第48話 都会




 都会って、不思議だと思った。


 見回すと、必ず視界のどこかに誰かがいて。


 車の往来と、横断歩道の音が常に鳴りやまず、完全な静寂を感じる瞬間は、どこにもない。常に何かが、誰かが動いていて、自分なんて何をしようがしまいが、世界が動き続けるのを止められないことを、これでもかと見せつけられているようだ。


 だから、そんな都会の夕暮れは、物理的に一人じゃないはずなのに、他の場所よりもずっと一人に感じてしまう。


 俺はため息をつき、ずっと手に持ったままだったスマホに視線を落とす。電源が落ち、何の光も情報ももたらさない、ただの金属板と化したそれを眺めると、真っ黒の画面の中で、冴えない田舎の男子高校生の顔だけが映っていた。


「……あー、もう!」


 思わず頭をかきむしり、今、一番見たくない顔から、目を背けるように天を仰ぐ。



「……どうしよう」



 傾いた光に照らされた摩天楼の間、多くの雑踏がひしめく都内のとある駅前で、半日前の意気揚々が嘘のように、俺はうなだれることしかできない。






 本当に、思い返すと後悔しかなかった。



 ドキドキと謎の高揚感を胸に新幹線を降りた俺は、スマホの情報を頼りに、まずはとある大学を目指すことにした。叶戸先生の所属している大学であることは言うまでもない。スマホのナビ機能で経路を検索すると、複雑な路線図でもさほど迷いなく行くことができ、ちょうど同級生たちが、午後の授業を始めようとする頃には校門の前に到着していた。



 ○○美術大学



 美術部の端くれたるもの、一度は聞いたことがあるその名前。


 そんな権威ある大学の門を、成り行きで美術の端をかじった程度の俺が、くぐる時がやってくるとは。


 ……どうしよう、なんか緊張してきた。


 周囲を見回すと、思わず目が奪われるほど、お洒落な大学生たちの姿が目に入る。さすが国内クリエイティブ系の、最高峰に君臨する大学の学生たちだ。奇抜といって差支えないが、なんともいえぬ世界観や美学を感じさせて、めちゃくちゃ垢ぬけて見える。センスの塊とは、こういう人たちのことを言うのだろう。

 そんな空間に、叶戸先生はいるんだ。


 俺は大きく息を吸ってから、意を決して大学の門内へ足を踏み入れる。


 ……おお、なんかすごい。何もしてないのに、すごい。


 なんて、のんきに感動していると、


「あーそこのアンター」

「……へ?」


 声のする方を振り向くと、重厚な門の脇にある小部屋の窓から、初老の警備員が怪訝な顔で俺を凝視している。


「あいにくウチは他の大学と違って、関係者以外は、立ち入り禁止になってますんでねー」

「……あ、いや……俺は、その、関係者……あっ」


 うまく言い訳を考えようとして、俺は気付いてしまった。


 自分がずっと、制服姿のままだったことを。 


「……高校生だよなあ、アンタ。……なんか用かい」


 ……これでは、自ら部外者であることをアピールしているようなものだ。


 一応平静を装いつつも、内心汗だくになって打開策を考えていると、


「んー、あ、もしかしてアンタ、……オープンキャンパスの希望者かなんかかい?」


「あっ、……はい、そうです!」


 思わぬ助け舟がきた、と、俺は話に乗ってみたが、


「……なら、それこそお断りなんですわ。……ウチはオープンキャンパスも一切やってないもんで、申し訳ないけどね」


「……」


 やってしまった。


 安易に相手の話に乗った結果、完全に取り付く島も失ってしまった。警備員からの「ほら、さっさと帰った」的な冷たい視線の前には、今さら本当のことを話して入れてもらう、という雰囲気でもなくなってしまった。ここは、素直に引き下がった方がいいかもしれない。


 背中に警備員の視線を受けながら、俺はいたたまれない気持ちで、校門を離れる。その途中で、


「……っ! おい、気をつけろやガキ、殺すぞ」


 不機嫌そうな大学生にぶつかってしまい、粗暴な応対を受ける。何度も平謝りして、ついには逃げるようにしてその場を去った。完膚なきまでに、出鼻をくじかれた恰好だった。


 とりあえず大学の最寄り駅に向かい、花壇の植え込みに座り込んでため息をつく。

 いきなり、こんなにも上手くいかないものなのか。

 思わず頭を下げたくなるが、


「……いや、こんなことで諦めてたら、平沢に申し訳が立たないだろ」


 自分を叱りつけるように、顔をぱし、と叩き、俺はスマホを取り出す。


 とりあえず、まずはこの制服をなんとかしないといけない。


 この近くで、着替えになるようなものを買えるような店は……、って!


「おいウソだろ、マジやめてよ!」


 思わず声が出る。


 その元凶は、手に持ったスマホで、もっと言うなら、残りの充電があと1パーセントしか残ってない表示だった。

 普段使わないナビ機能を点けっぱなしにしていたからか、気が付くのがこんなにも遅れてしまうなんて。

 しかし、事態は思ったよりも深刻だった。


 ……あ、ヤバい、


 住所。


 気が付いた瞬間、俺は泣きそうになりながら必死に平沢のラインを開く。

 充電器を持ち歩く習慣がない俺は、まだ叶戸先生の住所をスマホ上以外で残していない。


 ……早く、紙とペンは、クソ、何でこんな時に限ってすぐ出てこない……あ、


 祈るような気持ちでカバンをあさる俺の目の前で、無情にもスマホが甲高い機械音を出して画面を暗転させる。


 ……間に、合わなかった。……どうしよう。



 頭の中が真っ白になる。


 『失敗』の二文字だけが脳裏に浮かび、しかもその失敗が、取り返しのつかないものであることを、素直に認められない自分がいた。


 何もかも、投げたしてしまいたくなる誘惑。


 しかし、なんとかそこで踏みとどまり、


「……落ち着け、充電器を買えばまだ……」



 制服のスラックスのポケットに、手を突っ込んだ時だった。



「……? ない。……ない、ウソだろ、マジ、マジ勘弁してくれよ……」



 そこにあるはずの財布が、無くなっていた。


 必死の思いでもう一度カバンをひっくり返し、内容物を確認する。


 教科書、ノート、先ほど見つからなかった筆箱、『人質』のスケッチブック、新幹線の復路分のチケット。


 どんなに見返しても、そこに財布はなかった。


「……あ……」


 そこで、ようやく思い当たる。


 大学の校門で警備員に追い払われた後。


『……っ! おい、気をつけろやガキ、殺すぞ』

 ……あの人だ。


 だって、ぶつかったのは、ちょうど財布が入ってたあたりだったから。


 道端でぶつかっただけで、必要以上に悪態をつかれたのは、それを悟らせないようにするためだったんだ。あの時からずっと、もう、終わってたんだ。失敗していたんだ。


 あまりの情けなさに、涙があふれてきた。


 ……あれほど応援されて、送り出してもらって。なのに。


 叶戸先生に、一言の言葉も掛けられないまま、輪郭すら見つけ出さないまま、俺は今、全ての方法を失ってしまった。


 スマホもお金もない田舎者のガキが、どうやってこんな大都会で自ら姿を消した人物を見つけられるというのか。


 ……無理だ。


 もう、俺にできることが、本当に何一つ無くなってしまった。



 張り詰めていた気が、糸が切れたかのように切れて、


 それから数時間、俺はただ、座っていることしかできなかった。




 いつの間にか、夕日が見えなくなっている。


 未だ周囲は橙色に染まって明るいが、始まった薄暗闇への変容に、すぐにこの街も夜の景色へと変わるだろう。


 カバンの中から、あるものを取り出す。


 新幹線のチケット。


 これを平沢からもらった時、何でもできるような気になっていた。


 ……それが、このザマだ。


 酷すぎるな、東京。いや、全部悪いのは自分だ。自分のせい。結局は、俺自身の甘さが、一番悪い。わかってる、そんなこと。


 ……でも。



 どんなに自分のせいでも、自業自得でも、諦めたくない。諦めたくないのに、……帰る以外の選択肢が、もう存在しない。


 

 存在しないのに、未だ俺はここに居座って、潤う目元をぬぐい、奥歯が割れそうなほど、歯と歯を噛みしめている。


 自分がしていることは、どこまでも子どもじみた悪あがきに過ぎない。



 ……誰か、助けて。



 いつかの、あの時みたいに。


 そう願った時に。

 

 どうしようもなくなった時に、なーちゃんが助けに来てくれたら、どんなにいいか。



 ……でも、その幼なじみはもう……、




「――かたおもい、どうていしょうねん……?」

 


 その瞬間、耳に飛び込んでくる鼻にかかった独特な話し方。


 ここ数週間でかろうじて聞き慣れた程度のその声が、


 信じられない思いで顔を上げる俺の心を、そっと救い上げる。



「……え、ちょ、ここ東京なんですけど!? ……は、もしかして、しょうねんオフ系ママ活!?」



 思いがけない、とでも言うように、いつかのギャルが目を丸くしている。

 見ると相変わらず露出度高めの派手な服装で、酒の香りがプンプンしたが、そのいつもどおりが、無性に心にしみて。


「……そんなわけ……あ……く……」


「へ、ちょい!? なんで泣きそうなん! どっか痛い系!?」

 

「……う……なんでも……ありません……」


 

 それでも、公衆の面前で泣きたくないという最低限の体裁だけは、なんとか保つことができた。

 



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