第62話 同衾

 ***




『突然のメッセージ、失礼する。御厨ガブリエルだ』



『……誰かって? お前の同乗者が廃車にした車のオーナーだ。ま、それはひとまず置いておくとして、俺はお前、『ひなくん』ないし、あのペドの連絡先がわからなかったので、一旦ギャルのスマホを借りている。連絡先を開いた時に『ひなくん』を先に見つけたから、とりあえずお前に連絡している次第だ。違和感、許せ』



『当のマリア本人だが、先ほど無事処置は完了した。今は寝ているところだ。全治一か月だそうだが、あのギャルはもっと早く回復しそうな気もする。安心していい』



『ただ、さすがにこの状態のコイツを残して戻るのも、なんだからな。今日は俺もこっちに泊っていくことにする。車のレッカーの件も、明日にならないと、どうにもならないみたいだしな。とりあえず今日は一泊して、明日の早朝に俺がお前らを迎えに行こう。……マリアから聞いたが、明日、新幹線、乗るんだろ?』



『ということで、もう夜も遅いし、お前らはその旅館に泊まっていったらいい。無論、部屋は好きに使ってもらって構わない』



『……一部屋しかない? ……何を今さら。マリアから話は聞いた。気にしているかもしれないが、見合いの件は単なる付き合いだ。心配しなくても、お前の彼女に手出しをするつもりは微塵もなかったし、してない』



『……と、いうことで、何の気兼ねもなく、お前が手出しをしたらいい。以上だ』 



『PS『例の件だが、どんなに時間がかかっても、クオリティだけは落とすな』と、お前の彼女に伝えておいてくれ。ではな、健闘を祈る。   御厨ガブリエル  』





「……」

「……」


 和室の中央。

 清潔に洗濯されたシーツのいい匂い。




「……あの、なーちゃん」

「……なに、ひなくん」


 

 視界に見えるのは、枕もとの間接照明に照らされた、薄暗い和室の天井で。梁の細部に至るまで、シンプルながらも、立派な装飾が施されていることに感心しつつ。 



「……これって、その……同衾ですよね?」


 

 すぐ隣にいる、年上幼なじみに声をかける。当然のごとく布団の一辺と一辺は接していて、いわば新婚状態。それに加えて、彼女から香る湯上りの匂いは、心なしかいつもよりも大人っぽく感じられて、すでに寝転がっているのに、卒倒しそうになる。

 

 そんな俺に、なーちゃんはそっと囁くような声で。


「うん。……ひなくんと、……どうきん」


「……」

「……」

「…………っ」




(~~~~~~!!!!!!!)

 



 悶える。


 やばい。

 どうしよう。


 好き勝手に想いを伝えてみたら、思いのほかしっかりと打ち返されてしまった。



 こんな日が来るなんて、夢にも思わなかった。嬉しすぎて、ガチで鼻血が出そう。



 ……それにしても。



 改めて感じる、布団の下。



 ぎゅー。



 ……何この手、離れないんですけど。


 ずっと恋人つなぎなんですけど。


 可愛すぎるんですけど。


 ……いや。でも。


 それよりも問題なのは、と。


 頭の中を駆け巡る、先ほどの混浴風呂。


 目を逸らしつつしも、バッチリと目に入った彼女の綺麗な肢体。抱きしめた時、びっくりするくらいすべすべで柔らかった、その完璧な感触。


 アホになるくらい、何度も何度も回想するのを、やめられない。



 ……い、今となっては、なんで我慢できてたのか、わからない。



 片想いの力すげえ! 半端ない! でもそれ以上に。


 なにこの、両想いになった瞬間湧き上がる、強烈な誘惑と引力! 手を出した過ぎて、頭おかしくなりそうなんですけど!!



 悩める心を誤魔化すかのごとく、姿勢転換をする。


 そのままあわよくば、と横目で盗み見ると、


 当然のように、目が合って。



「……っ」



 どこかぽーっと、惚けたような視線が、みるみるうちに潤い。


 大きな美しい瞳が、すごく恥ずかしそうに俺を見上げて、



「……ひなくん?」



 俺だけに向けて、小さく微笑む。




(うおおおおおおおおおおおおおおう!!!!! キュン死するううううううううう!!!!!)



 ……などとは、もちろん口には出せず。



「……い、いえ、なんでも」


「へんなの、ひなくん……」


 心なしか、さっきからやたら『ひなくん』と言っている気が。いや、自意識過剰なだけか。


 とにかく、この状況はよくない。今まで何度か『同衾』といえるような状況があったのは事実だが、今回はその比じゃない。告白をした後の、変なテンションの高まりとかもきっとある。でも何より。


 ……このままだと、朝まで我慢できる自信が、マジでないから、と。


 俺は泣く泣くこの至福の時間を、終わらせにかかる。



「えと、そ、そろそろ、ね、寝ますか!」


「……」


 返答がない。


「もう、結構遅いし、明日新幹線に間に合わなきゃなので、朝早いですし……」


「……」


 またしても返答がなく。


 え、無視?


 なんで?


「……えと、あの……?」


 困惑のまま隣の彼女を見下ろすと、


「……むー……」


「えっ……」


 なーちゃんは、何やら少しだけ不機嫌そうな顔で。


「……イヤ」


「ええ、な、なんで?」


「……」


「だってまだ、」


「……ひなくんの顔、見てたいのに」


「……ぐっ、」


 必死に抑えた欲望の城門に、ぶっとい丸太を叩きつけて、力づくでこじ開けるかのごとく。



「……な、何言ってんですか。そ、そんなの、見てもどうしようもな……」


「どうしようも、ある。……だって、」



 そう言って恋人つなぎに絡んだままの俺の指先を、嬉しそうに頬へあて。



「…………すき、だから」



 もうダメだ。


 身体が勝手に動く、一歩手前。


 手を伸ばして、彼女を引き寄せたい欲望が、身を焦がすじゃ済まないくらい全身を駆け巡り。



「……ッ」



 でも、同時に心に浮かび上がるのは、実習初日の、翌日の出来事。



 古松が言った、『アウト』の言葉。


 

 ――いくら両想いでも、俺はまだ、高校生で。なーちゃんは、教育実習生だ。



 その一線を越えるのは、きっとまだ、早すぎる。


 なのに。



 ――頭がおかしくなりそうなくらい、目の前のなーちゃんのことが、可愛くて仕方ない。




 苦悩のあまり息が苦しくて。


 それが、どうやら表情に出ていてしまったらしい。


「……ひなくん、大丈夫?」


「えと……その、大丈夫じゃないんですが、色々と」


「……色々? ……どういう意味?」


「いや、それは……、俺の口からは絶対……」


「もしかして、……えっちなこと?」


「ぶふッ!?」


 思わず噴き出した。


「なななんでわかって!?」


 焦る俺を尻目に、


「……ひなくん、顔真っ赤。……すごく可愛い」


 にこやかにそう言った彼女は、白く滑らかな頬をほのかに染めて。


「……そんなの、」



 震える声で、城門の内側から欲望の扉を粉砕した。




「……私も、同じだから……」




「――」



 言われた言葉の意味が、入ってこない。


 同じ、って……、


 ……そ、それって?


 と、いうことつまり……、


 ――つまり!?



「……でも、今はだめ」



「――え?」


「  」


「  」


「…………ッ、きゅおううううう!?」


「……っ、ひなくん、すごい顔……」


「そりゃあ、俺も男ですから!! なんですかその、『おあずけ』発言! 今、これまでの人生で初めてなーちゃんのこと、『鬼』って思ったよ!」


 半泣きで抗議する俺に。


「……ごめんごめん。でも、ひなくん、言ってたから」


「え?」



「……甘やかして、くれるんでしょ? 私のこと」



 最愛の幼なじみが、暗闇でもわかるほどに、その頬を真っ赤に染めて。



「……なら、今は待って。……ひなくんが、堂々とそういうことができるような歳になるまで。……えと……私、その」



 繋いでいない方の手で、その小さな口元を隠すようにして。




「……とって……あるから。……ひなくんのために、まだ……、ほかの誰にも……だから、その、……その時になったら、その……」



「……も、もらって……ほしい……から。……わたしの……は、はじ…………」



「……っ!」





「……あ、そ……、そんな、み、見ないで……」


「す、すみません!」


 耳まで真っ赤に染まる彼女から、俺は慌てて顔を背け、



「や、約束します!」


「!」


「……俺、ちゃんと我慢する、そして、……いつか、いつか、なーちゃんを、もらいにいくからッ」


「……ほん、と?」


「ほ、ほんとです! ……ただ、その……、言いにくいんですが」


「?」


「お、俺の方も、多分未使用です、すみませんッ……!」


「……」


 一瞬、変な間が空いて、


「す、すみません! 変なこと言って!」


「……う、ううん、こっちこそ……」



「……」

「……」



「……お、おやすみなさい」


「……うん、おやすみなさい」



「……」

「……」



「……」

「……」




 まったくもってお察しの通りだが、




 ……眠れるわけが、なかった。





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