9.食事処ネメシア
助けた女の子の名前はフローラという。
僕と同い年で、母親の飲食店を手伝っているそうだ。
両手に持っていた荷物も、母親に頼まれた買い物の品で、盗まれそうになったお金は、母親から預かったものだったらしい。
「あ、あのやっぱり私が持ちますから」
「いいですよ。女の子に重い荷物を持たせて、自分だけ手軽なまま歩くなんて格好悪いですから」
「で、でも助けてもらったばかりなのに」
「フレイが良いって言ってるから気にしないで。やるって言ったら聞かないから」
「は、はい」
フローラは申し訳なさそうに顔を下げていた。
師匠が気を利かして、彼女に言う。
「それに今からお礼をしてくれるんだろ? それで十分だよ。もうお腹ペコペコだから」
「師匠は特にそうですよね」
「そうだよ。こっちは千年ぶりの食事になるんだから」
「千年?」
「ん? ああ、実は私――」
「あー師匠! その話はまた今度で」
わざとらしく話を逸らす。
フローラは不思議そうな顔をしている。
僕は師匠の耳元でささやく。
「どうしたんだい?」
「師匠の正体は秘密にした方がいいですよ。変に広まったら大騒ぎになるし、信じてもらえない可能性もありますから。その場合は大嘘つきとして有名になりますよ」
「むぅ、確かに……その方が良さそうだね」
師匠も納得して、その場は笑って誤魔化していた。
誤魔化せてないと思うけど、フローラは空気を読んで何も聞いてこなかった。
そのまま歩くこと十数分。
「ここです」
「食事処ネメシア」
「花の名前だね」
「そうなんですか?」
「うん。オレンジ色っぽい花で、確か素直って意味が込められてたと思うよ」
師匠がフローラに視線を送る。
「は、はい。そうです」
「へぇ~ 師匠よく知ってましたね」
「伊達にいろんな地を巡ったわけじゃないさ!」
「さすが師匠。可愛い上に物知りなんて無敵ですね」
「だ、だからそういうのは人前で言うなぁ」
照れている師匠も可愛いなぁ。
と惚気る僕たちをフローラが困った顔で見ていた。
それに気づいて、改めて尋ねる。
「お邪魔してもいいのかな?」
「は、はい。どうぞ中へ」
僕たちはフローラに案内されて店内へ入った。
まだ営業前らしく、中には誰もお客さんはいない。
入ってすぐにお金を払う受付があって、奥には階段もある。
建物は三階建てみたいだったけど、上も席があるのだろうか。
「ただいま、お母さん」
「おかえりフローラ。ん? そちらのお二人は?」
「こんばんは」
「え、えっと、さっき――」
フローラが母親に事情を話してくれた。
「そうだったのかい! うちの娘を助けてくれてありがとね。えーっと、あんた名前は?」
「フレイです」
「フレイ君ね。そっちは……妹さんかい?」
「むっ……」
師匠が怒りそうになって我慢している。
悪気はないとわかっているから、怒鳴ることも出来なくて微妙な表情だ。
「おや違ったのかい?」
「この方は僕の師匠で、大切な恋人です」
「アルセリアです! こう見えてフレイより年上です」
「あらそうだったのかい、これは失礼したね。あたしはセリアンナだよ。娘の恩人ならいつも以上に張り切って作らないとね。まだ開店前だから自由にしてて」
そう言ってセリアンナさんは厨房へ向かった。
「わ、私も手伝う」
「あんたは二人のお相手をしてなさい」
「……うん」
フローラはショボンとして、僕たちの近くに座った。
特に話題があるわけでもなく、シーンとなった。
今さら気づいたけど、ここ数年師匠としか会話してこなかった所為もあって、他の誰かと何を話せばいいのかわからなくなっていた。
それでも何とか絞り出そうと試みる。
「え、えっと……フローラはいつから手伝いをしてるの?」
「ち、小さい頃からです。五歳くらいから」
「凄いね」
「す、凄くないです。ドジばっかりだし、料理も……下手だから」
セリアンナさんが彼女に僕たちの相手を頼んだのは、料理が出来ないからなのか。
「あ、あの、師匠っていうのは?」
「ん? ああ、私たちは魔術師なんだよ」
「魔術師」
「そう。僕が王都に来たのは、魔術学園の試験を受けるためなんだ」
「私はそれについてきただけ。フローラも同い年なのよね? 試験は受けなかったの?」
「え、あ……その……私には魔術の才能が、なくて」
適性検査は十歳になった子供全員が受ける。
ただし、全員が適性を持っているわけではなく、半数以上は適性がない。
適性には遺伝が大きく関係していて、貴族の血筋ならともかく、一般家庭の子供には適性がないことが珍しくない。
そう言う意味では、一つでも適性があった僕は幸運だったのだろう。
「そうなんだ。昔とはずいぶん変わったのね」
「師匠の昔と比べちゃダメですよ」
「それもそっか」
「あ、あの……笑わないんですか?」
「「え?」」
「だ、だって……魔術の才能がある人は……みんなそうだから」
フローラが怯えたように言う。
この国において、魔術師の才能の有無は、そのまま国民としての価値に繋がる。
中にはプライドが高くて、非術師を見下す者もいた。
たぶん、彼女もそういう者たちを見てきたのだろう。
「心配しないで。少なくとも私たちはそんな風に思わないから」
「ですね。才能うんぬんで言えば、世間ではあまり誇れる立場にないですから」
一度は家を追い出されているし。
「それに人の価値は、才能の有無で決まったりしない。その人の努力とか、優しさが大切だと思います」
「そうね。良い答え!」
「……」
「フローラ?」
「どうしたの?」
「な、何でもありません! ただ、その……ありがとうございます」
小さく消え入りそうな声で、彼女の口からお礼が聞こえた。
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