大地やマグマから微弱な魔力を感じる。
通常では、植物や水、岩といった無機物にも魔力はある。
ただし弱すぎて、人間には知覚できない。
だけどこの土地は違う。
周囲から熱と一緒に感じられる魔力が、この土地の異常さを物語っていた。
思い返せばあの氷山も、微弱ながら魔力を放っていた。
他人の魔力は遺物だ。
それを長時間、近くで浴び続ければ身体に悪影響が出る。
「環境を変えてしまうほどの魔力……その性質。さすが賢者ですね」
「そうそう! 賢者はすごいんだよ~ まっ、その所為で普通の生活は出来なくなったし、考えてみると良いことのほうが少なかったけどね」
「賢者はみんな人里から離れた地で隠棲した。確かにそうですね」
賢者の影響力は大きすぎて、一般人たちとは交われない。
師匠のいた場所が氷山に、炎の賢者がいた場所が火山になったように。
存在するだけで周囲に影響を与えてしまうから。
「今では僕もその一人。この腕輪がなかったらと思うと……」
「大変だったろうね~」
「いや、それはそれで師匠と二人きりで邪魔されることもなかったのか」
「あれ?」
案外悪くなかったかも。
とか考えていると、後ろからシルバ兄さんが声をかけてくる。
「お前ら……本当に呑気だな。というか平気なのかよ」
「僕は大丈夫」
「私も平気だよ」
対して兄さんたちはかなり辛そうだ。
汗だくだし、魔力の流れも乱されている。
「あんた暑いの苦手っていってなかったか?」
「暑さは苦手だよ? でもほら、私たちの属性は氷だからね!」
そう言って師匠は右手を差し出す。
「身体の表面を魔力で覆ってるんだ。こうすれば外部からの影響を受けにくい。ついでに私たちの魔力は冷たいから熱さもしのげるから便利!」
「何だその怪しい道具の説明は」
「道具じゃないよ! 君たちだって魔力を纏えば楽になるよ?」
「魔力を纏うねぇ……」
師匠は簡単に言うけど、これが結構難しい。
魔力を流す、放出するというのは魔術師なら誰でもやっている。
意識的にやれて普通、反射的にできて一人前、自在に操れて一流。
師匠が言っているのはさらに上の技術だ。
魔力を放出し、表面に留めるだけでも難しい。
師匠の場合は魔力を身体の表面で走らせ、一部は身体に回収している。
どうしても完全に回収は無理だけど、そうすることで魔力消費を極端抑えることが出来る。
「コツがあるんだよっ。頭の上から水を流す感じかな? 水は身体のラインに沿って流れていくでしょ? だから回収は足からするの」
「簡単に言ってくれるな」
師匠は割と感覚肌だから、説明も端的で多くは語らない。
それでも兄さんたちは優秀だ。
これくらいは出来るはず。
「ふぅ……こんな感じか」
「やっぱり。兄さんたちは凄いな」
二人とも見よう見真似で魔力を纏わせる。
グレー兄さんは話を横で聞いていただけだったが、シルバ兄さんよりも早く発動させていた。
とはいえいきなり回収までは難しいみたいだ。
二人の魔力量は貴族の中でもずば抜けているし、多少の消費は問題ないだろう。
「うんうん! これなら心配なさそうだね!」
「ええ。さすが兄さんたちだ」
「まったくだよ。君のお兄さんってだけのことはあるね」
当たり前だ。
そうじゃなきゃ、協力すると言った時点で意地でも止める。
師匠だってそうしただろう。
二人を連れてきたのは、兄さんたちなら大丈夫だと思ったからで、それは間違いじゃなさそうだ。
いや、まだ判断するには早いかもしれない。
過酷なのはここからだ。
「先へ進みましょう」
「うん」
先、といっても明確な目的地はわからない。
ただし今回の場合は、周囲から感じる魔力が手掛かりにはなる。
かつて賢者が隠れ住んだ場所は魔力が特に濃いはずだ。
環境への影響も、賢者本人に近いほうが大きいに違いない。
魔神の心臓に関してはわからないままだが。
「一先ず賢者の隠れ家にお邪魔するとして……一番環境への影響が強かったであろう場所って」
「そうなんだよね~ たぶんあそこかな?」
僕と師匠は同じ場所を見上げる。
そこからは大量のマグマが流れ出て、今もちょうど噴火した。
揺れる大地に噴き出るマグマ。
この地が元はただの岩山で、それが火山になったとするなら、もっとも影響を受けた場所は火口の奥。
場合によっては、あのマグマの中に飛び込む必要すらありそうだ。
「っと、その前にまずは――」
噴火の揺れとは異なる地響きが僕らを襲う。
目の前にあった大きく黒い岩が動き出し、巨大な人型へと変化する。
「目の前の障害を何とかしないと」
この地に適応した魔物。
その強さは通常の魔物と一線を介する。
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