#8

※本日二話更新します。

=====


「マギー! マギー! しっかりしろ! おいっ!」


 大量のダーク・ホーネットに囲まれながら、グレアムがマーガレットに縋り付いていた。


 マーガレットの腹には拳大の穴が開いており、止めどなく黒い血液が流れている。

 血が黒いのは内臓を傷つけたからだろう。意識はなく、顔は土気色、虚に開いた瞳は何も映しておらず、だらしなく半開きになった口からは唾液混じりの血が垂れている。

 

 間違いなく致命傷。

 一刻も早く治癒魔術師に見せなければ、マーガレットは死んでしまうだろう――そして現状、それは絶望的だ。


「グレン! 来いっ! 一人じゃ持たねぇ! カルロス頼むっ!!」

「任せてください!」

「くそっ! 待ってろよマギー! こんな奴らすぐに倒してやるから!」

 

 地の底から響くような低い羽音。

 その中に一際大きな個体――ダーク・ホーネット・クイーン。

 違うのは大きさだけではない。その危険性はたった一匹で普通種の群れと同じほどと考えられている。

 

 ダンジョン・モンスターは魔力から生まれる。

 ゆえに蜂の魔物とはいえ、社会性など持ち合わせていない。

 しかしまれに、こういう特殊個体が生まれてくるのだ。


 周りの雑魚は倒し終わり、クイーンに立ち向かうクルツとグレアム。

 すぐ後ろには死にかけているマーガレットがいる。


 すでにカルロスは救命のために必死の行動を開始している。

 普段なら「これも運命」と死にゆく戦士に手を合わせるほどにドライなカルロスだったが、マーガレットは家族にも等しい仲間だ。


 カルロスは腰につけたポーチからビンを一つ取り出すと、一匹の虫の死骸を取り出し、それをマーガレット傷口の奥深くに差し込んだ。


 これは最安値で請け負った仕事には絶対に使わないような、シェルパの虎の子だ。

 使えば何百万もするような秘技だが、カルロスは迷わなかった。

 

 人工精霊の種子タルパ・セメン


 通常倒されれば消えてしまうダンジョンモンスターの中で、ごくごくまれに死骸が残されることがある。

 それは魔力の結晶である魔石の数千倍もレアなものだ。

 その中でもレア中のレア、それが人工精霊の種子タルパ・セメンだ。

 

 カルロスはナイフで指を切り裂き、傷口に垂らすと呪文を唱える。

 

「መንፈስ ሆይ፣ የሕይወቴን ግማሽ እሰጥሃለሁ……」


 傷口が光る。

 人工精霊が羽化しようとしているのだ。

 

 これはシェルパの秘技にして邪道。

 人工精霊が羽化するときに大量に集められる魔力を横から掠め取り、それを以て人間には使いえないような大魔術を行使するというものだ。

 ただし代償として、命の半分を捧げる必要がある――。

 

 絶対に使ってはならない。

 しかし使うときには躊躇してはならない。


 人工精霊の種とは、そういう存在なのだ。

 

 すぐ隣で子供たちがクイーンと死闘を繰り広げているが、カルロスはそれをまるっと無視して目の前の少女に全身全霊で集中している。

 

 しかし、傷口の光はすぐに消えてしまう。

 カルロスの命の半分では、羽化するための魔力に足りないのだ。


「ああっ! 消えてしまう……! 頼む! 行かないでくれ! 精霊よ、どうか……!!」


「だりゃあああああああ!!」


 クルツの魔力を帯びた剣がクイーンを捕らえる。

 真っ二つになり地面に落ちるクイーン……しかしまだ魔石に変化しない。

 この状態でもまだ生きているのだ。


「グレンっ! あとは任せろ、お前はマギーを!!」

「わかったっ!」


 すでに魔力も枯渇ギリギリの状態のグレアムは、クイーンのトドメをクルツに譲り、マーガレットの元へと駆け寄った。


「カルロス! マギーは……!」

「ダメです……! ああっ! なんてことだ! 私のせいだ、私がクイーンを見逃さなければこんなことには……!」

「そんなこと言ってる場合か! くそ、何か、何かないのか!?」


 すでにマーガレットは息をしていない。

 かろうじて心臓は動いているが、もはや助かる見込みはない状態だ。


 カルロスは、いっそ残りの命も捧げてしまおうかと迷い――しかし妻と娘の姿を思い出し、躊躇した。


 グレンは血を止めようと、傷だらけの両手でマーガレットの傷口を押さえた。

 そんなことをしても無駄なのは自明だが、それでもなんてことはできなかった。


「誰でもいいっ! マギーを助けてくれよ!」


 グレンは悲痛に泣き叫ぶ。


「俺の持ってるものなら何だってやるっ! 金でも、体でも、命でもっ!!」

「!! グレアムさん! だめだ!!」

「だからっ! マギーを助けてくれ!!」


 グレアムの叫びを聞き遂げたのか。

 マーガレットの傷口から、光る一匹の蜻蛉かげろうが這い出てきた。


 この弱弱しい羽虫こそ「人工精霊タルパ」。

 今まさに羽化し、飛び立とうとしている。

  

 大量の魔力が羽虫に集まっていく。

 精霊がこの世に顕現するために集められる大量の魔力。

 飽和し、空気に溶けきらない魔力が光る渦となってマーガレットの腹部に流れ込む。


 それを――横から掠め取る!

 

 外法。

 禁呪。

 だが、それでも。


「グレアムさん! そんなことを口にしてはいけない! あなたが死んでしまう!」

「かまうもんかっ! マギーは死なせない!」

「ああっ! あああっ! だめだ! 羽化が始まる!」


 外法には代償が必要だ。

 カルロスの願いは聞き遂げられず、その命は人工精霊に「いらない」と突っ返されている。

 だがこうして羽化が始まっている以上、グレアムの代償は確実に取り立てられるだろう。

 もう止める手段などどこにもない。

 

 ――グレアムの覚悟を無駄にするわけにはいかない!


 カルロスは歯を食いしばり、集められた膨大な魔力を使って時間遡行魔法を行使する。

 嵐のように吹き荒れる魔力。

 人間如きには扱いきれない暴風雨のような力を横から掠め取り、その全てをマーガレットの傷口に注ぎ込む。


 ふ、と嵐が止み、静寂が訪れる。

 

 蜻蛉が飛び立つ。

 同時に、マーガレットの傷口が逆再生のように閉じていく。

 ようやっとクイーンを倒し切ったクルツも、その様子を呆然として見ている。

 

 土気色だったマーガレットの顔に生気が戻る。

 止まっていた呼吸が静かに再開され、胸が上下しはじめる。


「マギー!」

「マーガレットさん……!」

 

 蘇生成功……そして同時に最悪の失敗だ。

 少女の命は助かるだろうが、そのかわりに少年の命は奪われるだろう。

 果たして。


「グレン!?」

「グレアムさん!!」

 

 二人が見守る中、グレアムはぐらりと力を失い、後ろ向きにドサリと倒れた。

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