48.炎の魔神

 ほんの一瞬、空気の渇きを感じた。

 それも尋常じゃない速度で、周囲の水分が消えていった。

 唇が切れて、痛みで実感する。

 僕はそこ止まりだったけど、師匠は気づいた。

 

 それが――魔神の攻撃であることを。


 王城を、王都を、猛火が襲う。

 雨のように広域に、波のように高く、雲が作る影のように炎が飲み込む。

 もちろんただの炎ではない。

 燃えれば一瞬で灰になり、灰すらも消滅する魔神の炎だ。

 その一撃を受ければ、王都の街は灰燼に帰す。


 だから、王都の人たちは感謝しなくてはいけないと思う。

 ここに師匠という偉大な賢者がいたことを。


 氷の大結界――【氷花の陣】。

 

「っ……ギリギリだよもう」

「師匠」


 王都全域を氷の茨が覆っている。

 そのお陰で、魔神の一撃から守られた。

 反応できなかった僕も含めて、師匠がいなかれば全員死んでいただろう。


「チッ、防いだか。まぁ良い、まだ魔神様は寝ぼけているようだしね」

「……フレイ、今のうちに皆を避難させて、君も王都から出るんだ」

「何言ってるんですか師匠?」

「見ての通りわかるだろ? この結界を維持し続けるだけで精一杯なんだ。せめて昔の力が戻ってればよかったんだけど、今の私にあれと戦う余力は残ってない」


 そんなことはわかっている。

 腕輪を外して、今の師匠が全力を出しても、かつての力の半分にも届かないはずだ。

 その状態でむしろ、王都を覆うだけの結界を出せたと驚いているくらいだ。

 だからこそ、確実に無理をしている。


「長くもたないから、早く」

「……だったら僕が戦います。師匠は守りに専念してください」

「駄目だよ。賢い君ならわかるでしょ? 私が焦ってることくらい」

「……」

「あの魔神は、私が知ってる頃の魔神よりも強い。どういう理屈かわからないけど、強くなっているんだ。当時だって苦戦したのに、いくら君でも勝算は――」

「ゼロじゃないですよね? 大丈夫です。僕だって、自分の力くらいは把握してます」


 単純に魔力量だけなら僕の倍はある。

 師匠がかつての魔神より強いというのなら、それは正しいのだろう。

 止めてくれる理由も、僕のことが大切だからだと思えば、嬉しさしか感じない。


「今この場で、あれと戦えるのは……師匠を除けば僕だけでしょう。特級は基本的に不在だし、現代の魔術師の主力である一級じゃ歯が立たない。生き残るには、僕が戦うしかないんです」

「そ、そんなことないよ! 大丈夫! みんなが逃げてから私が戦うから!」

「それこそ駄目だ。師匠を死なせることだけはありえない。その方法だけは選びません」


 僕は空を見上げる。

 魔神はまだ動かない。

 あの男が何か話しているように見える。

 復活して間もないから、意識が完全に戻っていないのかもしれない。

 だとしても、いずれ動き出す。


 覚悟を決める時だ。

 魔神と戦うために、自分の命をかける覚悟を。

 そうだ。

 師匠を守るんだ。

 それくらいの覚悟なら、とっくの昔に決まっている。


「行ってきますね」

「駄目だよフレイ! 君がいなくなったら」

「いなくなりません。僕が師匠を一人にすることはありません。だから、勝つと信じてください。師匠が信じてくれれば、僕は絶対に負けない」

「フレイ……」

「あと、ちゃんと勝った後のご褒美を考えておいてくださいね? 今回は魔神が相手ですから、キスぐらいじゃ足りないですよ?」


 僕は朗らかにそう言った。

 強がりでも、安心してもらいたくて。

 すると師匠は、涙目になっていた瞳を拭い、精一杯に笑いながら言う。


「わかった! 期待してていいよ!」

「ありがとうございます。じゃあ見ていてください師匠! 今から僕が、師匠が最強だったってことを見せつけますから」


 僕は氷の翼を背中に生成し、力強く地面を蹴って飛び立つ。



「……ここはどこだ?」

「お久しぶりでございます。プロメテア様」

「オマエは……エクトスか」

「はい。ここはかつてあなたが賢者共と戦った地です。時はだいぶ経ってしまいましたが、再びお会いできて光栄です」

「ああ……そうか。お前が呼び起こしてくれたのか?」

「はい」


 鬼のような魔神の顔が、笑ったように見える。


「よくやった。何を望む?」

「もちろん、この世界を焼き尽くすことです! 手始めにまずはこの地と――」


 エクトスと視線が重なる。


「邪魔な賢者とその弟子を消しましょう」


 これが炎の魔神……迫力だけでも凄いな。

 身体が熱を帯びている。

 近づいただけで、喉が渇く。


 それに魔神は会話が出来るのか。

 動物やモンスターとは明らかに違う。


「賢者……氷の賢者か。この光景は懐かしい。あの時も、氷海の上で戦った! ああ、腹立たしい、腹立たしいぞ」

「ええ。その弟子が目の前にいます」

「そうかそうか。オマエが弟子か? 人間」


 魔神と視線が合う。

 それだけでも、背筋がぞっとする。


「ああ。僕はフレイ、氷の賢者アルセリア師匠の弟子だ」

「氷の賢者」

「そうだ。今からお前を倒すぞ」

「倒す……倒すか。滑稽だな」


 魔神の背後に、無数の火球が生成される。

 十や二十という数ではない。

 空を埋め尽くすほど広域に、火球が宙に浮かぶ。


「オマエに我と戦う資格があるのか。まずは、それを確かめよう」


 あれを王都に降らせるつもりなのか?

 そうはさせない!


「氷麗術式――」


 向こうが火球を降らせる前に撃ち抜く。


「【千刃氷柱せんじんつらら】」


 僕は背後に、巨大な氷柱を生成。

 その数千本。

 魔神の火球に向けて一斉に放ち、火球を破壊する。

 爆発の轟音で氷の茨が揺れる。

 振動は大地まで伝わり、人々の視線を上にあげる。


「資格なら、これで十分だろ?」

「そうか、そのようだ」

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