第58話 悪あがき




「ちなみに、専門は小児科で」


「……お、お巡りさん! ここに性犯罪者が!」


「待て待て、俺はこれでもプロだ。患者に手を出すような真似はしない。……いくら性癖がロリコンと言われるものだったとしてもな」


 ……ホントだろうか。


「そもそもロリコンである前に、俺は医者だし、いっぱしの社会人だ。その辺の理性は人一倍固い自信もある。だから法を犯すような真似は絶対にしないし、何より子どもを怖がらせたくない。……それに」


「……ロリなら誰でもいいわけでもない。むしろ、たった一人のロリのことだけを考えて生きている。好きになった人が、たまたまロリだった、それだけのことだ。過去の話だがな」


「え……、片想いってそういう……?」


「……今は、もうその人はいない。正確に言えば、変わってしまった。俺はその、かつて実在した人物の思い出だけを、糧に生きているようなものだ。いわば霞み食う仙人だな。……だから、その他の女児に、何ということでもないんだよ」


「……そ、それは」


「そういう意味では、君は似ている、俺と」


「…………」


 心底どうかと思うが、確かに自分の望む状況と似ていなくもない気がする。心底どうかと思うが。


「……君がペドを否定しても、年下の男児に恋したことは事実。そしてそれを、君は忘れたくないと思っているんだろう?」



 確かにそうだ。


 ひなくんのことを忘れるくらいなら、生きている意味なんてない。


 マリちゃんに、他の人に何を言われようと、……私は、そうなのだ。



「……どうしたら、いいですか」


「どうしたら、永遠に手に入らない片想いを、人生のお伴にできますか?」


「……」


「君、たしか絵描きだったよな?」

「……ええ、一応、美大生ではありますけど」

「なら、絵を描こう」

「絵?」

「芸術はいい。そこには時間も空間も、物理的なものや精神的な壁も一切なく、自分の願いや望み、愛欲と後悔をぶつけられる。……俺はな、思うんだ。芸術を生み出した古の先人は、きっと何かしらの片想いをしていたと。……絶対に手に入らないものを求めて、ひたすら生き続けるには、それくらいのガス抜きが、必要なこともあるんじゃないか、と」


「……なるほど」



「……それは、一理あります」


 一見めちゃくちゃ、だとも思う。芸術に昇華して自己満足に浸るなんて、安直で一切の解決を拒む、現状維持以下の何物でもない反ポジティブ行為。


 でも、私は同時に知っていた。

 大抵絵筆がはかどるのは、存外にそういう時なのだと。そしてそれこそが、芸術が人生を豊かにする所以である、とも。



「君、漫画みたいなの描けるか?」

「え? ……はい、……お手本みたいなのがあれば、一応」


 何のスイッチが入ったのか、目の前の長身が急に身を乗り出し、


「マジか!!」

「……え!?」


 困惑する私に向かって、


「なら同人誌、書かないか!? ロリの!!」


「か、書きませんっ!」

「そこを何とか、金なら払う、言い値で払うから!」

「そんなこと言ってもダメです! ……だってその、……え、エッチなヤツですよね?」


「無論だ!」


「無理です!」


「そこを何とか! 何なら、エロ無しでも構わん! 構わないから、俺の思い出を、漫画にしてくれないか!?」


「……」


 そこで、ようやく思い当たる。

 

 従兄さんが今日一番の食いつきを見せているのには、きっと理由があって。




「……あの、それはたった一人の、『その人』の、ですか?」


 私の問いに、従兄さんはゆっくりと顔を上げ、


「……ああ。俺もこの先、長い人生だ。こんな性癖を、思い出を抱えて、俺は生き続けなきゃいけない。気が付くと、もうずいぶんいい歳になった。家のことを考えると、そろそろ別の誰かと結婚するべきなのは、明白だ。……なんて思うと、……案外、結構苦しくてな……」


「…………」


「ま、別に期待はしてない。それが少しでも、君の気持ちを客観視するきっかけになるのなら、もちろん、嫌ならいいし。……俺の思い出なんかより、その『ひなくん』の絵を描くのも、一つの手だしな」


「……でも」


 私は、口を開く。


「それで、いいんですか?」


「あ?」


「ガブリエルさんは、本当に、それでいいんですか?」


「……」


「……ああ。だって」


 そこには、



「どうあがいても、変えられないからな。……あいつに、恋した時間は」



 まるで少年のように純粋で新鮮な、恋する瞳があった。


 まるで、初めてひなくんを見つけた時の、私みたいに。



「……」



「……わかりました」


 私の返答に、長身の見合い相手が目を瞬かせ、


「……それは、どういう?」


「……描いてみます。……もちろん、エッチなのは、ナシで」



 ……欲しいかも、と思ってしまったのだ。


 それがもし、ひなくんの同人誌なら。


 なんだかんだ言って、私はそれに救われてしまうかもしれない、と。



「……そうか」


 従兄さんが、今日初めて見せる、穏やかな顔で笑った。



「……ありがとう」








 駐車場へ向かう道は、結構な勾配の坂になっていた。

 道の端には所々ガードレールが見えるが、角度的に間違って落ちたら、タダじゃ済まないだろう。街灯も少ないことも手伝ってか、私は若干不安になりつつも、しかし、そんな山間の谷に立地しているせいか、すっかり暗くなった夜の山は、星が綺麗にみえて。


 そして、気付く。


 ここには、たくさんの音で満ちている。


 その音一つ一つが、何かが生きている証なのだ。


『いいんじゃないのか、忘れなくて』


 確かに、後悔しかない。悲しい、苦しい、やり直せるなら、やり直したい。


 でも、それができないなら、忘れなきゃいけない、なんて、きっと違う。



 ……だって、気付いてしまったのだ。



 こんな状況になっても、彼を想う気持ちは、ちっとも変わらない。


 

 この気持ちは、伝えられなくてもいい。



 伝えないなりに、私が一緒に抱えて歩くのだ。



 この選択が、信じられないくらいネガティブなことも、わかってる。マリちゃんに話したら、心底怒られそうだ。


 でも、


 ひなくんを、忘れてしまうくらいなら、その方がいい。


 よし。




 急に、従兄さんが前で、立ち止まる。その傍らには、車に詳しくない私でも一発で高級車とわかるような、コテコテのスーパーカーが停まっており、


 しかし、従兄さんはそのまま立ったままで動かない。



「? どうしたんですか?」


「今一つ、思いついたのだが」


「……はい」


「この生き方を貫く上で大切なことは、なるべく他からのダメージを少なくすることだ。……俺は新たに誰かを愛せないし、愛す気もない。本来こんな人間は結婚してはいけないと思うが……、悲しいかな、こんな俺も周囲からのプレッシャーに常時耐えられるほど強くはない。なら、結婚をしてしまえばいいのだけど、問題なのは相手だ。この事情を打ち明けようと思えるようなヤツに、俺は会ったことがなかった。……でも」



「君は、違った。……境遇が似ているからかもしれないが、珍しく俺が、この俺が、自分から打ち明けてもいいと思った。……そしてそれが、きっと俺にとって、一番都合のいい人物なのかもしれない」


「え、ええと……?」


 何の話をしているのか、わからない。


 そんな私の表情を読み取ってか、従兄さんが続ける。


「つまり、どうせ互いに片想いを続けるなら、相手にも同じことをしてもらっていた方が、ダメージが少ない。そっちの方が、互いに都合がいいし、もってこいってことだ」


 視線が合う。


 長身の彼が、私を覗き込むようにして見下ろし、



「要するに、だな……」



「……契約結婚も、ありかもしれない……」



「……は!?」


「無論、感情的なものは一切要らない。当然、肉体関係だって一切持たない。ただ、永遠にそれぞれが好きな相手を思いながら、俺は結婚の体裁を、君は資金的な援助を得る。……どうだ? いつまでも幻影にとらわれ続ける、後ろ向きな俺たちのような人間には、悪くない話だと思うが」


「……そ、それは」



 唐突な求婚に、私の言語中枢がショートしたように役立たずになる。



 もちろん、答えなんて、もう決まっている。



 ただ、先ほどからよいアドバイスをいくつもくれた相手だ。

 何と返答すれば、失礼にあたらないか……、



「ええと、それはその……理論上はそうかもですが……、色々と問題が……」


「…………」


「…………」


「確かにそうだな、すまん。……謝る。悪かった。単なる妄言だ、忘れてくれ」


「いえ、あの、すみません」


 表情の硬い長身が、ばつの悪そうな顔を隠すようにして後ろを向き、


「……気にするな。と、とにかく今は風呂だ。風呂に行こう。本当に悪かった。悪い癖なんだ、アイデアが浮かんだら、とりあえず口に出すのが。……もっとも、今のはナンセンスすぎて自分でも吐き気がしてきた……」


「あ、や、そこまで言わなくても……」


「いや、いい、気を遣うな。正直に罵倒してもらって結構。……あ、ただ、だからと言って、さっきの作品依頼だけは、取り消してもらっては困る。……それだけは、なんとか勘弁願う……」


 そう、すがるような横目で訴えかけてくる。



 ……ホント、どれだけその幼女のことが、好きなんですか。



 思わずツッコみたくなったけど、私もけして人のことが言えないので、やめておく。



「……大丈夫です、それに関しては。……やるって決めたので」


「本当か?」

「はい。……あ、でも、よければモデルの方の特徴とかを早めに……」


「写真あるぞ、ほら!」


 間髪入れずに胸ポケットから取り出される、一枚の写真。

 

 ……さすがにそのテンションはちょっと……。


 なんて思いながらも、一応受け取り、


「あれ……」


 そこに写った幼女の顔に、私は思わず驚愕の声を漏らした。



「……え、……ちょっと待って、……この子……!」



 瞬間。








 ――ゴオオオオオン! ガシャアアン!!







 

 すぐ間近で大きな音が鳴り、衝撃に思わず身を縮める。


 恐る恐る目を開けると、



「っええええ―――っ!?」



 車が、車に突っ込んでいた。


 目の前にあった、従兄さんのスーパーカーのフロントがグシャグシャに潰れ、白煙が上がっている。

 その先には、見る影もないほどペシャンコになった淡い色の軽自動車が、エアバックの空気が抜ける音だけを立て、たった今起こった衝突の余韻を残している。

 


 ……だ、大事故!?



 驚きのあまり開いた口がふさがらない。


 そしてそれと同時に、たった今その車に乗ろうとしていたことを、思い出し、肝が冷える。


 隣では、一瞬で変わり果てた姿と化した愛車を目の前に、従兄さんが大口を開けたまま固まっており、



 ……あれ、でもこの軽自動車、どこかで見覚えが……、



 その時。


 バタン、と音がして、軽自動車の扉が開く。


 エアバックの奥から、誰かがよろめきながら外に出て、



「――――っ!」



 息をのむ。



「……い、いてて。……ちょっ、マリア先生、これヤバいんじゃ……あ……」



 少し遅れて、交わる視線。


 その声音も、響きも、形も。



 全部が全部、ずっと心の内にあった存在そのもの。

 



 街灯の光。

 

 夜の虫が遠くで歌い、


 摩擦で焼け焦げたタイヤの匂いが、少しだけ鼻をつく。


 そんな周りのことなんて、瞬時に消し飛ぶくらい。

 




 二日ぶりの、年下幼なじみが、そこにいた。


 


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