第5話 諦めと妥協

数日後。


「竹井のじいさん、死んだんだなぁ」

沖場は引き継ぎのカンファレスから医局に帰り自分の席に座り呟いた。

今日は休診日だが、それでも、仕事として書類書きや手術などがある。

「ええ、安らかな死に顔だったらしいですよ……」

部下の一人がパソコンを立ち上げながら言う。

そこに沖場は疑問がわく。

原因が末期癌にしろ毒素排除にしろ、そのどちらも患者の負担は大きい。

なのに、安らかな死に顔とは…?

もちろん、看護師たちが処置としてした可能性も無きにしも非ず。

そのうち、弟分・平野平秋水の言葉も思い出す。

――奴は、「難しい」とか「面倒」とは言っていたが『やらない』とは言ってない。

では、何処から侵入した?

病院の窓は患者が身を乗り出して落下しないようにほとんど開かない。

だから、外からの侵入は不可能。

外からだとしても、夜は救命救急センターぐらいで外来は来ない。

職員用入り口は専用のIDカードがないと扉は開かない。

しかも、あの巨体だ。

「おい、笹倉」

隣の席にいる部下に声を掛ける。

「確か、爺さんの引き取りは夜だったな」

「ええ、確か、夕方に息子さんだけが来るそうです………」

「ちょっと、拝んでおくか?」

「……そうですね」


地下にある霊安所に行く。

そこには、愛する伴侶を亡くした妻の慟哭も「おじいちゃん!!」と叫ぶ孫も涙する家族もいない。

ただ、コンクリートうちぱっなしの薄暗い部屋に簡単な仏壇と、簡易ベットに横たわる白装束の竹井源次郎がいた。

鈴を鳴らし、焼香をして、手を合わせる。

「寂しいな」

沖場が言った。

その言葉に竹井は一切反応しない。

内容物が出ないように鼻の穴から見える綿が少し滑稽だ。

「笹倉」

ふいに部下の名前を呼んだ。

「はい」

「………花、供えてやろうよ」

沖場は白衣から財布を出し紙幣を出した。

「これで、近くの花屋行って適当に見繕ってくれ」

「わかりました」

――なんだかんだ言って優しい人だ

笹倉は胸の中で沖場を誇らしく見た。

直接言ったら恥ずかしがり屋の上司が変にへそを曲げてしまう。

「じゃ、失礼します」

鋼鉄の扉が閉じられ、沖場は一人になった。

笹倉の足音が遠のくのを確認すると急いで白装束の襟を持ち上げ胸のあたりを見た。

薄暗いが白衣からライトを出して体を検証する。

と、ある部分に気が付いた。

右胸にわずかに傷がある。

それは普段なら気にならない痕だ。

入院する前に何かあったのか?

いや、回診の時にはなかったはずだ。

傷の大きさを携帯している小型定規で測ろうとした。

その時、意外に早く部下の足音が聞こえる。

それどころか、人数が多い。

沖場は慌てて白装束を元に戻した。

白装束から手を離した瞬間、ドアが開いた。

「ただいま戻りました」

「お帰り…………その後ろの奴らは何だ?」

振り返ると笹倉の後ろには数名の看護師や介護士がいる。

「男二人で見送るのも流石に厳しいんでお世話人たちに声を掛けました」

沖場は目を細め厳しい顔をしたがフッと頬が緩んだ。

「……サボりじゃねえよな」

『救われているのは……俺か』

沖場はチラッと竹井を見た。

物言わぬ竹井が少しだけ笑顔になったような気がした。


「お世話になりました」

夜迫る夕方。

いつの間にか雨は止み、星が数個確認できる。

「父がお世話になりました」

竹井の息子が葬儀屋と共にやってきて遺体を引き取った。

本来ならば、「お気を落とさずに」などと言えば一幅の絵にもなろうが、そんな言葉は出なかった。

沖場は頭を下げることで精いっぱいだ。

「遺骨………どうするんでしょうね?」

傍にいた笹倉が沖場に聞いた。

「さぁな……あの関係だ……墓に入るのは難しいから散骨とかするんじゃねぇかねぇ」

沖場は背を向ける。


病院は生と死が交錯する場所だ。

そこでなにが出来るか?

なにが出来ないのか?

その境目は科学や技術の向上であやふやになっている。

沖場の恩師は、彼が研修医のころにこんなことを言っている。

『命を救うことは医師として至上命題です。しかし、同時に救うことが出来ない人を安らかに向こうへ行かせる。これも医師としての至上命題です』


沖場たちを待つ患者は、まだ、多くいる。

必要としている人たちもいる。

と、内線用のPHSが鳴った。

「はい、沖場!!」

『救命救急センターです! 近くの工事現場で落下事故!! 怪我人多数! 手が足りないので来てくれませんか!?……頭にヒビの入った子供もいます!!』

沖場は深く溜息を吐いた。

感傷的になれないことを嘆きつつ内心では手術の手順を考える。

「了解! スタンバイをしておけ!!」

『ありがとうございます!!』

PHSを切り、後ろを向いた。

「笹倉、話は聞いたな!!」

だが、若手医師は渋い顔だ。

「今日、デートだったんですが……」

「じゃあ、延期してもらえ!!デートなんぞ何時でもできるが、怪我人は待っちゃくれないぞ!!」

「……はーい」

苦虫を大量に噛んだように笹倉は手を上げた。

「本当、沖場先生ってタフですよね」

「ばぁか、諦めと妥協の産物だよ」


夜は深けていく。


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