脅威覚醒

 仲間に対し突き刺さり、鼓動のように波打つ。

 触手の繰り出した行動に、この場にいた誰もが困惑する。ヤタガラスすらその異様な行いに驚いたのか、顔を顰めている有り様だ。されど触手の持ち主であるマレビドスはそんな事などお構いなし。次々と新たな『結果』を引き起こす。

 触手の突き刺さったガマスルの身体が、どんどん痩せ衰えていったのだ。触手に狙われなかった方のガマスルは人間にも分かるぐらい顔を恐怖で染め上げ、ガタガタと震えるばかり。どうやらこんな目に遭わされるとは、考えても聞かされていなかったらしい。

 やがて触手が刺さった方のガマスルは動かなくなる。それでも触手の脈動は止まらず……段々とガマスルの身体は萎んでいった。眼球と皮膚が干からびていき、骨が浮かび上がってくる。

 最早骨と皮しかないというほど乾いたところで、マレビドスはガマスルの亡骸を無造作に投げ捨てた。巨体故に干からびてもそれなりの質量があり、ガマスルの亡骸が落ちた際に土煙が舞ったが、生きていた頃と比べて明らかに弱々しい。


【……ピィルルルルルルルルル】


 ガマスルの体液を吸い尽くしたマレビドスは、上機嫌な声で鳴いた。

 続いて触手を二本掲げる。その二本の触手はヤタガラスが引き千切ったものであるが、今や断面が蠢き、ぼこぼこと盛り上がりながら再生していくではないか。

 時間にして僅か数秒。ヤタガラスが動く暇もなく、二本の触手はすっかり元戻りに。ダメージなどないと言わんばかりに、触手は大きく、力強く動き回る。

 それに心なしか、身体の方も大きくなったような……


【……グカアァァ……!】


 ヤタガラスもこれには流石に動揺したのか、後退りするように動く。対するマレビドスは前に進む。今までの戦いで受けたダメージなどないかのように。

 戦いは再び膠着状態に陥る。とはいえマレビドスはすっかり回復しているのに、ヤタガラスは消耗したまま。戦局は間違いなくヤタガラスが不利だ。ヤタガラス自身も理解しているらしく、激しい闘志を露わにしながらも突撃していかない。

 ヘリコプターで空高く、遠くから戦いを眺めていただけ百合子達も、ヤタガラスと同じく動揺していた。


「嘘……傷が、あんな一瞬で治るなんて……」


「そ、それよりさっきのは何!? なんでアイツ、仲間を殺したの!? というか、あれじゃまるで……」


 体液を吸い取っているみたいじゃないか。

 茜の口からその言葉は出ていない。だが百合子は茜がそう言おうとしていた事を察した。何故なら百合子自身もそう感じたからだ。

 どうしてマレビドスはガマスルから体液を奪ったのか? 答えは、明白だろう。傷を癒やすためのエネルギーを補給したのだ。二体のガマスルは戦力ではなく、餌として呼ばれたらしい。その事実を告げられる事もなく。

 マレビドスもまた怪獣を喰う怪獣という訳だ。

 それ自体は決して不思議な話ではない。ヤタガラスだって怪獣を積極的に食べるし、他の怪獣も怪獣を食べている。地球では今や怪獣の食物連鎖が出来上がっているのは周知の事実。マレビドスの強さを思えば、巨大な肉塊高エネルギー源である怪獣を食べる事はむしろ自然だ。

 そう、自然な筈

 なのにどうして、怪獣研究者である真綾は驚愕したように目を見開いているのか?


「あの、真綾さん? どうかしたのですか……?」


「……分かった」


「? 分かったって、何が、ですか?」


「マレビドスが地球に来た目的よ! ああクソッ! やっぱりそれが目的か! 不味い、本当に不味いわこれ……!」


 思わず百合子が尋ねると、真綾は叫びながら自身の頭を掻き毟る。突然の行動に驚く百合子だったが、それと同時に全身が冷えていくような悪寒に見舞われた。冷静な真綾が取り乱すのだから、本当に『不味い』状況なのだと思ったがために。

 一体何が不味いというのか。直感的にではあるが、百合子はそれを訊かねばならない気がした。茜も同じように感じたようで、真綾の事を真剣な眼差しで見つめている。


「……一体、なんなのですか? マレビドスが地球に来た理由って……」


 恐る恐る百合子が尋ねると、真綾は一旦口を噤む。

 次いで深く息を吐いたのは、自分の中にある気持ちを整理するためか。やや間を開けてから真綾は語り出す。


「マレビドス、正確にはその前に地球に落ちてきた隕石グリーンアローが、怪獣化を引き起こす細菌を連れてきた。仮説だけどそれが正しいとしましょう」


「う、うん。状況証拠しかないけど、それしか考えられない、よね?」


「まぁ、色々やってるからね、アイツ……」


 グリーンアローと同じく緑色の発光をしながら宇宙より降下。更に地球の、怪獣化細菌を持っていないヤタガラス以外の怪獣を自在に操る力を見せ付ける。ここまでやっておきながら、マレビドスが怪獣出現に関わってないとは考えられない。

 しかし今までは、それ以上の事は分からなかった。状況証拠しかないのだから。いや、今でも状況証拠しかない。マレビドスの千切れた触手一本すら、人類はまだ入手すらしていないのである。

 だから真綾の言葉は全て推論。憶測であり、物証次第でいくらでもひっくり返る浅い考えに過ぎない。

 そう分かった上で。


「その仮説を正として、もう一つ仮説をぶっ立てる。マレビドスの目的が、地球を自分達の『牧場』にする事なのだと」


 真綾が告げた可能性に、百合子と茜の二人は同時に声を詰まらせた。


「牧、場……あの、家畜を育てるための……?」


「ええ、その牧場。あ、一応言うと牧場ってのは知的生命体の特権じゃないわよ。身近な例だとアリとアブラムシの関係は正にそれ。アブラムシを天敵から守る代わりに、甘い汁をもらう。人間が家畜相手にやってるのと大差ない行動ね」


「自然界にあるのは分かったけど、でもそれをマレビドスがやってるとは限らないじゃん。今のところ怪獣の世話をしてる様子なんて見せてないし」


「そうね、確かに世話はしていない。でも、牧場化は既に完了してるわ」


「牧場化が、完了している?」


 真綾の言葉の意味が一瞬分からず、百合子はキョトンとしてしまう。だがその意図に気付き、ハッと目を見開いた。

 真綾は淡々と、落ち着き払った声で説明する。

 ――――マレビドスの作戦はこうだ。

 生物が豊富な惑星を見付けたら、そこに|怪獣化細菌を乗せた隕石を落とす。隕石は大気圏突入時の影響でバラバラに砕け、乗せていた怪獣化細菌は惑星中にばら撒かれる。

 やがて地上に降下した細菌は、呼吸や食事を通じて様々な生物の体内に入り込むだろう。全てが全て成功するとは限らない。他の星の生物でも免疫の仕組みは持ち合わせているだろうし、その抗体や体質的な抵抗力(例えば人の鎌状赤血球。この赤血球はいわば奇形で貧血を起こす要因となるが、マラリアに対して抵抗力を有す)には個体差や種族差がある筈だ。恐らく大半の怪獣化細菌は宿主から駆逐され、死んでいく。

 しかし上手く宿主に適応出来た個体は、その宿主を怪獣化させる。

 怪獣化した生物の強さは圧倒的だ。大きくなれば火薬兵器ぐらい平然と耐える。宇宙生物がどれだけの強さを持つかは、地球しか知らない人類には分からないが……ヤタガラスのような『特別』な存在を除いた、一般的な動物と同程度だと仮定すれば、その強さは圧倒的を通り越してインチキそのもの。しかも怪獣化細菌が栄養を作り出すので食糧も僅かで良い。

 怪獣化した個体はほぼ確実に生き残り、子孫を残す。怪獣達はどんどん繁殖していき、やがて既存の生物の代わりに地上を支配していく。

 そうして怪獣が十分に増えたところで、マレビドスは降り立つ。

 どんな怪獣が栄えていようと構わない。惑星元来の生物が生き延びていようと問題ない。怪獣化細菌を持つ怪獣はマレビドス(とって自由に操れる手足であり、餌にするのも自由、戦力にするのも自由。マレビドスが降り立った瞬間、その星はマレビドスのものになり……食べ放題の餌場となるのだから。


「その独自の生存戦略により、マレビドスは繁栄してきたんでしょうね。地球が狙われた理由は、生物がいるからってだけじゃないかしら」


「……アレがやってきたのは、ただの偶然って事ですか」


 運悪く異星生物の侵略に遭った。言葉にするとなんとも不運で理不尽な出来事だと、百合子には思える。怪獣達に命を奪われた人々もただ餌場として利用する過程での巻き添えと思うと、怒りや悲しみなどの感情で胸がぐちゃぐちゃに掻き乱されてしまう。

 しかし考えてみれば、理由がない悲劇なんてあり触れたものだ。人間に踏み潰されたアリ、車に轢かれたトカゲ、畑を耕す鍬で切断されたミミズ……彼等に死んで当然な理由なんてない。人間だけが理由のない悲劇から逃れられるなんて、そんなのはただの傲慢というものだ。

 しかし、これが悲劇ではないと冷静に考えれば……何が問題なのか、分からなくなる。


「えっと……その場合、何が不味いのでしょうか? ヤタガラスが仮に負けたとしても、単に生態系の頂点が入れ替わるだけのような気がするのですが」


 マレビドスが侵略兵器ならば、ヤタガラスが勝たねば地球は異星人のものとなっていただろう。そうした理由ならば、何がなんでもヤタガラスに勝ってもらわねば困るところだった。

 しかしマレビドスの目的が怪獣を食べる事なら、ヤタガラスを倒したところで頂点が入れ替わるだけ。マレビドスは所謂『外来種』なので、地球生物であるヤタガラスが勝つ方が良いのは確かだろうだが……負けても怪獣を食べる怪獣は存在し続ける。何も変わらないかも知れないし、むしろ積極的に怪獣を食べてくれるお陰で人間の怪獣被害が減るかも知れない。

 悪い事が起きると決まった訳じゃない。ところが先の真綾の「不味い」という物言いは、何か確信めいたものを感じさせた。一体真綾は何を危険視しているのか、どうして断言するのか、百合子には分からない。

 真綾も説明を怠るつもりはなかった。百合子だけでなく茜も首を傾げている姿を見て、自身が抱いた懸念を伝えようと口を開く。

 尤も、真綾よりも早く説明してくれるモノがいた。とても分かりやすく、どんな能天気だろうと一瞬で現実を直視するぐらいハッキリと。

 マレビドス自身だ。


【ピルルゥゥゥ……】


 不意に、マレビドスが視線を動かす。その巨大な単眼が見たのは、自分が呼び寄せたもう一体のガマスル。

 ガマスルは視線に気付いた瞬間、身体を震わせる。腰砕けになり、逃げようと身を仰け反らせてもいる。

 だが、ガマスルの脚は勝手に前へと進む。


【ギョ、ギョオギィ!? ギョギギイィイイイィィィィッ!】


 ガマスルは叫ぶ。だが叫ぶだけだ。彼の脚はどんどんマレビドスの方へと歩み寄るばかり。彼自身の意思を無視するように。

 マレビドスはそんなガマスルに、触手を突き刺す。無論それで終わる事はなく、最初に犠牲となったガマスルと同じように体液を吸い始める。

 ガマスルは暴れない。さながらお座りをする犬のように行儀良くへたり込み、大人しく吸われていた。だが表情筋を持たない両生類的なモノにも拘らず、その顔には恐怖と絶望が浮かんでいる。待ち受ける運命に対し、悪足掻きすら出来ない悲壮に満ちていた。

 恐らく怪獣達の身体は、自分の意思とは無関係に動かされている。

 追跡中などにヤタガラスという勝ち目のない敵に怪獣達が突撃したのも、密集して窒息させるという極めて知的な作戦を行えたのも、マレビドスが無理やり怪獣達を動かして行わせたのだろう。さながらゲームの駒のように。ヤタガラスに立ち向かった怪獣達はいずれも闘志を滾らせていたが、内心もそうだったかは怪しいところだ。

 ――――真綾が感じた危機感とは、『これ』の事ではないと百合子は思う。

 だが本能的に理解する。この生物を生かしていてはいけないと。人間の勝手な価値観での物言いだが……コイツに支配されたなら、尊厳どころか生き方すらも全て奪われてしまう。身体という檻に心を囚われ、ただマレビドスに栄養を補充するための餌として使われる。

 生き物の世界に善悪なんてない。どんなに惨たらしい生き方をする生物でも、進化と淘汰により獲得した素晴らしい力だ。だが、それを分かった上で、マレビドスはあまりにも邪悪だと百合子は感じてしまう。

 そして邪悪さは、加速していく。


【ピ、ルル、リ、リギイィイ……!】


 めきめきと、マレビドスの身体が張り詰めていく。

 五十メートル程度だった傘は七十メートルほどに膨張した。触手は倍近い太さへと変わり、表面に鱗のような構造物が浮かび上がる。全身を包む緑色の輝きは強さを増し、その身体に力を滾らせていく。目玉も肥大化し、それを守るかの如く目の周りに小さな棘が無数に生える。

 そして傘の背面部分が、大きく盛り上がり始めた。

 いや、盛り上がるというのは不正確だろうか。盛り上がった肉はどんどんと伸び、細く、鋭くなっていく。しかもそれが等間隔に六本もあるのだ。やがて伸び終わった時、そこにあったのは盛り上がった肉ではない。肉食動物の爪が如く上向きに曲がった、六枚の背ビレだ。


【ビギリルィイイ……!】


 漏らす声はより力強く、そしておぞましいものとなっていた。

 面影はまだ残している。だがかつての、不気味ではあっても『クラゲ怪獣』なんて愛嬌のある印象を抱いた時とはまるで違う。獰猛で恐ろしい、正真正銘惑星外からの怪獣と化す。

 マレビドスは成長したのだ。ガマスル二体の栄養、或いは百合子達が見てないところで食べてきた怪獣達を糧にして。


「……さっきまでのマレビドスが幼体である可能性は高いと思っていたわ。一般的に生物は自分よりも小さなものを獲物とする。それは単純に安全だからというのもあるし、小さな生き物の方が資源が豊富だからとも言えるわね」


「……マレビドスは怪獣としてはあまり大きくなかった。怪獣という餌が豊富なら、もっと大きくなる筈」


「生物進化の基本ね。加えて天敵がいないなら、繁殖してどんどん数が増えていき、最後は飽和する。獲物や異性を奪い合う、同種間競争の始まりよ。そうなった時、強いのは何時だってデカい方なんだから」


 真綾が語る仮説。茜が協調するように言葉を続け、真綾もそれを否定しない。

 天敵がいない生物はどんどん大きくなるもの。その巨大化が止まるのは、餌が足りなくなった時だ。怪獣という豊富な食料資源を得たマレビドスが、ほんの五十メートル程度の大きさで収まる理由がない。今は七十メートル程度で止まっているが、これすらも成長途中だという可能性が高いだろう。普通の怪獣でも百メートル近い大きさになる事を考えれば、その生みの親であれば何百メートルもの大きさになってもおかしくない。

 もしもそんな大怪獣が繁殖したなら? 怪獣を自在に操る力を用いて、効率的な怪獣養殖でも始めたなら……

 人類だけでない。地球の生命そのものが、本当に食い尽くされるかも知れないのだ。

 しかしマレビドスと互角にやり合えるのは、地球最強の怪獣ヤタガラスのみ。そのヤタガラスも互角だったのは、マレビドスが成長する前の状態での話である。おまけにヤタガラスは疲労困憊なのに、マレビドスは餌を食べてすっかり回復していた。


【……グガアアゴオオオオオオオッ!】


 それでもヤタガラスに退く気はない。地上戦は分が悪い事など気にもせず、一片の迷いもなくマレビドスと向き合う。

 マレビドスもまた、力を得たからといって油断しない。これまでと変わらず、激しい闘志を纏ってヤタガラスを見つめる。

 変わったのは片方の力の大きさだけ。ならばどのような結果になるかは、考えるまでもない。

 そして百合子が考えた通りの戦いが、繰り広げられる事となる――――

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