さよなら風たちの日々 第6章-1 (連載14)

狩野晃翔《かのうこうしょう》

さよなら風たちの日々 第6章ー1 (連載14)


              【1】


 十一月最後の土曜日。風に季節の変わり目を感じる午後。喧騒のただ中。上野。

 レストラン聚楽台脇の石段を上っていくヒロミに、何人かの似顔絵描きさんが声をかけた。

「可愛いお嬢さん。似顔絵はいかがですか。美人に描いてあげますよ」

 ヒロミははにかむように笑い、彼らに軽く会釈して石段を急いだ。

 石段の最上段に、ぼくがいたからだ。

「何をしてたの」

 ぼくの問いにヒロミは、

「だって似顔絵描きのおじさんたちがわたしに、可愛いお嬢さん、なんて言うもんだから」と恥ずかしそうに、そしてちょっぴり嬉しそうに答えた。

 上野恩賜公園。その立て看板の向こうで,何人かの労務者がコップ酒を飲みながら談笑している。そのひとり。ブルー系の作業着を着て、首にタオルを巻いているその人。欠けた前歯にタバコをはさんだまましゃべってるものだから、それを見たヒロミが、くすっと笑った。笑っちゃだめだよ、とたしなめるぼくも、必死に笑いをかみ殺す、それだった。

 西郷隆盛の銅像の前で、修学旅行とおぼしい学生服とセーラー服のグループが、かわるがわる写真を撮りあっている。その向こうには、植え込みで仕切られた街の風景を眺めているカップル。年配女性たちのグループ。物憂げな青年。新聞に目を落とすサラリーマンなどがいる。

 ふたりが歩く公園の遊歩道に、イチョウの樹々から枯れ葉が舞い降りてきて、それがアスファルトの上で弧を描いていた。ひらひらと、あるいはくるくると。街を、公園を、枯れ葉たちはそれらを晩秋の色に染め上げ、やがて来る冬の覚悟を伝えている。

 それを見ながらヒロミは、ぽつりとつぶやくいた。

「もうすぐ、冬になるんですね」

 ぼくはそれに曖昧な返事をしながら、空を見上げる。

 空は、淡い水色を使った水彩画のような色をしていた。その空をスズメたちが、もつれ合うように飛び回っている。あのスズメたちのようにいつも無邪気に空を飛び回っていたら、どんなにいいだろう。、そんな思いがふと、ぼくの心をよぎった。

「落ち込んでいたぞ。信二のやつ」

「素敵な先輩でいてください、なんて、ていのいい断わり文句だもんな」

 ヒロミは黙って、ぼくの話を訊いていた。うなずくわけでもなく、否定するわけでもなく。

「それからあいつ、ヒロミの好きなやつ、誰だろうなってそればかり気にしてた」

 ぼくがヒロミの顔を覗きこむとこ、彼女は少し微笑んだ。

「でも修学旅行の見送りに来て、チョコレート渡しただろ。あれ、あいつすごく喜んでた」

 そこまで言ってぼくは、十月下旬の修学旅行の出来事を思い返した。

 朝八時二十分。東京駅の新幹線ホーム。そこにぼくたち三年生が集まっていたのだ。


               【2】


「先輩。先輩」

 新幹線のホームでぼくたちが時間待ちをしていると、ヒロミが息を弾ませてやってきた。驚くぼくにヒロミは小さな紙袋を渡し、

「差し入れです。これ、新幹線の中で食べてください」。

 ぼくは困惑した。ばか。信二の前で、何てことするんだ。

けれどヒロミは、決して信二の存在を忘れていたわけではなかった。ヒロミは信二に向かっても、「先輩も一緒にどうぞ」と笑顔を見せ、あっという間に人ごみの中に消えてしまったのだった。

「おい、何だよ、その中身」

 信二が言うので、紙袋を開けてみた。入っていたのは、チョコレートだった。

「たぶん、おまえに渡したかったんだ。でも恥ずかしいから、一緒にって言ったんだ」

 ぼくが言うと信二は、飛び跳ねるマネをして喜んだ。そうしてあいつはやっぱりおれに気があるんだ、と勝手に解釈して、ヒロミの差し入れたチョコレートを、ほとんどひとりで食べてしまったのだった。

 そのときぼくは窓越しに流れる景色を眺めながら、ヒロミをどうやって叱ろうかと、そればかり考えていた。

 ヒロミ。引っ込み思案のおまえはどうしてときどき、大胆な行動をとるのだろう。そういえば、秋葉原で呼び止められたときも、おまえは大胆だったけな。


 ヒロミは修学旅行から帰ってきた信二に、お土産を渡されたそうだ。

 猿江恩賜公園。そこでヒロミは信二に、

「わたしには好きな人がいます。だから先輩はずうっと、素敵な先輩でいてください」と言ったのだという。

「そいつ誰だか分かったら、あいつ、気が狂うかもしれないな」

 肩を並べながらぼくが言うとヒロミは眉をひそめ、首を左右に振ってそれを否定した。


 清水観音堂の前を通り過ぎると、遊歩道は桜並木と合流する。ここは四月になると、そめいよしのが一斉に開いて、花見の名所になるのだ。

 ヒロミは途中、遊歩道より一段高い植え込みのふちをバランスを取りながら歩いた。このくらい背があったらいいんですけどね、と言ってヒロミはぼくの顔を見るのだが、それでも身長が150cmしかないヒロミは、ぼくの背に届くことはなかった。

 小さくジャンプしてふちから降りると、ヒロミの髪が少し乱れた。ヒロミはその髪を無造作にかき上げ、ぼくに微笑みかける。

 ぶな、けやき、ひのき、ヒマラヤ杉。桜並木の外側にはそんな樹木が植えられている。そして気の早い落ち葉が、無邪気な仔犬のように足元にからみつく。

 どこからともなく、鳥のさえずりが聴こえてきた。あれはムクドリだろうか。モズだろうか。ツグミだろうか。目をこらしてみると小鳥たちは、樹木から樹木へ、枝から枝へ、青い空を背景に、忙しそうに見え隠れしているのだった。




                           《この物語 続きます》



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