第56話 お見合い/急行

 ◇◇◇




 ……どうしよう。



 返信のないスマホの画面を眺め、私はため息をつく。


 純和風の部屋で、目の前からほとんど食べなかった夕食の御膳が、従業員に撤収されていく。


 結局、美術館など様々な場所を一緒に周って、一日中マリアの予定通りにデートに付き合ったのだけれど。


 辿り着いたこの旅館で、部屋が一部屋しか予約されてなく、温泉も混浴しかないことを知らされて。




「マリア、なんだって?」



 見合い相手が、その端麗な眉を一切動かすことなく、尋ねてくる。


 御厨ガブリエル。


 オールバックに決めた黒髪と、すらっとした長身の痩身。皴一つないシャツを完璧なバランスでタックインしたその様子は、アラフォーだと聞いた彼の年齢よりも数段若く見える。

 一見近寄りがたい風貌と、独特なファーストネーム。端正ながらキツめの目元からどことなく、御厨マリアとの近縁者であることを感じさせるが、


「……っ」


 ……そもそも、なんだ、お見合いって。初対面の異性なんて、どこを周っても、何を食べても気まずいし、ひたすら気を遣うだけではないか。


 こんなことなら、マリちゃんに言われたときに、もっと強く反対しておけばよかった。


 ……いや、そうじゃない。


 そんなことよりも後悔してるのは、ずっと。



 順に脳が記憶を振り返り。



 思い浮かぶ、たった一人の顔。





「……ごほん」

「あ、……すみません」


「……ええと、すぐに既読はついたんですけど、その後スルーのままです……」

「相変わらずマイペースなヤツ。……そうなると困ったな、この部屋にシャワーは付いてないみたいだし、」



「……つまり、入浴には混浴しかないってことか」



 ビク、と私は肩を揺らす。


 同時に、来たか、とも思った。


 ……こんな、初対面の人と、混浴?


 ただでさえ、


 泊りがけのお見合いにすら、腰が重いというのに?



 それが、混浴? 裸で? 



 ……ひなくんにも、見せたことないのに、他の人に?



「……っ」



 想像もできないほど、頭も心もその情景を拒絶する。


 

 ……ひなくんが、いい。



 心が叫ぶ、……今さら。


 自ら彼の手を拒み、黙っていなくなった私には、そんなことを願う資格などないというのに。



 その叫びに、私は必死に耳を塞いで。

 絶望的に泣きたい気持ちになって、でも。



 かと言って、マリちゃんに紹介された手前、失礼なことはできないし。


 ……い、一体どうしたら!?



「おい」

「は、はい!」



「……で、どうする、帰る?」

「いえそれはっ、……えっ?」


 思いもよらぬ言葉に、思わず声が出た。


「えと……いいんですか?」

「いい、ってなんだよ。……まさか、入りたいのか、混浴?」

「そそ、……それは、無理!」

「だろうな」


 そう指摘した見合い相手は、

「はあ」と、わかりやすくため息をつき、


「……今さら取り繕うのもなんだから、言うけどな。……君、一日中つまんなそうだったじゃないか。『ずっと心ここにあらず』って感じで。……まさか、気付かれてないとでも?」


「あ……、」


 心の内を見透かされた恥ずかしさと、それが相手にとってこの上なく無礼なことの申し訳なさに、私は、


「その、……ごめんなさい」


「いい、いい。正直こっちも、君の年齢からして、全然最初から乗り気じゃなかった」


「え」


 寝耳に水だった。

 たしかマリちゃんの話では、『アラフォーなんだけど、カナのこと話したら気に入っちゃって、どうしても、って頼まれたから、マジ頼む!』のはずだったのだけど。まさか。



 ……マリちゃん、謀ったの!?



 私が心中で悶々とする中、



「……ただ、あのギャルの誘いを無視すると、後々、色々とめんどくさくてな」


「それは……確かにそうですね」


「だろ? わかってるな、君」


 わざとらしく悪人顔をして、見合い相手が、意地悪く笑う。変に取り繕ったりしない、遠慮のない言葉の中に見える、相手への気遣い。

 

 一日接して見えなかった本当の顔が、断る口実とばかりに見せたその顔が、皮肉にも。


 他のどんな一面よりも、ああ、マリちゃんと似てるかも、と思わせる。



 ……きっと悪い人じゃないんだろう。

 


 私は、少しだけほっとして。



「……でも、そうすると、せっかくの宿代が、もったいないです」


「そうか? 俺にとっては大したことないし、何よりマリアの金だろ? あいつの財布がどうなろうと、知ったこっちゃないがな」


「……いえ、従兄さんにはそうかもですけど。……私には、十分大きくて、その、……金額にも、心情にも」


「んーなるほど。居候の立場もあるしな……よし」


「……なら、この際、別の温泉に行こう。なんなら俺はそっちに泊まってもいい。正直、最初から見合いなんかよりも、温泉目当てだからな。日頃の業務の疲れをゆっくり取れりゃ、何でもいいんだ。もちろん金は自分で出す。で、一応ギャルにはちゃんとお見合いしたことにしとけば、万事解決。……どうだ? この提案、乗らないか?」


 瞬時に問題の解決法を発想し、提案する。


 その頭の回転の速さに、舌を巻いた。


 さすが、現役のお医者さんというか、御厨家の人間だと思う。


 ……でも、


「……そ、それは、願ってもない提案ですが……」


「どうした? 乗らない理由が、何かあるのか?」




『――ちゃんと向き合って、整理してこい。『ひなくん』のこと』




 マリちゃんの言葉が、脳内でこだまする。



「……まだ、ダメなんです。終わったら」


 

 だって私は、ちゃんと向き合ってない。


 あれから一日が経っても、未だ過去の思い出を回想するだけで。



 結局、何も変われなかったのだ。


 一人で悶々と『ひなくん』の幻影を追っていた、あの頃と。



「…………」



 ドカッと急に音がして、



「……話してみろ」


「え?」


「これでも医者の端くれだ。年長でもある。それに、ある程度関係ない人間の方が、俯瞰して事実を捉えられるから、たいていの場合、聞き手には適している。……だから、俺でよければ聞いてやる。……ま、正直に言うと、早く風呂に浸かりたいだけだがな」


 窓際のソファに深々と腰掛け、座卓に遠慮なくた足を投げ出した従兄さんが、言う。


 私は少し迷ってから、


「……あの、長くなるかもですけど」



 そう切り出し、胸の内にある思い出を言葉にして振り返る。



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