第49話 野暮用
***
「しょーねん、ちょいここ、座って座って」
そこは、大規模な私立病院のロビーだった。
大きな天窓から夕日が差し込み、広大な待合スペースを朱色に染めている。
俺はわけがわからず、言われたままにソファに腰掛ける。
その様子を満足そうに眺めたギャルが笑い、
「……じゃあ、しばし待っててー」
そう言ったまま、スタスタと足早に奥へと消えて行ってしまった。
見知らぬ空間に一人残された俺はどうしていいかわからず、自ずとここに連れられてくるまでの経緯をなぞってみる。
「――充電させて下さい!」
なんとか涙を飲み込み、冷静になった俺は、開口一番にそう言った。
「……どうしても、会いたい人がいて、会わなきゃいけない人がいて。でも……財布落としちゃって、住所をメモしたスマホの充電も切れちゃって、確認できなくなっちゃったんです。……俺、こっちに知り合いとかいないから、他に頼る人いなくて!」
ギャルは今一度目をパチクリさせ、
「ふーん……、……でもさ」
見慣れない、やけに乾いた視線を俺に向ける。
「……充電だけじゃ、会いに行けなくね? 金、ないんでしょ?」
「……それは、……その、歩いていこうと……」
「ぷっ」
突如吹き出し、ギャルが腹を抱える。
「……しょーねん、東京せまいと思ってるっしょ? なめすぎよ、マジで」
「そ、そんなことは……」
反論するが、実のところどの程度なのかわかっていない。これではバカにされるのも当然だ。
「借りればいいじゃんー、金も。……通帳、見たっしょ?」
「……それは」
脳裏によぎる、いつかの記憶。
預金金額、九百万。
確かに、それだけあれば、電車代を借すなんて、わけないことなのかもしれない。
……でも。
「……できません。だって……以前、奢ってもらったのも、何も返してないのに……」
俺がめちゃくちゃに無理していたとき、この人は俺を心配してくれた恩人の一人だ。
そんな恩人に、これ以上迷惑を……って。
「……ちょっと、なんでまた笑ってるんですか」
「だって。しょーねん、アンタ、マジめんどくせー、めんどくさすぎて、どんだけ遠回りするつもりなのよー、あ、っはっは、ウケる! やーマジ青春乙ー」
「……う、うるさいです」
人前にも関わらず、あまりの笑われように恥ずかしくなり、俺は思わずそっぽを向く。
しかし、次の瞬間には頭の上に温かい感触を感じ、
「……お子様はお子様らしく、甘えてりゃいいんだよー、大人にはね」
服装もメイクも、いつもの派手なまま。それでも、今まで見たことがないくらい、大人っぽい視線で、ギャルが言う。
「……ついてきなよ。あーしが、なんとかしてやるから」
厚いヒールのかかとを鳴らしながら、俺を追い越し、そのグレージュの髪をたなびかせて、
「……よく来たね、花倉ひなくん」
「え?」
急に呼ばれた名前に、その言い方に俺は思わず振り向く。
俺の戸惑いをはぐらかすようにギャルは笑い、
「……
それから、ギャルもとい御厨さんに続いて、俺は電車に乗った。
『今、野暮用を済ますとこだったから。なんで、先にそっち行ってもよい?』
そう言った御厨さんに、俺が多少迷っていると、
『……ちな、それが終わるまではぜってー充電貸さないから、そのつもりで!」
そう言われてしまうと断れるはずもなく、後に続いて移動を続けた結果、ここにたどり着いたのだ。
正直、意外な場所だと思った。
てっきり彼女のことだから、キャバクラとか美容室とか、アパレル店とか、そんな感じの場所に出入りするものだと思っていたからだ。完全な偏見だったことを思い知らされ、多少後ろめたい気持ちにさせられる。
……看護師、なのかな。……いや、それとも、患者? どこか悪いのか?
ぼんやりと想像するが、どちらも想像がつかない。
なにせ俺が知っている御厨さんは、平日でも常に酔っぱらっているような有様だったし、同じアルコールでも消毒液の香りが蔓延した今の空間は、天と地の差がある。
考えがまとまらず、周囲を見回す。辺りに人はまばらで、受付の表示から読み取るに、診察時間はもう終了しているようだった。
……わけがわからないけど、とりあえず今の俺には、待つことしかできないな。
そうあきらめ、ぼんやりとロビーの光景を眺めていると、
「……ん?」
視界に映る風景に、違和感を覚える。
事務仕事に励む受付の医療事務。どこか遠くを見つめたまま老齢の男性。どれもが何気ないよくある病院での様子なのに、その中で一人だけ、不自然な動きをする者がいた。
パッと見は、どう見ても小学生だ。
やけに高そうなつくりの両つばの帽子。仰々しい校章の入ったランドセルをその背中いっぱいに背負って、俺の胸くらいの身長の男児が、俺の二列前でそわそわと周囲を見回している。
……なんだこの子、エリート小学生か何かか?
辺りを見回しても、他に大人が付き添っている様子はない。
反対に何かから隠れるようにして、きょろきょろと辺りを窺う様子は、どう見ても平日の夕方の病院では浮いていて、
「……あっ」
その小学生が、突如声を上げる。その声には、明らかに喜びの感情が混ざっていた。
彼の視線の先にいたのは、
「……やほー。悪い悪い、遅くなって」
聞きなれた、中途半端なギャル語。
耳だけはいつもの様子と変わらないのに、その姿はいくら二度見しても同一人物であることを、脳が理解することができない。
御厨さんは、白衣を着ていた。
そのグレージュの髪をタイトにまとめあげ、知的なメタルフレームの眼鏡をかけ、その肩からは聴診器をぶら下げている。
「御厨先生! 待ちくたびれたよもう!」
「……ちょい怒んなよ、あーしだって今日は予定外だったんだから。……で、今日は何持ってきた?」
『先生』と呼ばれたその人物が尋ねると、小学生はランドセルの中から、小さな花束を取り出し、
「……これは、大丈夫なやつ?」
「んー、これ生? さすがに生花はなぁ……」
「ううん、造花だよ」
「なら、大丈夫じゃね? 一応消毒かけてからになるけど」
二人はよくわからないやり取りをしてから、御厨さんがこちらを向き、
「悪いねしょうねん、もう少し待っててー」
そう言ったきり、小学生を連れて病院の奥に消えていった。
『御厨先生』
少年はそう言っていた、それにあの格好、……つまり。
……あの人、医者ァ!?
予想外の事実に衝撃を受け、俺はしばらく放心せざるを得なかった。
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