第3話 死神の言い訳と本音
「『仮に助かったとしても誰が待っているんですか?』かぁ………」
事のあらましを聞いた秋水は深い溜息を吐き、少し天井を仰ぎ見た。
「春平爺さんはどうだった?」
秋水の父・平野平春平も最近癌で亡くなった。
沖場が星の宮病院に着任したのはその直後であった。
「どうなんだろうねぇ……でも、まあ、長患いはしなかったし、それなりの覚悟をしていたから悪くはなかったと思うよ」
そういいながら秋水は、そこで言葉を切った。
「でもさ、生きている方には爺さんにしてあげたかったこと、してほしかったことが山のようにあるんだぜ……栓の無いわがままだけど」
数分、沈黙が流れた。
と、沖場がポツリ言った。
「なあ、秋水」
「何?」
「金も希望に沿うよう払うから竹井さんを殺せないか?」
その言葉に秋水は冷めたコーヒーをすすって口を湿らせた。
「殺しって言っても病院だろう?仮に潜入できて暗殺しようにも証拠を残さず殺すことは難しい……というか、命を救う医者がそんなこと言っていいの?」
コーヒーサーバーから沖場は断りもなく、秋水も止めることなく、自分のカップにコーヒーを注いだ。
「命を救うだけが医者の仕事じゃないさ。その人らしく『向こう側』に逝かせるのも俺たちの役割だ」
秋水はその言葉を聞いて少し考えた。
「証拠を残さず殺すとなると、やっぱり、手堅いのは秘孔術かな……」
独り言のように呟いた。
「あれか?指先ひとつで……」
沖場が反応する。
秋水は思わず苦笑した。
「ありゃあ、ゲームや漫画の話……」
立ち上がった秋水は隣の部屋から幅の広い掛け軸を出すと欄干にかけて広げた。
そこには難しい漢詩や水墨画ではなく前後左右の人体図が書かれている。
図にはそれこそ地図のように点と文字が書き込まれている。
「これが、うちに代々残る秘孔図……ツボって言った方がいいな」
「何か違うの?」
「基本的にツボってのは体や精神のダムみたいなもので、肩こりとかは、そのダムが機能不全に陥った証拠さね。肩もみとかは、そのダムの周辺を整理したりダムに溜まった水を流したりことになるわけ。で、そこに爆薬を仕込んでダムを壊せば理論上は人体破壊が出来る」
沖場は渋い顔をした。
「暗殺術は、文字通り、そんな派手なことはご法度だ。あくまで、痕を残さず自然死に見せることが重要なんだ。そのためには、流すエネルギーを微妙に変えなきゃいけない」
「そんな方法があるの?」
「指先に全神経を集中させて寸分の狂いもなく動いているツボを押す……言葉では簡単だがやるのは物凄い集中力もいるし大変だぜ」
また、沈黙が流れた。
「やっぱり、無理か……」
ため息を吐くように沖場は言った。
「悪いね、昔の俺ならいざ知らず、今は単なる不動産仲介業者だから……それに、本当はこうなることぐらい分かってたんでしょ、お兄ちゃん?」
弟分の言葉に兄貴分は口角を上げた。
「そうだなぁ……」
と、秋水がコーヒーサーバーのコーヒーが少ないことに気がついた。
「淹れてくるよ」
「いや、いい」
秋水の言葉を止め、沖場はサーバーから最後のコーヒーを注ぐ。
カップに半分にも満たない。
それを丁寧にすする。
「苦い?」
「うん、ぬるくて苦い」
不安そうな秋水に沖場は告げる。
「でも、今の俺にはちょうどいいな……」
飲み干して沖場は立ち上がった。
「そろそろ、帰らなきゃ家族が心配する……………爺さんのことは可能な限り手は尽くすが……悪かったな、突然来て…………」
「ううん、久々に兄ちゃんと遊べて楽しかった」
その言葉に沖場は苦笑する。
数日後には確実に筋肉痛確実なほど動いたのに、秋水にとっては『遊び』だったのだ。
いつの間にか雨は小降りになっていた。
門まで見送り、秋水が再び、家に戻ると三つ揃えのスーツを着た精悍な男が角の柱に背をもたれながら待っていた。
場所が渋いバーやオフィス街ならば栄えるであろう、その出で立ちもかび臭い平野平家では少し浮いて見える。
男の名前は石動肇。
秋水が裏家業(公に出来ない事件や厄介事)で活躍するときの相棒である。
裏社会においては『伝説の傭兵の最初にして最後の愛弟子』とも言われている。
ただ、本人の弁を借りれば「迷惑なのに遊び相手にしたがるおやっさん(=秋水)が勝手に巻き込んでいるだけ」となる。
秋水はすぐには居間に上がらず、土間の台所から燻製にしたシシャモを皿に盛ってから上がった。
「盗み聞きとは、品がないぞ」
「別に聞こうと思ったわけじゃないですよ」
皿を置いた秋水は座り、シシャモを一尾、手に取った。
銀色だった腹は見事な黄金色に燻されている。
それを頭から食べる。
頭はパリパリ、身はさっくり、卵はプチプチして歯ごたえが楽しい。
わずかな塩っ気だけの味付けだが、燻製の匂いを思う存分堪能できる。
石動はいつの間にか、秋水と対面する形で、ちょうど沖場がいた辺りに座っている。
「食っていいぞ」
「いただきます」
石動も燻製したシシャモを食べる。
普段、あまり食に興味の無い石動もわずかに表情が動く。
「美味いですね」
「ちゃんと燻したからねぇ」
石動は、その後二、三匹を食べた。
「おやっさん………………どうするつもりですか?」
卓の上にあるウエットテッシュで手を拭きながら石動は聞いた。
「何を?」
「沖場さんの話に出てきた老人の話です………殺すつもりですか?」
「何でそう思う?」
秋水は悠然と反問してきた。
「だって、平野平家って元々暗殺一家なんでしょ?」
「昔はな………今さっきも兄ちゃんに行ったけど、今はちゃんと不動産業の仕事もしている……それに暗殺って結構大変なんだぜ」
「たっだいまぁあああ!!」
そこに場違いに明るく元気な声がした。
息子の平野平正行が大学から帰ってきたのだ。
「身体測定の結果、優良でしたぁあ!!」
昨年、正行は大学で行われた身体測定で体重が『(やや)太り気味』だった。
ショックを受けた正行は、その日から朝夕の修行(鍛錬)のメニューを見直し、親や同級生からの酒の誘いも出来るだけ断り、ご飯類もヘルシーな和食に統一した。
そんな努力のかいがあって、どうやら、正行の体重は平均値になったのだ。
手を洗い、うがいをして正行は冷蔵庫の中を見た。
「あれ?ビールがある………親父、飲んでいい?」
「いいよ」
正行はビールを一気に飲み干して居間に上がった。
そこで初めて石動の存在を確認した。
「あ、石動さん………こんにちは」
礼を失さないように正行の態度がすぐに改まる。
「いや、気にするな。俺もそろそろ帰るから……………」
空を見れば、厚い雲が全体を覆っている。
雨が降りそうだ。
「じゃあ、おやっさん。帰ります」
「あいよー」
石動は立ち上がり、土間で靴を履き、門から出た。
数分して、車の爆音が聞こえた。
「石動さん、何しに来たの?」
「……ああ。昔、親父が貸した本を返しに来たのさ。まあ、その条件が俺にバレることなく返却するってのが親父から石動への命令だったらしい」
「………ふう……ん」
「まあ、ギリギリ及第点かな………ほら、さっさと鞄を置いてこい」
そう言うと今度は秋水も立ち上がり居間の奥、かつて秋水の父・春平が使っていた書斎に向かった。
「俺は、これから爺さんの遺品を少し整理する。正行、お前は後勝手にそこの燻製シシャモを肴に酒を飲むなり、寝るなり勝手にしろ」
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