空中の決戦

「世界中で怪獣との戦いが……!?」


「な、なんの冗談よ、それ……」


 真綾から告げられた言葉に、百合子と茜が戸惑いながら尋ね返す。

 いっそ冗談だと言ってくれたなら良かったのだが、真綾は神妙な面持ちを浮かべるのみ。それだけで、先の言葉が一切偽りのないものだと百合子は理解する。


「言葉通りよ。世界中で多数の怪獣が暴れ回っている。現時点で自衛隊が把握している限りだと、アメリカ、中国、ロシア、EU諸国……未確認情報だけど、アフリカや中南米でも出てるみたい」


「そんな……! か、勝ち目は……」


「ないわ。怪獣達が疎らに襲ってくる状態でも、どの国もギリギリなのよ。一斉に暴れ出したらどうにもならない。核保有国なら撃破は出来るでしょうけど、自国の大部分を放射能汚染塗れにするのを躊躇わない国がどんだけあるのやら」


「どうして、一体何が……まさかさっきの宇宙怪獣が!?」


 叫ぶように、茜がもしもを口にする。

 その発言に根拠は何もないだろう。だが、今までなんの統率なんてなかった怪獣達が、突如として同時に暴れ出したのだ。そこには何か原因があると考えるのが自然であり、そして原因となり得るものは、現状宇宙怪獣マレビドス以外にない。

 マレビドスは何を企んでいるのか。まさかマレビドスは宇宙人が送り込んだ侵略兵器で、今はその作戦が進行しているのではないか……

 本来なら「マレビドスが犯人の可能性が高い」で思考を止めるべきだろう。だが百合子の頭の中には次々と推論が浮かんでくる。推論に推論を重ねる愚行が止まらない。

 無意味な思考を止めてくれたのは、『大怪獣』だった。


「長嶺博士、少しよろしいですか?」


「ん? 何かしら?」


「実はヤタガラスの動きが奇妙で……」


 ヘリコプターのパイロットから呼ばれ、真綾が座席から乗り出すように動く。百合子と茜も、なんとなくその動きを追って、座席越しにパイロットが示したものを見る。

 パイロットが視線で指し示していたのは、操縦席の横に置かれたレーダー。

 そこには白い点が一つ、ピコピコと光っている。恐らくはヤタガラスに装着された発信機の信号なのだが……白点は何故かぐるぐると回転するような動きをしていた。その回転も不規則かつ歪な動きであり、ちゃんと飛んでいるとは言えない。

 ……百合子的には、白点が随分近い位置にあるのが気になる。衝動的に窓から周囲を見渡してみたが、辺りに広がるのは森と青空ばかり。ヤタガラスもマレビドスも見当たらない。近くにいる筈なのに見えないという状況が、却って不安を煽ってくる。尤も、真綾も茜もパイロットも、そこにはあまり関心がないようだが。


「確かに、妙な動きね。旋回してる感じじゃないし、何かしらこれ……」


「これまでに観測されたヤタガラスのどの飛行データとも異なります。当機の上空四千メートルほどの高さで停滞していますし、何をしているのか……」


 予想外の動きに、真綾とパイロットは首を傾げる。プロ二人が困惑する状況。それだけ未知の行動らしい。

 ただ一人、茜だけは何かに気付いたようで。


「これ、取っ組み合いのケンカでもしてんじゃない?」


 なんの気なしといった様子で、そう言葉にした。

 真綾とパイロットは互いの顔を見合う。果たしてその瞬間、二人は何を考えていたのか。生憎百合子には分からない。

 ただ、『同じ事』は考えていたのだろう。


「全速で後退!」


「了解!」


 真綾が説明もなしに伝えた指示を、パイロットは間髪入れずに実行したのだから。

 百合子達の身体に圧が掛かるほどの勢いで、ヘリコプターは一気に後退していく。しかし百合子は文句など言わず、窓から外を覗き見る。

 後退を始めてしばらくは、何も見えなかった。だが数十秒と経つと、やがて空に黒と緑の点が見えてくる。その点は、最初は小さくてろくに見えなかったが、刻々と大きく……正確に言うならきていた。

 果たしてどれだけ近付いてきたのか。ハッキリとはしてないが、微かにでもその『姿』が見えるようになった時、百合子は血の気が引いた。

 空から落ちてきているのは、ヤタガラスとマレビドス。

 ヤタガラスがマレビドスを、その足で捕まえていた。マレビドスも触手でヤタガラスに絡み付こうとしていたが、ヤタガラスの翼の羽ばたきはその触手を弾き返す。

 それでもマレビドスは諦めずに触手を伸ばすが、不意にヤタガラスはマレビドスを解放。突如自由になったマレビドスは驚いたのか、僅かながら触手の動きが鈍り、身体が大きく傾いた。

 その隙を突いてヤタガラスは大振りの蹴りを放った。体勢を立て直そうとしていたマレビドスは防御を取れず、蹴りの直撃を受けて大きく突き飛ばされていく。


【グガアアアアアァッ!】


 マレビドスが攻撃不能になった一瞬の隙に、ヤタガラスはその場から離れるように飛ぶ。ただしそれは逃げるためではない。

 大きく弧を描くように飛び、助走を付けてから相手に突っ込むためだ!


【ピルルルゥ……!】


 迫りくるヤタガラスに対し、マレビドスは怯まず向き合う。

 しかし大きく助走を付けたヤタガラスは、まるで小鳥のような俊敏さで飛んでいる。マレビドスへと突撃するスピードも、六十メートルの巨体とは思えないもの。

 振り上げた足の一撃の威力たるや、受けたマレビドスの身体が大きく『く』の字に曲がるほどだった。


【ピッ、ルゥイイッ……!?】


【グガァッ!】


 マレビドスはこの一撃で怯み、突き飛ばされる……が、ヤタガラスは即座にマレビドスを足で掴んだ!

 そして身体を仰け反らせるような動きで、マレビドスを空へと投げ飛ばす! 更にすかさず構えた翼を光らせるや、二本のレーザーをマレビドスに撃ち込む!

 マレビドスは六本の触手を盾のように構え、レーザーを受け止める。しかし既にマレビドスと戦っているヤタガラスにとって、それは想定内の結果だ。驚きなどせず、ヤタガラスは次の行動を起こす。

 レーザーと共に、真っ直ぐ飛ぶという行動だ!


【ピ、ル!?】


 レーザーの輝きに紛れたヤタガラスの突進に、マレビドスは最後まで気付かず。強烈な頭突きを受けて、マレビドスは大きく突き飛ばされた。

 マレビドスも空を飛べるが、どうやら空中戦ではヤタガラスに分があるらしい。少なくとも百合子が見ているここ数十秒の間は、ヤタガラスが一方的にダメージを与えているようだ。

 マレビドスとしてもこのままでは負けると思ったのだろう。

 突き飛ばされたマレビドスは方向転換。地上目掛けて急降下を始める。最初の戦闘では自分がやや優勢で戦えていた事から、戦いの場を地上に移そうという考えか。


【グガアアゴオオオオオオオオオッ!】


 ヤタガラスはそれを許さない。

 逃げ出すマレビドスに向けて、翼からレーザーを撃つヤタガラス。マレビドスは回避も行わず、背中にレーザーを受ける。尤も、やはりマレビドスには殆どダメージはないようだが。しかし直撃時の衝撃は多少あるのか、マレビドスの体勢がぐらぐらと揺らぐ。

 そして一際大きなレーザーを、マレビドスが僅かに右に傾いた瞬間を狙ったようなタイミングで、マレビドスの右端辺りに撃ち込んだ。揺らいでいたマレビドスの身体は、その一撃でぐるんと大回転。バランスを崩した事で上手く飛べなくなり……

 最後まで立て直せなかったマレビドスは、木々に覆われた地上に墜落した。飛んでいた速度のまま落ちた所為か、爆薬でも炸裂したかのような土煙の柱が生じる。人間が作り出した飛行機から、きっと衝撃で粉微塵に砕け散っているだろう。

 それでも、やはりマレビドスは傷を負っていない。這い出すように触手をくねらせながら、再び浮かび上がる。

 が、今度はヤタガラスが落ちてきた。


【ガアアッ!】


【ピルキァッ!?】


 落下するような速さで降下したヤタガラスは、マレビドスを上から踏み付ける。マレビドスはその衝撃で再び地上に墜落してしまう。

 マレビドスの思惑通り地上に戻ってきてしまったヤタガラスだが、しかし上を取る事が出来た。ヤタガラスは鋭い爪の付いた足で踏み付け、更に嘴で執拗に突く。クラゲ型をしているマレビドスには前後左右なんてなさそうだが、奴の傘の下には『目玉』があった。その目玉は今地面の方を見ているので、恐らく俯せの状態で倒れているのだろう。触手の動きがどうにもぎこちないのはそれが理由か。

 それでも六本の触手はどうにかヤタガラスに巻き付くが、ヤタガラスは気にも留めず。何度も何度も踏み付け、何度も何度も嘴で突いて、マレビドスを痛め付ける。

 しかしそれでもマレビドスの身体には、やはり傷も付かない。


「あの頑丈さ……恐らくアイツにも防御フィールドがあるわね。それもヤタガラスに匹敵するぐらい、或いはそれ以上に強力な」


 異常なまでの頑強さを前にして、百合子と共に戦いを見ていた真綾はその可能性をついに言葉にした。

 状況だけで判断すれば、なんらおかしな考えではない。それに人類はヤタガラスという前例に出会っている。防御フィールド持ちの怪獣が二種もいるなんてあり得ない、等というのは人類側の勝手な希望というものだ。とはいえ、だからすんなりと受け入れるというのもまた難しい。人間の『常識』とはそれほど堅固なものである。

 だがヤタガラスは違う。

 敵が自分と同じような、強力な防御能力を有していると気付いたのか。打撃を与える手を一度止め、しばし考え込み……ゆっくりとその顔をマレビドスに近付ける。

 そして煌々と、嘴の先を光らせ始めた。

 至近距離からレーザーを撃ち込むつもりだ。光エネルギーであるレーザーは大気中で減衰し、威力が落ちていくもの。至近距離でお見舞いすればその分威力も増大していく。距離を詰めた状態で放った際の威力は、これまで放ってきたものの比ではないだろう。しかもヤタガラスは相手の上に乗った状態であるから、一点集中でこのレーザーを撃ち込める。自由に動ければ危険だと思ったタイミングで身体の動きでレーザーを逸したり、当たる場所を変えて耐えたりも出来ただろうが、身動きが封じられてはそれらの対処は不可能。

 これで倒せる、という保証はない。だがマレビドスの慌てたような身動ぎを見れば、それなりに『有効』らしい。鳥であるヤタガラスに表情筋などない筈だが、心なしかその顔には笑みが浮かんでいるように見える。

 これで止めとするつもりか。ヤタガラスのレーザーが一気にその輝きを増した

 瞬間である。


【ピィキイイイイイイイイイイイッ!】


 マレビドスが叫ぶ。

 遠くから見ている百合子達人間の身体を揺さぶるほどの、途方もないパワーを宿した叫び。しかしその叫びは悲鳴だ。逃れられない現状への逃避反応に過ぎない。

 現実は悲鳴なんかじゃ変えられない。情緒的な人間ですら思い知った事を分からぬ怪獣に、ヤタガラスは容赦するつもりなど一切ないだろう。嘴の先の輝きは変わらぬ勢いで強くなり――――


【ッ!】


 ヤタガラスはレーザーを撃ち出した。

 ただし、マレビドスがいない方に向けて。

 ヤタガラスがレーザーを撃った方角は自身から見て右方向。当然そのレーザーはマレビドスを撃ち抜かず、空中を光の速さで真っ直ぐに進み、

 犬型怪獣ジゴクイヌの額を撃ち抜いた。


【……ッ!?】


 ジゴクイヌの体長は約八十メートル。怪獣としてはかなり大型であるが、ヤタガラスのレーザー光線に耐えるほどの防御力はない。脳みそごと撃ち抜かれたジゴクイヌは白目を向いた、瞬間に頭が爆散。身体の司令塔である頭脳が失われた身体は力なく倒れ伏す。

 突然現れたジゴクイヌへの攻撃。それを行った結果として、折角溜め込んでいたレーザーのエネルギーは尽きてしまった。ヤタガラスは即座に力をまた溜め始めた、が、それには時間が掛かる。

 マレビドスが身体に力を溜め込むのに、十分なほどの時間が。


【ピ、ルルルルリリリリッ!】


 今度は悲鳴とは違う、力のこもった雄叫び。それと共にマレビドスは浮かび上がり、ヤタガラスから逃れようとした。

 突然浮上された事でヤタガラスも体勢を崩し、転倒するような形でマレビドスに振り解かれてしまう。羽ばたく事でヤタガラスは一度宙に浮かび、難なく体勢を立て直したが、それでもマレビドスは遠くまで逃げてしまった。

 これでもヤタガラスの飛行速度ならば難なく追い付ける。が、それは即座に追い駆けたらの話だ。今のヤタガラスにそれは出来ない。


【グルルルルル……】


【ゴルルルル……】


 ヤタガラスの周りを、無数のジゴクイヌが包囲していたからだ。

 一体何処から現れたのだろうか。ジゴクイヌの数は、百合子がざっと数えたところ約十体。体長はどれも八十メートル超えで、中には百メートルに迫るほどの巨躯の持ち主もいた。自衛隊の怪獣駆除能力が壊滅した結果、獲物となる怪獣が豊富になり、巨大な個体が多数生まれたのかも知れない。なんにせよ、今の日本社会であれば、この十体だけで難なく殲滅させられるだろう。


【……………】


 それだけの戦力を前にして、しかしヤタガラスは怯みもしない。ただ苛立った眼差しでジゴクイヌ達を睨むばかり。

 ヤタガラスの強さを思えば、この程度の数の差などものともしないだろう。時間稼ぎぐらいにはなるのでマレビドスは遠くに逃げてしまうだろうが、追えばきっとすぐに距離を詰められる筈。

 だが、百合子達人類が気にしているのは、そんな些末な事ではない。もっと根本的な、即ちこの状況が生じた『原因』だ。


「真綾ちゃん、これってやっぱり……」


 茜が震えた声で真綾に尋ねる。

 真綾はしばし黙っていた。言葉を選ぶように、口許をまごつかせていたが……やがてゆっくりと話し出す。


「マレビドスの奴が操ってるって考えて良いわ。恐らくこの状況も、奴がジゴクイヌを差し向けた結果ね。時間を稼ぐつもりか、それともヤタガラスを弱らせる事が目的かは分からないけど……」


「そんな……なら、アイツは……!」


「少なくとも怪獣の誕生は意図的であり、なんの目的意識もなく地球に立ち寄った訳ではなさそうね。恐らくマレビドスは細菌を介して、怪獣達の思考をコントロールしてるんだわ。問題はこの力が自然に備わったものか、或いは人為的に与えられたか。それ次第で奴の目的も見えてくるんだけど……」


 ぶつぶつと真綾は語り続けたが、もう茜も百合子もその話を聞いていない。

 そう、最早マレビドスの目的など良いのだ。

 重要なのはマレビドスが怪獣を操る事。世界中の怪獣を操れるのならば、マレビドスはこの世界を操れるようなものである。文明も自然界もマレビドスには逆らえない。怪獣という名の恐ろしい力により、従属を強いられる。マレビドスはその気になれば、この星を自由に支配出来るのだ。

 その支配から逃れられるのは、地球上で唯一無二の『真の怪獣』であるヤタガラスのみ。

 マレビドスの目的は分からない。だがもしも地球を支配しようとしているのなら、マレビドスにとってヤタガラスは決して受け入れられない存在だろう。そしてそのために使えるものはなんでも使う筈。例えば、近くに偶々いたレッドフェイスを差し向けたり……今のようにジゴクイヌ達を集めるという方法も有効である。

 ジゴクイヌ達の本心がどうかは分からない。だがどうやらマレビドスの命令には逆らえないらしい。闘争心を露わにしたジゴクイヌは、ヤタガラスに道を譲ってはくれまい。

 ヤタガラスもそれを理解しているのか、ただただじっと佇むのみで。

 ジゴクイヌ達が咆哮を上げて突撃してきても、ヤタガラスは驚いた素振りすらも見せなかった。

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