前哨戦

 宇宙怪獣にして怪獣を生み出した張本人。

 文字にして十八字でしかない短い文章。しかしこの一文だけで、百合子が思考停止に陥るほどの情報量が含まれていた。


「どういう、事、ですか……?」


 突然の話に思わず尋ね返す百合子。だが真綾はその質問に答える事をせず、百合子の肩を掴んでいた手を離す。そしてその目を百合子から、ヤタガラス達の方に向けた。


【……カルロロロロロ……】


 唸るような声を出すヤタガラス。その目が放つ眼光は、人間どころか怪獣すらも怯えさせるであろう鋭さがある。

 だが、クラゲ怪獣は怯まない。

 それどころかふわふわと浮いている身体から、どんどん強烈な覇気を放ち始めた。これまで百合子は様々な怪獣を見てきたが、ここまで強烈な迫力は殆ど……それこそヤタガラス以外には感じた事がない。

 気配だけで実力を計るなんて、ましてやプロの格闘家ですらないただのトラック運転手がそれを語るなんて、おこがましいというものだろう。だがそれでも百合子は直感的に理解する。

 このクラゲ怪獣の実力はヤタガラスに匹敵する、と。


【グアガアアアアアアアアアッ!】


 ヤタガラスが雄叫びと共に走り出す!

 大きく身体を傾けるや、クラゲ怪獣に喰らわせたのは体当たり。自分より一・五倍も大きな猿型怪獣すら押し返す、どんな怪獣をも上回るパワーの一撃だ。無数の触手があるとはいえ、互角の体格であるクラゲ怪獣に勝てるものではない。傘の部分に打撃を受けたクラゲ怪獣の身体は一気に何十メートルと押し出される。

 ヤタガラスは更に前進。このまま勢いに任せてクラゲ怪獣を押し倒すつもりか。そうなれば馬乗りになったヤタガラスの圧倒的優勢となる。やはり最強の怪獣には誰も敵わないのだ。

 ――――相手が、普通の怪獣であるのなら。


【ルゥルピルルルルルル!】


 クラゲ怪獣が吼える。有機的とも電子的とも取れる、奇怪な、地球の生命では出ないような叫び声。それと共に身体に力を込め、ヤタガラスの体当たりを受け止めようとした。

 するとどうした事か、ヤタガラスの動きが止まったではないか。ヤタガラスも驚いたように目を見開き、更に力を込めるが……クラゲ怪獣の身体は動かない。


【ルピルウゥゥゥ……!】


 クラゲ怪獣は大地に降下し、四本の触手で土を踏み締める。残る二本の触手は前に伸ばし、ヤタガラスの翼に巻き付けるようにして組み合った。

 組み付かれた事でヤタガラスは距離を取れなくなってしまう。だが、そんなのは問題にならないだろう。そもそもヤタガラスは後退する気配を見せていないのだから。前へ前へと、ひたすら力を込める。

 しかしクラゲ怪獣も同様だ。ミチミチと生々しい音が聞こえるほど触手に力を滾らせ、こちらも前進しようとしている。

 翼と触手で組み合った両者は、どちらも一歩と退くつもりがない。怪獣達の屈強な肉体が、空気が震えるほどのパワーを発し、せめぎ合う。拮抗は果たして何分続いたか……実際にはほんの数秒しか続いていなかったが、そう思ってしまうほど緊迫した空気はやがて破られた。

 ヤタガラスが後退するという形で。


「えっ!? や、ヤタガラスが、力負けしてる!?」


「嘘!? そんな、だって――――」


 これまでどんな怪獣にも力で負けた事のないヤタガラスが、明らかに押されている。その事実を前にして、これまでヤタガラスの優勢しか知らなかった茜と百合子は思わず動揺してしまう。

 されど、今まで優勢しか経験してこなかった筈のヤタガラスは、百合子達よりも冷静だった。

 力負けしていると気付いたであろうヤタガラスは、その身体を素早く捻ったのだ。更に前に進むのも止める。前に進もうとしていたクラゲ怪獣は、押していたとはいえそれなりに拮抗していた力を失い、つんのめるように前に出てしまう。

 そのタイミングに合わせて、ヤタガラスは蹴りを放つ!

 用いた技は所謂膝蹴り。肉薄した状態での蹴り故、大振りで威力のある一撃には出来なかったのだろう。されどバランスを崩した状態での一撃は、守りを固めて受けた一撃よりも大きなダメージとなった筈だ。クラゲ怪獣は大きくよろめき、ヤタガラスの翼に巻き付けていた触手を離す。


【ル、ピルルルルルルルッ!】


 が、即座に反撃を試みた!

 クラゲ怪獣はぐるんと身体を回転。更に右側にある触手三本を束ねて腕のようにするや、ヤタガラスの顔面に叩き付ける! さながらそれはラリアットが如く一撃だ。

 夜間、光子フィールドがない状態でも、ヤタガラスには戦車砲も怪獣ユミルの拳も殆どダメージとならなかった。だがクラゲ怪獣が繰り出した鉄拳は、ヤタガラスの身体を大きく突き飛ばす。

 それはつまり、クラゲ怪獣のパワーがユミルなど比較にならないという事。しかも光子フィールドの上から突き飛ばすほどだ。いくら物理攻撃で相性が良いとはいえ、一体どれほどの力ならそれが可能となるのか、百合子には想像も出来ない。


【グ……グゥガアアァァァァッ!】


 だからこそ、なのだろう。その打撃はヤタガラスの怒りを煽った。周りの空気がびりびりと震えるほどの雄叫びを上げ、突き飛ばされたヤタガラスは翼で殴り返す!

 全身全霊の大振り。加えてヤタガラスの翼は煌々と輝いていた。かつてガマスル相手に見せた技と同じものだろう。当時の百合子には何が何やら分からなかったが……ヤタガラスについて多少なりと知った今ならば、それがどんな技が理解出来る。

 恐らくこれはレーザーと同様に、光の力を用いた攻撃。

 レーザーは光エネルギーを一直線に撃ち出す技であるが、これは光エネルギーを翼に纏っているのだろう。原理的にはレーザーと同じく高エネルギーにより対象を焼き、その結果として相手を切断するのだ。根拠は特にないが、百合子の本能はそう解釈した。

 レーザーとこの技が『強い』かは分からないが、少なくともこの翼に光を纏う方は、翼の動きにより自由な攻撃が行える。遠距離戦が全く出来ない代わりに、近接戦闘ならば間違いなくレーザーよりもこの技の方が便利だ。

 クラゲ怪獣の、傘の下にある目玉がぎょろりと蠢く。ヤタガラスの速さに反応するとはかなりの反応速度であるが、しかしそれでもヤタガラスの翼の方が数段速い。クラゲ怪獣は回避が行えず、翼の直撃を受ける。


【ピルキィイイッ!】


 クラゲ怪獣は大きく突き飛ばされ、転倒。受けた一撃の威力は凄まじかったようで、そのまま何百メートルと吹き飛ばされた。流石にこれは痛かったのか、クラゲ怪獣はじたばたと触手と身体をのたうち回らせていたが、やがて起き上がる。

 その身体に、目立った傷は見られない。

 ……百合子は思わず目を擦る。しかし改めて見ても、やはりクラゲ怪獣の身体に傷らしい傷は見当たらない。強いて言うなら土埃が付いて、ちょっと色がくすんだ程度だ。

 


「(……待って。それって、まさか――――)」


 過る悪寒。だが、言葉にする前に事態は動き出す。

 自分の攻撃が通じなかった事を理解した、ヤタガラスが大技を練り始めたからだ。


【クガアァァ……!】


 煌々と輝きを増すヤタガラスの翼の先。しかも両翼同時だ。

 クラゲ怪獣は放たれる光に何か嫌な予感がしたのか、一度距離を取ろうとしてか浮かび上がり、一気に数百メートルと離れていく。普通の怪獣相手ならば距離を取るのは、守りを固める意味では悪くない手だ。

 しかし相手がヤタガラスとなれば、そうもいくまい。

 二つの翼でしっかりと狙いを定めたヤタガラスは、クラゲ怪獣目掛けて両翼から二本のレーザー光線を撃つ!

 今まで一度に一本ずつ放っていたヤタガラスのレーザーだが、実は二本同時に放つ事も出来たらしい。放たれた光線の具体的な出力を、人間の目視で測る事は不可能だが……二つのレーザーはどちらも、これまで百合子が目の当たりにしたどのレーザーと比べても眩しさや轟音が見劣りする訳ではない。むしろ力強い部類に入るぐらいだ。

 どうやら普段放っているレーザーを二分したのではなく、普段放っているレーザーを二本撃っているらしい。単純計算で何時もの二倍もの威力。そして光速で飛ぶ大出力レーザーを躱す方法などない。

 空飛ぶクラゲ怪獣の身体に二本のレーザーが直撃。超高出力の光エネルギーが謎の怪獣を貫く――――筈だった。


「……嘘」


 思わず、百合子は否定の言葉を口にする。

 そう、こんなのは嘘であり、起こるべきではない。ヤタガラスのレーザー攻撃は圧倒的で、人智を超えた力なのだ。どんな怪獣も一撃で貫き、宇宙空間に漂う間抜けを葬り去る神の槍。耐えられるモノなどいる筈がない。

 されど考えてみれば、「ヤタガラスの攻撃に耐えられるものなどない」というのもまた人智である。そして怪獣とは人智を超えるもの。ならばどうして『怪獣』が人間の予想通りに倒されるというのか。

 クラゲ怪獣もまた怪獣である。

 ならばヤタガラスのレーザー攻撃が弾かれても、真の怪獣であればなんらおかしくないのだ。


【……ピピリルルルルルルル……】


 レーザーはクラゲ怪獣の体表面で弾かれ、四方八方に拡散しながら飛んでいく。クラゲ怪獣は特段苦しんでいる様子はなく、また受けている場所が赤熱するなどの変化も見られない。

 苦し紛れや悪足掻きなどではない。問題なくクラゲ怪獣はヤタガラスの攻撃に耐えていた。まるで、ヤタガラスのような光子フィールドでも展開しているかのように。


【グ……グ……!】


 これまであらゆる怪獣を、宇宙に浮かぶ神の杖すらも撃ち落としてきたレーザー。それを耐える敵にヤタガラスの表情が強張る。されどヤタガラスはまだ諦めない。翼から放つレーザーはどんどん輝きを強め、発射音である稲妻が如く轟音を大きくしていく。弾かれたからといって諦めず、更に出力を高めて打ち破ろうとしていた。

 だが、クラゲ怪獣はそれをみすみす受けるつもりはないらしい。

 クラゲ怪獣の六本の触手がうねる。触手の先端、鋭く尖った部分をヤタガラスの方に向け――――バチバチと、稲光を迸らせた。

 まさか、と百合子は思う。唖然とした表情を浮かべる真綾と茜も、同じ事を思ったに違いない。

 されど人間の浅はかな願望を、怪獣は打ち砕く。


【ピルルルゥルルウゥッ!】


 クラゲ怪獣の叫びに合わせ、六本の触手から『光線』が放たれた!

 六本の光線にヤタガラスは目を見開く。だがそれだけ。それ以上の動きなど、光の速さで迫る攻撃を前にして行える筈もない。

 クラゲ怪獣が放った六本の光線はヤタガラスの胸部を直撃。これまで後退りはすれども、大きくその身体が吹き飛ばされた事などないヤタガラスが、あまりにも呆気なく転倒させられた! 転倒した衝撃で翼の向きが変わり、レーザーはあらぬ方角、地平線の先から頭を覗かせている山の方に飛んでいく。流れ弾を受けた瞬間赤々とした『傷』が山に刻まれ、直後爆薬でも仕込んでいたかのような大爆発が起きた。

 やはりヤタガラスのレーザーは普段通りの、或いは何時も以上の出力を秘めている。それを二本も受けながら、クラゲ怪獣は平然としていたのだ。


【グガッ……!? ガッ、グァ……!】


 ヤタガラスが倒れてもクラゲ怪獣のレーザーは止まらない。むしろ六本の触手から放たれるレーザーはその力を増し、ヤタガラスの身体を大地に束縛する。

 ヤタガラスの身体には光子フィールドが存在する。故に光エネルギーが生じる攻撃は通じない。クラゲ怪獣のレーザー攻撃でも同じ筈だ。

 されどどうした事か。ヤタガラスの表情はどんどん苦しげなものに変わる。レーザーを止めた翼を必死に動かし、何度も立ち上がろうとして、脱出を図っているようだ。しかしクラゲ怪獣のレーザーは刻々と威力を強め、抗おうとするヤタガラスの動きを阻む。立とうとした傍から転ばされ、中々体勢を立て直せない。

 そうしてレーザーを受けていると、ヤタガラスの身体に異変が起き始める。

 クラゲ怪獣のレーザーもヤタガラスの体表面で弾かれ、四方八方に飛んでいる。飛び散る光に紛れてしまい、ヤタガラスの姿はハッキリと見えている訳ではないのだが……百合子の目には微かに、痙攣するように震えているように見えた。

 例えるならそれは、火山噴火などの衝撃でガラス窓が震え、割れる間際の動きに似ている。

 まさか、光子フィールドがなのか?

 人類のあらゆる兵器を用い、怪獣と協力して、弱点であろう物理攻撃に特化し、そして破るどころか弱ったタイミングを狙っても、勝てなかった無敵の守り。それが、よりにもよって光り輝くレーザーで破られるというのか? どれほどの力を持ったレーザーならばそんな事が出来るのか。或いは、レーザーに見えるだけで全くの別物なのか。

 謎は深まるばかり。一つ確実に言える事は、クラゲ怪獣の攻撃は間違いなくヤタガラスを追い詰めている。


【ガ……カ……ク、ァ……!】


 でなければ、ヤタガラスの口からか細い声が漏れ出る筈がなく。


【ク……ァァァアアアガアアゴオオオアオオオオオオオオオッ!】


 ここまでの怒りを吐き出すかのような、おどろおどろしい叫びを上げる訳がないだろう。

 怒りの咆哮と共に、ヤタガラスは再度レーザー攻撃を行う。ただし今度は二つの翼からではない……二つの翼と嘴の先、合計三ヶ所からの攻撃だ!

 しかもどのレーザーも、これまで百合子が見てきたどの一撃よりも力強い。轟く爆音だけで身体が吹き飛びそうだと感じるほどだ。恐らくクラゲ怪獣のレーザー攻撃を受けている間、その光の力をずっと溜め込んでいたのだろう。そして光子フィールドか溜め込みが限界になったところで、一気にその力を開放しただと思われる。

 最大出力のレーザー三本。これが直撃すれば、さしものクラゲ怪獣も大きく体勢を崩す。空中浮遊が仇となり、ぐるんとその身が後ろ向きに一回転してしまう。

 言い換えれば最大出力のレーザーを受けても、やはりクラゲ怪獣は怪我らしい怪我をしていないという事。しかし、ではこの攻撃が無駄かといえばそんな訳もない。

 クラゲ怪獣が空中大回転した事でレーザーの軌道が逸れた。自分を押さえ付けていたものがなくなれば、ヤタガラスは素早く立ち上がり、そして翼を広げられる。


「! ヤバ……」


 何度もヤタガラスと出会ってきた百合子達は本能的に危機を察知。三人同時にヤタガラスに背を向け、走り出す。

 果たして人間達の全力疾走は、どれだけ意味があったのか。翼を広げて数秒と経たずにヤタガラスは飛び上がり、周りに吹き荒れた爆風で三人全員があえなく吹き飛ばされてしまった。


「きゃっ!? う、く……!」


 幸い、或いは数秒未満でも走ったお陰か、吹き飛ばされて地面を転がりながらも、百合子に大きな怪我はない。素早く左右を見回し、アカネと真綾が無事な事も確かめる。

 矮小な人間三人を余所に、ヤタガラスは大空のクラゲ怪獣へと突撃。鋭い爪を持った足を前へと突き出し、クラゲ怪獣に掴み掛る!


【ピルルルルッ!? ピィルルルルルルルルルッ!】


【ガァッ! グギャア! ガガアアァッ!】


 掴まれたクラゲ怪獣は触手をのたうって暴れるも、ヤタガラスは決して離さない。深々と爪を突き立て、身動きを封じたところで何度も嘴で突く。

 クラゲ怪獣もただやられるばかりではない。触手を伸ばし、ヤタガラスの翼を掴んで飛ぶのを邪魔する。だがヤタガラスはこれを逆に利用。落ちていく中でしっかりと体勢を整えたまま墜落し、クラゲ怪獣を踏み付けるように着地した。クラゲ怪獣はヤタガラスの下敷きとなり、今度はこちらが身動きを封じられる。


【ガァッ! グガアァッ!】


 執拗に、激しく、ヤタガラスは嘴でクラゲ怪獣を突き刺す。レーザーなしの肉弾戦に、今度はクラゲ怪獣が追い込まれていく。


【ピ……ィイイイイキイイイイイイイッ!】


 クラゲ怪獣は絶叫を上げたが、今更そんなものでヤタガラスが止まる事はない。むしろヤタガラスの攻撃は一層苛烈化していった。クラゲ怪獣の触手パンチなど、全く気にも留めていない有り様だ。

 そして止めを刺さんとばかりに、ヤタガラスは一際大きく身体を仰け反らせる。

 この戦いにもいよいよ決着が付くのか。クラゲ怪獣はヤタガラスに匹敵する強さと防御力をどうやって手に入れたのか、そもそもコイツは一体何モノなのか。何一つ分からないままだが、死骸を調べればそれらの謎は解けるかも知れない。尤も、ヤタガラスがその死骸を食い荒らしたり、腹立ちまぎれにレーザーで焼き払ったりしなければだが――――

 百合子の気持ちは、ヤタガラスの勝利を確信していた。事実、このままいけばヤタガラスは勝っていたに違いない。

 そう、このままいけば。しかし現実には邪魔が入る。

 体長六十メートルの猿型怪獣……レッドフェイスが、この戦いに乱入してきたがために。


【ホォアアアオオオオオッ!】


 咆哮と共に現れたレッドフェイスは、がっちりと組んで一つにした拳をヤタガラスの頭に振り下ろす!

 突然の攻撃にヤタガラスは思わず振り返り、顔面でその鉄拳を受けた。衝撃波が発するほどの打撃だったが、所詮はレッドフェイス。ヤタガラスにダメージを与えるほどのものではない。精々ヤタガラスの顔を(恐らく苛立ちで)顰めさせた程度だ。

 それでも、意識を逸した事に違いない。


【ピルルルルルルルルッ!】


 そしてその隙は、クラゲ怪獣が突くには十分なものだった。

 ヤタガラスの攻撃の手が弛んだ、そのほんの一瞬にクラゲ怪獣は触手を三本ずつ束ね、二つの拳を作り出す。その拳で成すは鉄拳制裁、ではなくヤタガラスを突き飛ばす事。

 後ろのレッドフェイスに気を取られていた事もあり、ヤタガラスはクラゲ怪獣の拳への反応が遅れてしまう。踏ん張ったり躱したりする事は出来ず、受けた打撃により突き飛ばされてしまった。

 この千載一遇のチャンスをクラゲ怪獣は逃さない。

 これまで見せた事がないような速さでクラゲ怪獣は急速浮上。一気に高度数百メートルの高さまで移動してしまう。ヤタガラスは即座に鋭い眼差しで睨むが、クラゲ怪獣は気にも留めない。傘の下にある巨大な瞳で見下ろすが、その無機質な瞳に悔しさや怒りなどの感情を感じる事は出来ないだろう。


【ピキィイイイイイイイイイイッ!】


 強いて感情的だったのは、去り際に残した、甲高くて不気味な捨て台詞鳴き声だけ。それだけ叫ぶと、クラゲ怪獣はそのまま何処かに向かって飛んでいってしまった。

 逃げ出した、と言うべきなのか。

 無論ヤタガラスも空を飛べる。だからそのまま飛べば、クラゲ怪獣を追う事は可能だ。


【ホゥオオォウッ!】


 だが、今はレッドフェイスが邪魔している。翼にしがみつき、その動きを阻んでいた。

 ヤタガラスのパワーを思えば、レッドフェイス一匹がしがみついていても、難なく飛べるだろう。されど生憎、ヤタガラスはそれを許してくれるほど甘くない。


【グガァアアアッ! ガアゴオオオッ!】


 ヤタガラスは怒りの咆哮を上げながら翼を振るい、レッドフェイスを振り解く。投げ飛ばされるようにレッドフェイスは飛ばされ、地面を転がる。

 倒れたレッドフェイスにヤタガラスは即座に肉薄。レッドフェイスは怯えたような表情を見せた後、後退りしたが……ヤタガラスは許してくれない。


【ガァッ!】


 怒り狂った雄叫びと共に、ヤタガラスはレッドフェイスの顔面を踏み付けた!

 普段からして並の怪獣を容易く殺すパワーを持つヤタガラス。此度は怒りによって更に力が増しているのか、レッドフェイスの顔面は一瞬で砕かれ、頭の中身が撒き散らされる。しかしそれでもヤタガラスの怒りは収まらないらしく、残った死骸を蹴り付けて浮かばせた後、翼から放ったレーザーで胸部を射抜く。レッドフェイスの亡骸は爆散し、跡形もなく消え去った。

 哀れと言うべきか、はたまたケンカを売る相手を間違えたと言うべきか。戦えばこうなる事ぐらい、分かっていそうなものなのに。


「(……なんで、レッドフェイスが襲ってきたのでしょうか?)」


 そもそもこの辺りの森には怪獣がいない筈だ。ヤタガラスが殺し尽くしてしまったがために。

 怪獣の速力を用いれば、ヤタガラスでなくてもかなり遠くから大して時間も掛からずやってこれるだろうが……そうして遠くから来て、いきなりヤタガラスを襲うものか? 大体何故ヤタガラスを襲ったのか。あれではまるで――――

 抱いた謎を考えてしまう百合子だったが、事態は人間の都合など構わず動いていく。

 レッドフェイスを綺麗に片付けたヤタガラスは、再び翼を広げた。邪魔するモノはもういない。あと一歩まで追い詰めた……獲物か敵かは分からないが……相手に止めを刺すためか。ヤタガラスは再び大空へと飛び立つ。

 周りには暴風が吹き荒れ、ヤタガラスはあっという間に空の彼方へ。巨大なヤタガラスの姿は一瞬で見えなくなってしまった。風で飛ばされた百合子はへたり込んだ姿勢のまま呆然とその光景を眺めていたが、ヤタガラスが立ち去った事に安堵を覚える。


「百合子! 茜! ヤタガラスの後を追うわよ!」


 なのに真綾がとんでもない事を言い出したものだから、そんな気持ちは一瞬で吹っ飛んでしまった。

 ヤタガラスを追う? 頭の中でその言葉を反芻し、思考し……仰天して百合子は思わず立ち上がる。どう考えてもそれは自殺行為だからだ。

 茜もまた同じ事を思ったのだろう。困惑から固まる百合子と違い、茜は真綾を狼狽えながらも問い詰める。


「な、何言ってんの! そんなの自殺行為だよ!?」


「ええ、そうね。でもね、命を懸けてでも見に行かなきゃいけない。見届けなかったら、間違いなく死ぬまで後悔するわ」


 茜に言われても、真綾の意思は変わらない。それどころか決意に満ちた言葉を投げ掛けられ、百合子達の方が気持ちが揺らぐ。

 一体何故? 疑問で固まる百合子達に、真綾はこう告げるのだ。


「私の予感が正しければ、この戦いは……地球の命運を左右するものになる。例え何も出来なくても、それを見なければ、知らなければ、人類に未来はないわ」


 人の手に負えない、恐ろしい何かが始まろうとしているのだと……

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