第47話 答え
「俺のじゃない。……間違ってる。だって……これは」
「……平沢の答え、でしょ?」
「……!」
大きくて綺麗な目が瞬き、瞬時に潤む。
そのことを悟られまいと誤魔化そうとする平沢の様子に、俺は自分の思い当たった可能性が正しかったことを確信した。
「……なん、で」
うろたえる平沢に向けて、俺は口を開く。
「……平沢はさっき『どっちの好きが強いか確かめる』って、俺に告白してくれた。平沢の想いが強いと感じるなら、告白を受け入れてほしい、って。……でも」
「……平沢が本当に俺と付き合いたいのなら、よくよく考えると、ここへ連れてくる必要はないんだ。新幹線のチケットも、わざわざ脅しみたいな方法を選ぶメリットがない。……自分を選んでほしいなら、そもそも『会いに行く』選択肢自体なかった方が、ずっと受け入れてもらい易いはずで。単なる自信の表れかもだけど……それよりはむしろ……」
「……自分を選ばせないために、『あえて前提を間違えてる』みたいだから……」
視線が交わる。
先ほどの揺らぎがその波紋を広げ、平沢はギリギリで平静を保っているようにも見える。
「『誤前提暗示』……そもそも前提が間違ってる選択肢を迫ることで、相手を誘導する心理学のテクニック。……古松が言ってたんだけど、平沢も知ってたんだね……」
「…………」
「……違うのなら、きっともう破ってる。カウントはもう過ぎてるはずだから。でも、」
俺は半ば確信をもって言う。
……だって。
「………平沢は、破らない。……チケットを破る気なんて、最初からなかったんだ。俺の立場に立って、俺の想いがわかった上で、……自分だけが傷つく方法を実行しようとした。だって……」
……きっと、俺と同じだから。
自分よりも、大切にしたい人がいて。その人のためになることを必死に考えて、そのためには自分の気持ちは押し殺して。
そうやって極端な選択をした結果、最終的に一番、自分を傷つけていたことに気付く。
……全然思いもよらなかったけど、俺たちはどこか、似た者同士だったんだ。
「平沢、こんなの、選べないよ。……だってこれじゃ、平沢が……」
「――クソだわ」
「…………え?」
耳に入った音声の意味を理解できず、俺は場違いな声を出す。
なんとか再考して、改めて少しだけ冷静になってから、
「……気のせいだよね、今、平沢の口から、めっちゃ下品な言葉が……」
「どんなに上品に言ってもクソはクソよ。ほんとクソ、クソ過ぎてクソ以外の言葉が出てこないわ! もうほんっとにクソ!」
「……平沢が、壊れた!?」
どうやら聞き間違えじゃなかったらしい。
先ほどまで、悲し気に微笑みをたたえていた、しとやかな人物が、急にぶっこんできた『クソ』の単語に、思わず脳がフリーズする。『俺たちは同じで、似た者同士』とか先ほど言ってましたが、……どうしよう、全く理解できない。
しかし、そんな俺をお構いなしに平沢さんは、
「――あー、あー! もう、もう! 信じられない、ありえないくらい、クソ! 人の告白にダメ出しして本音見破ってくるとか何なの!? しかも冷静に『誤前提暗示』とか講釈垂れちゃってさ! ……なんで気付くのよ、バカ! あほ! 大好き! 何言ってんのよ私! ほんと私なんてクソ中のクソオブザクソよ!」
……えと、なんか錯乱させちゃったんですけど、大丈夫ですかね、これ。
はーはー、とアップ後の陸上選手ばりに荒い気を吐く美術部エースに、
「……あの、……なんというか、すいません……」
「一つだけ、訂正させて」
ごほん、と咳ばらいをして平沢が言う。多少は冷静に戻ったらしい、良かった。
「……別に、全部自分を犠牲にした、とは思ってないから」
「……ぶっちゃけ私も、わけわかんないの。なんでこんなことしてるのか、自分が一番よくわかってない。……でも、こうせずにはいられなかった。頭の中、ぐちゃぐちゃでまとまらないけど、追いかけてほしいのも、ほしくないのも、どっちも本当。好きだと言ったことも。……このチケットを渡したいと思ったことも」
「……つまり、やりたかったから、やっただけ。……私、もともとそんなに良い子じゃないし、……昔から、ただ自分がやりたいことをしてきただけ」
「…………」
それは、強がりか、嘘か、もしかしたら本人の言うように本当に無自覚なだけかもしれない。でも、少し意外だった。いつも整然としている平沢だから、てっきりまとまった答えが返ってくるのかと、どこかで思っていたのだ。
でも。
そう思っていた彼女は、顔面いっぱいに狼狽え、ブレブレの言葉遣いと主張で、消化できない胸の内をただ吐き出すだけの、どこまでも単なる恋する少女だった。
……相手の役に立つとか、ためにならないとか、迷惑をかけるとか。
年の差を必要以上に気にして。そんな自分には、どうしようもないことを。
ずっとウジウジと、自分の中だけで悩んでいた自分とは、まるで似ても似つかない。
同じだと思っていた相手は、蓋を開けてみると、全然違っていて。
……でも今、その違いに、こんなにも勇気づけられている自分がいる。
「……そう、なんだ」
……いいんだ。
誰の目にも正しい理由がなくたって、全然、相手の役に立てなくても。
俺は、どこかで勘違いをしていた。
相手の立場に立つ、とは、相手にとって都合のいい存在になることじゃない。
相手が、困ってるから。
そんなのはただの言い訳で、隠れ蓑で、自分の本当の気持ちから逃げているにすぎない。
『足掻くほど遠ざかり、手探りで探すほど輪郭を失う』とは、よく言ったものだ。
その言葉の通り、ちっとも理解も整理もできてなんかいないけど。
ただひとつ、わかった自分の気持ち。
心からの気持ち。
叶戸先生に、会いたい。
それで、いいんだ。
……やっぱりあのテキトー教師、実はすごい人なのかもしれない。
「……平沢」
「なによ」
「ありがとう」
「は? き、急になによ」
「別に。……あとさ」
「こ、今度はなに?」
やけに警戒した表情を見せる平沢に、
「平沢って実は、……結構ヤバい人だったんだね」
俺がそう言うと、平沢は改めてお目にかかる、いつもの寄った眉間で、
「……それ、花倉にだけは、言われたくないわ」
***
扉が閉まり、新幹線が走り出す。
普通の電車の何倍も、滑らかで静かな加速に感動しつつ、俺は先ほどの平沢の言葉を思い出す。
「ねぇ、花倉。この際、貸しでも借りでも何でもいいわ。私のお願い、聴いてよ」
「――花凪先生を、必ず連れ帰ってきて」
聞くと、叶戸先生が学校を去った日の朝。まだそのことを知らずにいた平沢の元に、叶戸先生がやってきて、こう言ったそうだ。
『……ひなくんを、よろしくね』
言われた瞬間は、意味がわからなかったが、そのあと実習中断の話を聞いて、愕然としたそうだ。そして、偶然通りかかったゴミ捨て場に捨て置かれた、見覚えのあるスケッチブックを見つけたのだと。
「……これ、花倉に返すわ」
往路、復路のチケット2枚と共に、スケッチブックを手渡して、平沢は言った。
「きっと、私のせいだから」
「よろしく、なんて、されたくなかった。もし私が勝手にした……キスのことが気になっているなら、……取り消すわ。……あれは一瞬の気の迷いというか、なんというか。……とにかく、なかったことにしていいから、だから私、ちゃんと花凪先生と話がしたい。……ずっと逃げてて出来なかったけど、今度こそ向き合いたいと思うから。正々堂々と、本当の気持ちを確かめ合いたい、と思うから」
「……そのためには、きっと、花倉じゃなきゃダメなの。だから、行って。どんなに私が花凪先生こと大好きでも、『この選択だけはクソだ』って、伝えてきて。……お願いだから」
「…………」
「……わかった」
俺がそう言うと、平沢は静かに笑い、
「ばーか」
「ええ?」
「……何よ」
「いや、別に」
どれほどの寛容と、どれほどの痛みと覚悟があれば、そんな選択ができるのか。
……それでも、平沢はそれを望み、それを選んだ。
だから俺も、選ぶんだ。
「……行ってきます」
「……行ってらっしゃい」
この線路の先に、叶戸先生がいる。
いつだって手の内にあって、それでも、ずっと選べなかった手札。
今度こそ、俺はその札を切り出すんだ。
◇◇◇
一人残された駅の入口で、私は、別れ際の出来事を思い出す。
『……行ってらっしゃい』
そう送り出したのもつかの間、踵を返そうとする私の耳に、
『……平沢』
なぜか戻ってきた花倉の声が、響く。
個人的に伝えたいことは伝えたと思うし、伝える気がなかったことまでも、見破られてしゃべらされた手前、別に言い残しとかないんだけど。
多少の照れ隠しと読めない意図に、いつも通り眉間にしわを寄せていると、
『……ありがとう』
……へ? なんで今さら?
そう口に出そうとしたのと、丁度同じタイミングだった。
『あとさ、誰かに言うのは、初めてなんだけど』
『俺さ、叶戸先生のこと、好きなんだ』
『…………』
「………あれ」
何かが、頬を伝って、落ちた。
ぱた、ぱた、とローファーの上に水滴が零れ、雨染みのように表面を濡らしていく。
その光景に私は、思わず苦笑いした。
……なんで、今なのよ。
自覚すると、それがきっかけになって、目鼻が潤っていく。いくら抵抗しようとしても、その奔流を留めることができなくて。
……何、これ、……めんどくさい。
呼吸が乱れて手が震え、頭に血が上る。無性に悔しくて、仕方がなかった。
……花倉の前では、ちゃんと耐えられたのに。
なのに今、午前中の駅の入り口で、一人すすり泣く女子高生。
……花倉の言う通り、しっかりヤバい人じゃない。
別れ際の、いつかのあの時みたいにまっすぐな、花倉の顔。
私は泣きながら、もう一度苦笑しなおして。
すでにここにはいない、世界一好きな人に、返答する。
「……ばか、いや、クソね」
「知ってるわよ、ずーっと前から」
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