第52話 感想

 ***



「ほら、カプチーノ。これ飲んで、少し落ち着きな」


「……ありがとうございます」


 御厨さんからマグカップを受け取り、俺はそっと口をつける。


「客に出しといてなんだけど、機械のヤツだから」

「そう、なんですか?」

「ああ。……やっぱコーヒーは少し値が張ってでも、ちゃんとした喫茶店に行くのに限るわ。……まぁ、とはいえ、それはそれでめんどくせーし」


 顔をしかめながら、御厨さんが豪快に自分の分らしいカップをあおる。その様子に続くようにして、俺も二口めを口つける。口の中に香ばしい香りと、微かなミルクの風味が広がって、少しほっとした気持ちになる。


「あ、ちなみにそのカップ、カナのだから。……つまり、間接キス」

「ブフォ!」


 思わず吹き出し、盛大にせき込む俺。その様子を御厨さんが、にやにやと心底可笑しそうな顔で見つめてくる。


「……どうかした、しょうねん?」


「い、いえ。別に……」


 咳ばらいをして、呼吸を落ち着けようとする俺に、


「あ、あとさー、もう気付いてると思うけど、あのベッド……」


「ゴフッ」


 ふたたびコーヒーを気管に誤嚥して、俺はせき込むあまり涙目になり、御厨さんをにらみつける。当の本人は全く悪びれる様子もなく、腹立たしいほどの笑顔で生暖かい視線を送ってくる。



 ……なにこのギャル、タチ悪い。


 心の内が、ブラックのコーヒーなみに黒々と濁っていくのを感じる。



 そして、同時に再び湧き上がる、疑念。



 どうして同居人の御厨さんが、あんな場所で無関係を装っていたのか。 


 あの写真の意味。俺の知らない、なーちゃんの過去。


 そのなーちゃん、叶戸先生が、今、どこにいるのか。


 ……そして、



『待ってたよ、ずっと』



 ……。


 どれもこれも、何もかも、俺には理解できないことばかりで。


 ただ、今は、その答えを持っているであろう人物が目の前にいる。


 ようやく、答え合わせができるかもしれない。




「ごちそうさまでした」

「ん。……で?」


 急にふられた『で?』に、俺は何のことだかわからず、キョトンとする。


「……えと、なんですか?」

「決まってるじゃん、感想だよ感想」

「……え、お酒のイメージしか無かったから、意外……」

「そういうことじゃなく」


 御厨さんが眉を吊り上げて俺を遮り、


「社交辞令とかじゃなく、しょうねんはこのカプチーノ、どう思った?」


「え、ええと」


 どうしてそんなことを、わざわざ尋ねるのだろうか。

 理解できないことが、また一つ増えたことに困惑しつつ、


「……普通に、美味しかったですけど」


「……そう」

 

 俺の回答に、御厨さんの顔が少しだけ濁るのがわかった。


「……あーしもさ、同意見だ」

「え?」

「そりゃな、喫茶店のと比べると微妙だけど、あくまでそれは相対評価でのことであって、絶対評価の観点では、間違いなく『美味い』のカテゴリーにあるはずなんだ。それだけ値が張るマシーンだったし、言うなれば平均点くらいは取れる味というか。……その証拠に、今まで色んな客にこのカプチーノを出してきて、『美味い』以外の感想を言ったやつなんて、いなかった。……ただ、一人を除いては」


 御厨さんがソファから立ちあがり、カーテンの閉まっていない窓の向こうに視線をやる。


「……しょうねん、あのさ」


「カナに、料理してもらったことあるか?」


「……あります」


「その時、味見、お願いされなかった?」


「え、……はい。たしか『味付けは担当外』って」


「担当外、ね」


 御厨さんはそうつぶやき、途端に目を細くした。


「つまり、カナが自分で味見をするところを、しょうねんは見たことがない、違う?」


「え……」


 確かにそうだ。

 いつも、料理をするときは、『味見をお願いします』と頼まれるだけで、自分で確認しているところに出会ったことはない。


「……その理由を、聞いたことは?」


「え……、いえ……」


 思いもよらなかった指摘に、胸の奥がすっと締まるような感覚がする。

 そんな俺の心情を知ってか知らずか、御厨さんは続ける。


「……おかしいよな? 完全な味音痴が、あそこまで手際よく料理なんてできるはずがない。かと言って本人は『自信がないから』って、かたくなに味見を拒む。……『自信がない』って言葉の裏を返すと、それはかつては掴んでいた輪郭を、もう一度手探りで探すようなものだ。つまり、ただの味音痴の皮をかぶりながら、カナはあることを、しょうねんに隠してたんだ」


 ふいに、御厨さんが俺に振り返る。

 相変わらずバスローブを着たままのギャルの視線が、どうにも自分よりもはるかに大人びて見えた。


「……あのコさ、味覚障害になったんだ。中二の時から」


「……え……」


 耳の鼓膜が震えて、同時に俺の奥の方が震える。


「同じ理由でさ、ずっと目が乾きやすいんだ。疲れたらすぐドライアイになって、……心当たり、あるだろ?」


「あ……」


 思い出す。

 

 実習生控室での出来事。


『……いれるの、手伝って』


 あの時、叶戸先生が言った言葉。


 あれは、なにかを誤魔化すためだったんだ。



「何を……」



 俺は、尋ねる。


「……何を、隠して?」



 声が震えそうになるのは、なんとかこらえた。

 


「……副作用というか、『後遺症』なんだ、二つとも」



 御厨さんが、再び目を逸らす。


 その声色は、なぜだか、先ほどよりずっと優しくなって。



「あーしの専門は、血液内科だって、言ったよね」



 それでいて、先ほどの何倍も心の距離が開いたみたいな。




「……カナ、あのコさ……」



 迷いと達観の中間ぐらいの位置で、彼女は笑う。





「……白血病、だったんだ。……中一から、高二までの間、ずっと」




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