大怪鳥観察
大怪獣ヤタガラス。
体長六十メートルと決して巨大な部類ではないが、人類側の兵器を尽く打ち破り、核兵器を難なく耐え、あらゆる怪獣達を平伏させた真の怪獣。
人智を、人智以上の存在さえも超えた超生命体が、百合子達の前を悠々と歩いていた。その歩みはすぐに止まり、次いでヤタガラスは高々と顔を上げる。
【グァッ、ガッガッガァー】
ヤタガラスは何やら楽しげに鳴いている。光子フィールドを纏い虹光に輝く黒翼をバサバサと羽ばたかせ、喜びを全身で露わにしていた。飛ぶつもりのない軽い羽ばたきだったが、これでも百合子達を軽く突き飛ばし、転ばせるほどの風圧を生み出す。ちょっとした仕草一つで、常軌を逸した存在だというのがよく分かる。
それにしても一体何を喜んでいるのか? 答えは恐らく、その足で踏み付けているモノだろう。
手足を持たない長大な身体を持つ蛇怪獣……オロチだ。体長二百メートルと長さだけなら最大クラスの怪獣である。決して身体能力が高い訳ではないが、それでも自衛隊の兵器ぐらいなら割と問題なく耐える、そこそこ強い怪獣だ。
尤もそこそこレベルではヤタガラスに傷も付けられないだろうが。
【グァッ、グァッ、ガー】
嬉しそうに、ヤタガラスはオロチの肉を啄む。ぶちぶちと肉を引き千切る生々しい音色が響き、ずしん、ずしんと、啄まれる度に浮かび上がるオロチの身体が大地を打つ。
傷付く度にオロチの身体からは鮮血が溢れ、大地に流れ落ちていく。血の量からして、恐らく死んでからそう時間は経っていない。つい先程仕留めたばかりのようだ。
先の上機嫌ぶりからして、ヤタガラスはオロチが好物なのだろうか。ヤタガラスに訊いてみなければ確かな事は分からないが……こうも嬉しそうなのだから、きっとそうなのだと百合子は思う。
「ふむふむ。ヤタガラスがオロチやサラマンダーのような爬虫類怪獣を好むって論文は、どうやら事実みたいね。だとするとあの研究も真実味を帯びるわね……」
真綾はヤタガラスの姿を見つめながら、その場に座り込んでメモを取り始める。何をメモしているのか、百合子の立ち位置からはよく分からないが、素早いペンの動きからして他人ではろくに読めない癖字が綴られているのだろう。覗き込む気力すら百合子には湧いてこない。
すっかり研究に夢中な様子だ。彼女の研究内容はヤタガラスではなく、ヤタガラス含めた怪獣の腸内細菌なのだが、それはそれとしてヤタガラスそのものへの興味もあるのだろう。恐らく今声を掛けても聞かないし、身体を揺さぶっても無視すると思われる。
一体何しに来たのやら、と百合子は眉を顰める。が、よく考えれば真綾の仕事に同行しているのは『自分達』の方だ。真綾は親友の頼みを聞いたに過ぎない。
ヤタガラスを複雑な面持ちで眺めている茜に声を掛けるべきは、自分の方だと百合子は思った。
「……どう、ですか。その、気分とかは」
「そうだなぁ……思ったより冷静な自分に驚いてる感じ。前に戦った時は、憎たらしくて仕方なかったのに」
尋ねてみると、茜は淡々とそう答えた。
答え方や表情に感情の揺れはない。隠していたり、或いは無理していたりする訳ではなさそうだ。
少しだけ安堵した百合子は茜の傍で、彼女と同じようにヤタガラスをじっと見つめる。今度は茜の方から、ゆっくりとした言葉遣いで話してくれた。
「……ヤタガラスにねーちゃんを殺された時、思ったんだ。吹き飛ばした瓦礫に巻き込まれて死ぬなんて、そんな、虫けらみたいな殺され方はあんまりだって」
「……ええ、そうですね」
「でもさ、考えてみたら私達だって虫を踏み潰したり、見た目が悪いとかって理由で雑草を毟ったり……それで虫とか雑草に親の敵とか言われたら、どうすんのかな。犬とかだったら戸惑うだろうけど、でも蚊とか蝿なら、多分潰すんだよね。何言ってんだこの虫けらって、考えもせずにさ。そう思ったらなんか、自分が何やってんのか分かんなくなって」
「……………」
「自分達の復讐は正しくて、自分達に向けられる復讐は正しくない。何言ってんだろうね、私……」
茜はそう言うと顔を俯かせ、膝を曲げてしゃがみ込む。
……最初こそ落ち着いていたが、考えているうちにまた気持ちが掻き乱されたのだろう。
当然だ。彼女の気持ちはまだまだ落ち着いたとは言い難い。そもそもその整理を付けるために、ヤタガラスについて知ろうとしているのだ。いきなり何もかも悟ったような事を淡々と言い出したら、そっちの方が遥かに心配である。
少しずつ、慣れていくしかない。
幸い、ヤタガラスはこちらに興味などない。観察はいくらでも出来るだろう。今回は真綾の仕事に同行という形であるが、調査期間は二週間もあるのだ。長い時間ではないにしても、何度も観察と思案を繰り返せばそのうち気持ちも落ち着いて、きっと何かを得られるだろう。
【ンガッ、ガァー】
……暢気に食事をしている姿から、何が得られるかは分からないが。
「……あの、真綾さん。真綾さん」
「あん? 何よ、今いいとこなんだけど」
つんつんと肩を突いて真綾に尋ねると、彼女は眉を顰めながら反応してくれた。「何がいいところか分からないから尋ねたんです」と言葉で前置きし、「親友をほったらかさないでください」と心の中で呟きながら百合子は真綾に問う。
「よく知らないのですけど、食事してるところを見て何が分かるのですか?」
「色々よ。例えばヤタガラスの口の中には歯がなくて、千切った肉は丸呑みにしている。オロチの鱗も纏めてね。でも糞にオロチの鱗が混じっていた例はないのよ。ペリット、つまり未消化物として吐き出されているのが定説なんだけど、ヤタガラスのものと思われるペリットは確認されていない。だから私の仮説ではヤタガラスは強力な消化酵素で全部分解してると思うのよね。それが正しければ怪獣特有の腸内細菌、私はXと名付けたけど、これがヤタガラスの糞から発見されない、もっと言えば他の怪獣の内臓を食べて感染しないのは、消化されて跡形も残らないからで……」
つらつらつらつら、真綾の口からは丁寧かつ早口で質問の答えが返ってきた。
成程、科学者にとってはとても面白いらしい。ある意味とても分かり易い答えに、百合子の顔に笑みが戻る。
改めて、百合子はヤタガラスの姿を見た。
ヤタガラスは食事に夢中な様子だ。オロチを何度も何度も啄み、その肉を食べている。が、よくよく見るとその食べ方は奇妙だ。同じ場所ばかりを突いていて、何やら、オロチの身体に穴を開けようとしているように見える。
その印象は正しかったようで、やがてオロチの身体に断面が惨たらしい穴が開いた。穴の直径はざっと縦二十メートル、横五メートルほどだろうか。自らが開けた穴をヤタガラスは満足気に見下ろすと、そこに嘴を突っ込む。そこでぐっと力を込めたように身体を強張らせ、次いで頭をゆっくり引くと……オロチの腹からびろびろと伸びる臓器、恐らくは腸を引っ張り出した。
【ガァー、グァッガー。ガッ、ガー】
長大な身体に見合った長さがあるオロチの腸を咥えたまま、ヤタガラスは嘴をくるくると回すように動かす。するとオロチの腸はヤタガラスの嘴に巻き付き、大きな団子のような塊となった。
その大きな団子を、足を使って嘴から取り外す。そして大きな団子状に纏めた腸を嘴で咥えると、舌の上で転がし、ごくんと飲み込んだ。丸飲みでは味も食感もないと百合子的には思うのだが、ヤタガラスなりには堪能出来たようで、嬉しそうに翼をバサバサと動かす。踏ん張らないと人間すら吹き飛ばしそうな暴風が巻き起こった。余程美味しかったのだろうか。
【……グァー】
ところが腸を食べ終わったら、急にテンションが下がった様子。オロチの残りに肉も食べ始めたが、食べ方は随分と大人しい。大人しいといっても怪獣オロチの頑強な身体を引き千切り、細切れにしてしまうのだが、もう上機嫌な鼻歌もない。
どうやら大好物なのはオロチの腸であり、オロチの肉自体はそこまで関心がないようだ。そしてヤタガラスは好物を最初に食べるタイプらしい。ある程度食べたところで飽きてしまったのか、半分以上残ったオロチの身体をびよびよと引っ張って遊び始めた。千切った肉をぺちぺち(ずしんずしんと言う方が正しいが)と地面に叩き付けて、音を楽しむような仕草も見せる。
こうして観察してみると、意外と仕草が可愛らしい。仕留めた獲物を食べ残して弄ぶ姿は一見して残虐にも思えるが、しかし人間の幼児だって食欲がなくなると食べ物で遊ぶものだ。犬や猫でも、与えたおやつを放り投げて遊んだりする。生き物というのは余裕があれば遊ぶもので、最強の怪獣ヤタガラスの余裕については言わずもがなだ。
大怪獣だのなんだの言われているが、本質的にはやはり野生動物らしい。
百合子は動物がそれなりに好きだ。動物達が見せる様々な姿も大好きである。そして今のヤタガラスは怪獣というよりも動物。もっとその可愛らしい姿を、自由に生きる姿を見てみたいなと、そう思いながら一層目を見開いて観察しようとした
途端、ヤタガラスと目が合った。
「……え?」
思わず呟いてしまう言葉。
直後、百合子は一気に血の気が引いていくのを感じた。腰が抜けそうになるのを気合いで堪えたが、それ以上は動けない。
何故目が合ったのか。それはヤタガラスが、僅かに顔を傾け、こちらに目線を向けているからだ。しかし何故こっちを見ている? ヤタガラスにとって人間なんか、兵器を使ってきても脅威でないような存在なのに。いや、確かに驚異ではないが、食事の邪魔ぐらいは散々してきたではないか。ヤタガラスは知能もそれなりに高い。だとすれば兵器を操っていたのが人間だとバレていて、自分達をこのまま叩き潰すつもりなのではないか――――
「百合子。落ち着いて」
恐怖の心が一気に膨れ上がったのは、その言葉を掛けられた瞬間。
されどすぐに、この言葉が真綾のものだと気付いた。次いで手が握り締められていると気付き、目を向ければ茜がこちらの手をかっちりと握っているのが見える。
茜が百合子の手を掴んでいたのだ。自身も震えているのに、とても力強く。
百合子は息を飲み、そして深く吐く。
冷静に、改めて見てみれば、ヤタガラスが見ているのは百合子達ではなかった。正確に言えば百合子達がいる方角。それも顔を動かす途中で固まったような、微妙な角度である。こちらの姿は見えているにしても、人間で例えれば炉端の石や虫が視界に入っているだけ。気にも留めていない。
そもそもヤタガラスは大好物のオロチを食べている最中。食事の邪魔さえしなければ、わざわざ虫けらの相手をしようとはするまい。
「(そ、そうですよね。私達なんてヤタガラスからすれば虫けら。見えてるとしても、認識しているのかすら怪しい訳で)」
落ち着いて考えてみれば、次々と思い付く自分達が狙われない理由。どれもこれも確証というよりも印象であり、根拠と呼ぶには薄弱なものであるが……推論も数を重ねればそれなりに確実なものとなる。もう、百合子は自分達がヤタガラスに狙われるという、身の程知らずな考えは抱いていない。
だが、安心は生まれなかった。
抱いていた恐怖が薄れると、その隙間を埋めるように新たな感情――――疑問が湧き出す。ヤタガラスが自分達を見ていないとして、では、何がヤタガラスの顔の向きを変えさせたのか?
昼間ならば核弾頭すら通じないヤタガラスの意識を引き寄せたのは、なんだというのか?
【……………】
ヤタガラスは何も語らない。ただ静かに、緩やかに空を見上げた。
ヤタガラスから目を離す事は危険だろう。奴は飛ぶ気もないような羽ばたきで、人間を軽々と吹き飛ばすのだ。もしも一際強く羽ばたいたなら、近くに倒れている樹木やオロチの亡骸が、自分達の方に飛んでくるかも知れない。そんな時に余所見なんてしていたら、避けられる筈だったものにも直撃してしまう。
だが、ヤタガラスが何を考えているのかを知らねば、もっと恐ろしい目に遭う。
そんな予感があったから、百合子はヤタガラスから、ヤタガラスが見ている空の方へと視線を移す。ただそれだけの仕草で、何がヤタガラスの意識を惹き付けたのかは明らかとなった。
そう、原因は理解した。しかし百合子にはさっぱり分からない。それが『何』であるかが。
青空の中煌々と光り輝く緑色の閃光なんて、百合子は全く知らないのだから……
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