第50話 テイクアウト
***
それから、二十分くらいたっただろうか。
御厨さんは少年を連れて戻ってきて、少年に手を振って送り出してから、もう一度奥に消えた後には、いつものギャルに戻っていた。
はー、と何やらため息をついて、
「……たく最近のマセガキは……」
何と答えたらよいかわからず、黙っていると、
「と、これであーしの用事は終了。……待たせて悪かったね」
「あ、いえ。……でも、ええと、……あの、さっきのって?」
俺が遠慮がちに尋ねると、御厨さんはやけに透明な視線で俺を貫き、
「……しょうねん、無菌室って知ってる?」
「え、ええと」
「特別な空調設備を使って、綺麗な空気だけを循環できるようにした部屋だよ。クリーンルーム、とも言うけど、……や、何よその表情。……知らなくても別に不思議はないよ?」
「いえ、……すみません」
なんとなく申し訳ない気がして、謝ってしまう。
御厨さんはその様子を無言で見つめた後、
「……何気ない普段の空気の中にもさ、実は細菌がいるんだ。……極端に免疫が弱ってる患者には、それすらも命の危険になりかねなくてね。そういう時は、極端に滅菌した部屋で療養するんだ。……そして、クリーンルームへの面会や立ち入りは、基本、家族以外はダメなのよ。唯一の例外は、ドクターの許可があった場合だけ……」
そこで、わざとらしくウインクをする御厨さん。
少しだけ考えてから、俺はようやくその意味を、思い当たった。
……つまり、あの少年には無菌室で会いたい誰かがいて。
その彼が唯一面会ができる例外を、医者である御厨さんが、わざわざ作ってあげていたということで。
思いがけず、俺は御厨さんの顔を見つめ直す。
そのギャルギャルしい様相とは裏腹に、……この人、めちゃくちゃいい人じゃん。
そんな俺の心のつぶやきが顔に出ていたらしい。
御厨さんは、自信満々にドヤ顔をかまし、
「……どう? 見直した系?」
「……ええと、……普通の仕事って言ってたから、てっきり俺……」
「普通の仕事だよ。……ただ少し、なるのに金がかかるだけ」
「そんなこと……頭いいんですね」
「それも、単にお金かけただけ。しょうねん、結局、教育は金だよ金」
へぇ、と思わず頷きかけた俺だったが、
「……ん? ……でも、それにしては貯金額九百万ってどうなんですか。……多いと思ってたけど、意外と……」
「おっと意外に鋭いねー、しょうねん。じゃ、変なボロが出る前にこの話題は切り上げとこーかなー」
そう言って御厨さんが病院の外に出る。
続いて自動ドアを通ると、外はすっかり暗くなっていた。
土地勘のない場所で、この暗闇。
仮に住所がわかったとして、スマホのナビに頼ったとしても、ちゃんとたどり着けるんだろうか。少し不安になる。
新幹線の復路のチケットは、明日の日付だ。
まだ時間があるとはいえ、とりあえず今晩はどこかで雨風をしのがないといけないだろう。無料で使えるそういう場所といえば……、やっぱ公園……、
「……あ、言い忘れてた」
そんな時だ。
御厨さんが、まるで他人事のように、俺に告げたのは。
「あーしの充電器、ウチにあるんだけど」
「……そうですか、……え?」
言われた意味が理解できず、思わず聞き返す。
「……今、なんて?」
「充電器、ウチにあるから。……だからしょうねんは、あーしの家に来なきゃ、スマホを充電できないってこと。……つまり、」
「……テイクアウト系」
「…………」
「えええ――――――ッ!?」
思わず声が出た。その言葉の意味するところを理解した瞬間、顔が熱くなったのがわかる。
「……け、結構です!」
「……えー、いいのかにゃー? 東京で顔見知りなんて、もういねーくせにー。……いいんだよ、あーしは。なんなら泊まっていっても。あと何度も言うけど、……あーし、おっぱいデカ……」
「ほんとに、結構です! お、お世話になりました!」
「あ、ちょい!」
早口で頭を下げ、俺は御厨さんの前から離脱すべく、大股で歩行を始め、
「ホントに待っててば、しょうねん!」
後ろから聞こえる御厨さんの声も無視するが、
「花倉、ひなくん!」
その呼び名が、どうしても、俺の足を止めて。
「……断言できる。ここで来なかったらアンタは絶対に、一生、後悔する。……勇気出して、来たんだろ? なら、こんなことくらいで物怖じしててどうすんだ。……アンタは童貞でも、ただの童貞じゃない、『片想い童貞』なんじゃないのか!?」
後ろから聞こえる声が、やけに胸に刺さる。
振り返ると、やけに真剣な目をして、御厨さんが俺を見ていた。
その視線にどんな意味がこもっているのか、俺にはわからない。でも、その熱量と、先ほど目の前で見た小学生とのやり取りからは、少なくとも彼女が人を陥れる人ではないように思えた。
俺は今一度、御厨さんに向き直り、
「……ひとつだけ、お願いしてもいいですか?」
「……何よ?」
「……もう少し、服着てもらってもいいですか」
「…………」
ぷっと、例のごとくギャル服の医者が笑う。
「その発言、童貞として百点すぎ。……さすがに草生えるー」
俺は少しだけ、勇気を出して口にしたことを後悔した。
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