第63話 学校祭①
***
学校祭、当日。
見慣れた校舎が、今日ばかりは大がかりな立て看板や垂れ幕色とりどりの装飾に彩られ、学校中が学校祭色に染まっていた。
雨が危惧された天気は、予報が外れて清々しい晴れ間が見える。そんな天気のよさも相まってか、一般公開が始まろうとする今、学校中が期待や緊張に飲み込まれ、騒々しさと慌ただしさに包まれている。
そんな雑踏の中、今、この学校一心に余裕のないであろう人物が、一人いた。
……俺のことだ。
『……さー、ついにやってまいりました! これから皆さんお待ちかね、一般公開の時間が始まります。今年も個性と熱量たっぷりの企画が目白押しです。最もお客さんの支持を集め、見事今年のコンテストを制するのは、どの企画なんでしょうか!?』
校内放送のスピーカーから、実行委員会の暑苦しいアナウンスが響き渡る。体育館で行われているオープニングの様子が、中継で流れているのだ。途端に、緊張してきた。手汗がじんわりと滲み、鼓動が早くなる。
『そして何と! 今年開始のカウントダウンを担当してくれるのは、みんなが大好きな――この方!』
二、三回、マイクにノイズが混じり、
『……あの、どうも。……教育実習生の、叶戸かなぎです。……実習生の分際で、こんな大役を任せてもらうのは、……すっごく心苦しいんですが……』
いつもに増して、震える声の輪郭。
しかし、その声が校内に響きわたった瞬間、
『ふおおお―――――うッ!!』
『うええーい!』
『かなぎちゃーん! 可愛いー!』
『そんなことないよー!最高ー!!』
マイクが次々と遠くの歓声を拾い、会場の盛り上がりはさらに加速して、
『じゃあ、さっそく、言ってもらいましょう! カウントスタート!』
『……は、はい、……十』
『じゅ―――ッ!!!!』
『……九……』
『きゅー―――ッ!』
叶戸先生の繊細なカウントを、最高潮に盛り上がったオーディエンスが、山びこのように復唱し、
『……ゼロッ。……い、一般公開、はじめまーすッ!!』
『エー―――――――イッ!!』
スピーカーのみならず、学校中から歓声が湧き上がり、受付で待機していた一般客も、栓を抜いたかのように入場してくる。
そんな、動き始めた学校の中で。
「……ひ、ひなくん!」
人ごみの中を、スーツ姿の美少女が駆けてくる。
「こ、こっちです!」
俺は、すぐさま彼女を更衣室前へ誘導し、
「これ、着てください! 今すぐに!」
「は、はい!」
そう言って、大きな紙袋を手渡す。
「次の出番、五分後です! なるべく急いで」
「……うん、わかった」
紙袋を受け取った叶戸先生が、更衣室の中に慌ただしく消えていく。
その背中を見送っていると、ふいに昨日の出来事が浮かんでくる。
『……本当に、すみませんでしたッ!』
学校祭前日の金曜日。
始発の新幹線で帰ってきた俺たちは、その足で学校に直行し。
『……』
社会科準備室で、二人して頭を下げる。
相対しているのは、もちろん古松だった。
『……それで? 謝って、どうする? 君一人の勝手な行動のせいで、迷惑をこうむった人間がどれくらいいると思う? ……なのに、よくのこのこ戻ってこれたね、本当』
『……そんな、叶戸先生はッ』
『花倉は、黙ってな』
古松は一切俺の方を見ず、
『……君がしたことは、立派な契約違反、社会人として失格だ。本来この教育実習というもの自体、学校からすると何のメリットもないボランティアだし。そんな大人として当然の行動もできない学生に、わざわざ実習に来てもらう意味はないんだけど?』
その視線はいつになく厳しく、叶戸先生に向けられる。
しかし、
『……おっしゃる通りです、古松先生。……でも、』
古松の視線に、一切ひるむことなく、
『……もう一度だけ、チャンスが欲しいんです』
叶戸先生が、深々と頭を下げる。
『……逃げてみて、わかりました。いっぱい、考えました。自分は教壇に立つのに、ふさわしくない人間で。自分でも、それはわかってます。ひな……花倉君のことも、そうです。先生が何度もおっしゃっていたように、百パーセント悪いのは私で、全部が自業自得だってわかってます。……ただ』
『……だからって、このまま諦めるのは嫌なんです! 私、授業したい。もう一度、学校のみんなと、ちゃんと向き合いたいんです! 甘いって言われるのは、わかってます。何なら、単位なんて要りません。もう一度、再履修してもいいです。……でも、どうしても、どうしてもこのままじゃ、終わりたくないんです!』
『…………』
張り詰めた空気の中、叶戸先生の悲痛な声が、部屋に響く。
『お願いします! ……もう一度、私を実習生にしてください! 私に、もう一度、もう一度、やり直すチャンスをくださいッ! ……お願いしますッ!』
ひたすらに頭を下げる叶戸先生。
俺も、続くようにして、頭を下げた。
しばらくの間、社会科準備室を沈黙が支配して。
『………………はあ』
頭上から降ってきたのは、ため息だった。
『……もう知ってると思うけど、俺さ、めんどくさいの大嫌いだから』
本当に心底面倒くさそうな口調で、古松は言い、
『……だから、悪いけど、』
『……実は、実習中断のこと、まだ上にあげてないんだわ』
『……』
『……』
『……へ?』
思わず顔を上げる。
言っている意味がわからない。
『……いやー本来実習を辞めるとなるとなー、校長と可否を決めたり、大学と連絡したり、色々と忙しくなるわけよ。……でも今ってさ、明日、学校祭ですって時だろー? ……正直俺としては、是が非でもそんな面倒ごとは避けたかったわけで、てきとーに病欠で済ませてるもんで……』
そこで古松は、へらへらしたいつもの半笑いに戻り、
『……つまりなー、』
『……まだ、叶戸サンは教育実習生のまま、てこと』
『……!』
『……ほ、ほんと、……ですか?』
信じられない、という風に、叶戸先生が訊く。
そんな実習生を前にして、指導教官はめったに見せない照れくさそうな顔で。
『……ああ、……だって叶戸サン、頑張ってたじゃん、実習』
『……っ』
『……がんばってる若い子に水を差すなんて、そんな老害にはなりたくないからなー。ましてや闘病からの大検をクリアしてきた苦労人でしょ? すごいと思うわーおじさん。……だからさ、がんばってよ……』
『……ね、叶戸、先生?』
その瞬間、彼女の目元が一気に潤んで。
『…………あ、ありが、とう、ございま……』
『あー、ちょい泣かない泣かない、大人なんだから。……花倉―、ほれ、出番出番」
そう言って向けられた古松の背中が、いつもより少しだけカッコよく見えた。
『――ごめんなさい!』
その後、続けて俺たちは関係者全員の前で、頭を下げる。
『……信じられないくらい、迷惑かけたと思います。全部、私の未熟さのせいです。みんなの大事な学校祭なのに。本当にごめんなさい。……でも、もしまだ、こんな私でもみんなの役に立てるなら、……もう一度、一緒に学校祭やらせてください!』
『…………』
『……顔上げて、叶戸先生?』
『そうだよ、あれから俺たちもみんな、……反省したんだ』
『……前、ジャーマネが言ってたよな。叶戸先生忙しいのに、俺ら自分の都合押しつけすぎだって。……だから、きっと俺らにも責任あるわ』
『……そんな、そんなこと……』
『ううん、……だから、こっちこそ、ごめんなさい』
叶戸先生を囲む全員が、次々と頭を下げる。
謝っているのはこっちのはずなのに。
『……みんな……、』
『……お願いしなきゃいけないのは、ウチらの方だから。だから、叶戸先生……』
様々な企画の責任者が、みな声を揃えて。
『『――こちらこそ、もう一度、お願いします!!』』
その光景を目にした叶戸先生が、みるみるうちにウルウルし、
『……うん。……うん、ありがとう……みんなっ』
一筋の涙と共に見せた笑顔に、学校中が恋をしたという。
「お、お待たせしました」
ふいに聞こえた声に、俺は我に返る。
……いけないいけない、今は一分一秒を争うスケジュールの真っ只中。気を抜いている余裕はないというのに。
心の帯を締めなおすように、俺は咳ばらいをして振り返り、
「……ひ、ひなくん、本当に、これでいいだよね?」
「……っ」
目の前に広がる光景に、心を奪われる。
白いフリル付きエプロンに、黒のスカート。
スラっとして綺麗な彼女の脚は、白いガーターベルトで隔てられており、その頭にはもこもこの猫耳が鎮座している。
見るものすべてが言葉を失って、振り返るほど。
そこには、叶戸先生がいた。
否、超絶可愛い、猫耳のメイドさんだった。
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