読めない思惑

 ヘリコプターのプロペラ音が、機体の中にいる百合子達の鼓膜を震わせる。

 中の防音性もあるが、もう何時間も乗っていて音に慣れたのもあるだろう。単調なプロペラ音に今や不快感はなく、むしろ眠気を誘うメロディーとなっていた。

 ヤタガラスが何処か ― 川や湖に向かったと思われるが所詮推論に過ぎない ― に行った後、特段動きは起きていない。精々、ヤタガラスを目指しているであろう怪獣の群れを何度か目にした程度か。こんなヘリコプター一機では怪獣に襲われたら一溜まりもないが、怪獣達は百合子達が乗るヘリには見向きもせず。どうやらマレビドスの指示に「ヘリコプターを落とせ」はないようで、行程は極めて安全なものだった。

 環境だけでいえば居心地は悪くない。昼寝でもしたくなる状況だ……普段ならば。


「(な、なんか空気が悪い……)」


 しかしそんな気が起きないぐらい、百合子の周りの雰囲気は良くなかった。

 良くないといっても、嫌悪という訳ではない。ただ、茜は俯いてばかりで、真綾は何やら真剣に考え込んでいるのかチリチリとした雰囲気なのである。ヘリのパイロットも、ここで居眠りなどしたら全員であの世行きなので、しっかり気を引き締めている様子。

 女子高生時代なら兎も角、社会人となった今、この状況下でぐーすか寝るのは少々憚られるだろう。真綾も茜もそれを気にする性格ではないが、百合子は(他人がやるのは構わないが)気にする性質なのだ。

 なので百合子は居眠りも出来ない。いや、居眠りしたい訳ではないので、眠れなくてもなんの問題もないのだが……起きていると沈黙が辛い。

 誰かと話したくて堪らなくなった百合子は、真綾に声を掛けてみる。


「ま、真綾さんっ。あの、えと……」


「ん? なぁに?」


「え、えーっと、いや、先程から何か考えているみたいでして……何を考えているのかなーと」


 『考えなし』に話し掛けた百合子は、問われて混乱のあまり、衝動的にそんな質問をしてしまう。とはいえ真綾はそれに怪訝な表情を浮かべたりしない。淡々と、訊かれた事に答える。


「ちょっとね、マレビドスの思惑について考えていたわ」


「思惑、ですか?」


「そう。なんでマレビドスの奴は、ヤタガラスから逃げ回るのか……その理由を考えていたの」


 真綾の考えに、百合子は首を傾げる。

 ヤタガラスとマレビドスの戦いは、互角ではあるもののヤタガラスが押していたと百合子は感じている。地上戦ではヤタガラスがやや不利だったようにも見えたが最終的に逆転しているし、空中戦に至ってはかなり一方的な戦いだった。恐らくそのまま戦えば、どちらの戦いでもヤタガラスが勝利していただろう。

 人間のようにプライドがあるなら兎も角、怪獣動物にそんなものはあるまい。だから形勢を立て直すために、或いは敵わないと悟って逃げ出すのは、不思議な行動ではない筈だ。


「えっと、それの何がおかしいのでしょうか? 私達が見たどの戦いでもマレビドスが負けそうになっていたのですから、逃げるのは当然かと」


「逃げ方がおかしいのよ。いえ、戦い方そのものと言うべきかも知れないわ。怪獣を自由に操れるのに、どうしてマレビドスはその怪獣達と共に戦わず、逃げているのかしら? チームで挑めば、恐らくヤタガラスをかなり追い詰める事が出来る筈なのに……」


「はぁ……そうかもですけど、でも怪獣ですし、単にチームで戦うと考えるだけの知能がないだけでは?」


「いいえ、そんな筈はない。さっき、怪獣達がヤタガラスに窒息作戦を敢行したでしょ? どうして怪獣達はヤタガラスにって知ってたのかしら?」


 尋ねられて、百合子は言葉に詰まる。言われてみれば確かにそうだ。人類の科学力を用いて、ようやくヤタガラスの防御力の高さは解明された。人類がこの宇宙で最高の知性だとは言わないが、しかし猿や犬の化け物よりは間違いなく賢いだろう。だから化け物達……地球の怪獣達は何故ヤタガラスが強いのか、理屈なんて知りようもない。

 にも拘らず怪獣達はがむしゃらな波状攻撃ではなく、大群による圧迫という『知的』な攻撃をしてきた。まるで光子フィールドの存在を理解しているかのように。

 ここから考えられる可能性は一つ……マレビドスが戦い方を教えたのだ。どんな方法を使ってかは分からないが、世界中の怪獣を操れるぐらいだ。テレパシー的な力で情報を伝えてもおかしくない。

 しかしそうなると、マレビドスはヤタガラスの能力の『対処法』……少なくとも原理を理解している事となる。自分と同じような能力だとしても、対処法を理解するにはそれなりの知能が必要だ。それを他者に伝えるならば尚更であろう。


「人間並とまでは言わないけど、マレビドスがかなり知能の高い怪獣なのは間違いない。なのにどうして仲間を頼らないのかしら? 仲間を頼るという発想がないにしても、戦力として見るぐらいはしそうなものじゃない」


「……そう、ですね。確かにそうかも……」


「まぁ、単純にそんな事考える余裕もなかったって可能性もあるけどね。百合子が言うように、私達が見てきた戦いはどれもヤタガラスが押していた訳だし」


 自らの意見に対し、否定的な可能性を言葉にする真綾。言い回しは如何にも飄々としているが、彼女の顔は強張ったまま。自分で言っときながら、楽観的な可能性は低いと思っているらしい。

 或いは、安心出来る要素がないと思っているのか。

 マレビドスについて、人間は何も知らない。宇宙から来たというのも推定でしかなく、細菌をバラ撒いたというのも真綾の推論だ。怪獣を操ってるというのも状況証拠からの予測。仮定に仮定を重ねたようなものばかりで、確かな事は何一つ分からない。

 ヤタガラスのような防御フィールドを展開しているという『情報』だって、ヤタガラスのレーザーを弾いた光景からの想像だ。もしかしたら単にマレビドスの皮膚が物凄く頑丈なだけなのかも知れない。


「……マレビドスって、一体どんな怪獣なのでしょうか」


 頭の中に湧き出す無数の疑問。自分が如何に何も知らないのかを思い知らされた気がした百合子は、思わずそんな呟きを漏らす。


「何よ、改まって。何か分からない事でもあった?」


「分からないと言いますか、何も知らないじゃないですか。ヤタガラスのレーザーも防ぐ丈夫さとか、触手から出したレーザーとか、原理も分からないでしょう?」


「ま、確かにね。そもそも本当にレーザーなのかも断言は出来ないし」


「え? レーザー以外に、あんな見た目の攻撃ってあるんですか?」


 百合子は物理学などに詳しい身ではない。ただ、マレビドスが触手から放っていた光線は、どう見てもレーザーだと思う。

 逆に、他にどんな攻撃ならばあのような光線が放てるのだろうか?


「例えば、ビームね」


 その答えとばかりに、真綾は語る。

 語るが、百合子には親友が何を言いたいのかよく分からず。思わず首を傾げてしまう。


「あの、ビームとレーザーって何が違うのですか? どっちも同じものだと思っていたのですけど」


「全然違うものよ。レーザーは光に指向性を持たせて放ったもの。対してビームは、粒子の運動と向きを揃えて撃ち出したものよ」


「……すみません。もっと簡単にお願いします」


「つまり、ビームってのは粒子ならなんでも良いの。水鉄砲みたいなものよ。電磁波ビームなんかもあるけど」


「はぁ……」


「ま、細かい違いは気にしないで良いわ。要するに別モンだって分かれば十分」


 結局百合子があまり分かっていない事を察したのか、そう言って説明を打ち切る真綾。申し訳ないと思う百合子だが、真綾の性格上、理解してないといけない情報はちゃんと説明してくれる。こうして流すという事は、話の本質とは無関係なのだろう。

 その考えは正しかったようで、以降の真綾の話を聞くのに、大した問題はなかった。


「果たして何を撃ってんだか。ヤタガラスのレーザーみたく、放射線をバラ撒くような奴じゃなければ良いんだけど」


「えっ。や、ヤタガラスのレーザーって、放射線を出してるんですか……?」


「正確には着弾時にね。ヤタガラスのレーザーが着弾すると、強力な光エネルギーで物質の原子核が崩壊して、その際に飛び出した中性子が周りの原子核を破壊するのよ。で、崩壊時に熱エネルギーが生成されて、それが水やらなんやらを気化させる形で爆発が起きてるんだけど、その時一緒に中性子線もバラ撒かれてる訳」


「つ、つまり、何度もレーザーを見てる私達って、がっつり被爆してるんじゃ……」


「してるわよ。でも直ちに影響はない水準だから気にしなくていいわ。影響があるとすれば年取ってからだけど、こんな世の中じゃ六十とか七十まで生きられるか怪しいし」


 平然と答える真綾だが、百合子はそこまで割り切れない。一般人にとって放射線というのは、とても恐ろしいものなのだから。


「なんにせよ、マレビドスの攻撃をちゃんと観測をしないと確かな事は分からないわ。心配する気持ちも分かるけど、事実が判明するのに数年は掛かるでしょうね……それまで地球が地球生命のものであれば、の話だけど」


「笑えない事言わないでくださいよ」


「これもまた可能性の話よ。最悪は何時だって想定しておいた方が良いわ……ま、私はその最悪を乗り越えるつもりでいるけどね」


 ニッコリと、自信満々で不敵な笑みを浮かべる真綾。

 不安がっている自分を元気付けるため? 一瞬そう考えて、けれどもすぐにそれはないと百合子は気付く。真綾はそこを誤魔化すようなタイプではないのだ。悪い事があるなら悪いと言うし、良い事があるなら良いという。

 少なくとも親友に対して彼女は嘘を好まない。だから今の言葉は間違いなく本心からのものだ――――それを理解した百合子は、同じく不敵に笑い返す。

 次いで、ちらりと横目に見てみれば……茜がそっぽを向いていた。こちらから顔を隠すように。

 だけど百合子は見逃さない。茜の頬がほんのり弛んでいる事を。まるで今までの話を全部聞いていて、真綾の気持ちに気付いて自然と頬が弛み、悩んでいる手前それを隠そうとしているかのように。

 こういうのも難だが、子供のようで実に可愛らしい。何より、面白い。


「……ぷ、ぷくく」


「くくくく」


「……何さ二人とも、いきなり笑い出して」


「「べっつにぃー?」」


 百合子と真綾の声がハモる。するとみるみるうちに茜の顔色が赤くなった。怒りではなく、ちょっとした気恥ずかしさで。

 沈黙していた空気が一転して、賑やかなものへと変わる。

 その賑やかさは、百合子達の乗るヘリが荒れ果てた都市部に辿り着くまで、だらだらと続くのだった。

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