強制説明
バラバラと鳴り響くプロペラの音色が、耳をくすぐる。
窓から外を見れば、一面の森林が大地に広がっていた。春を迎えて若葉が生い茂り、美しい新緑で世界を染めている。飛び立つ鳥の群れが、風景に彩りを添えていた。
景色としては悪くない。悪くないが……シチュエーションが悪過ぎる。
これからヤタガラスの暮らす森に接近するという、地球上で最も危険であろうシチュエーションが。
「な ん で ヤタガラスの下に向かうんですかぁ!?」
ヘリの座席に座ったまま、百合子は目の前にいる真綾に向けて問い詰めていた。
尤も百合子にいくら問われても、真綾は何処吹く風。気にも留めていないどころか、何を憤っているのか分からないと、その惚けた表情が語っていた。
「ヘリに乗って既に四時間超え。昼食も食べ終わってから尋ねるなんて、余程動揺していたのね」
「ええ、動揺し過ぎて今の今まで完全に人形状態でしたよ……それより、理由を説明してください! いくら真綾さんでも、理由なしに拉致られるほど私は大人しくないですよ!」
「理由があれば拉致られてくれる辺り、ほんと百合子は友達が大好きよね……ま、良いけど。なんでって言われたら、これが今の私の仕事だからよ。この前ようやく怪獣研究のためにヤタガラスを直接観察する許可が下りたの。調査期間は約二週間。百合子と茜にはそれを手伝ってもらうわ」
「……荒療治って言ってましたけど、つまりヤタガラスについて知れば、ヤタガラスへの気持ちの整理が出来るとお考えで?」
「ええ。憎しみも怒りも恐怖も絶望も、相手を理解してないから抱くものよ。相手を知れば分かり合える、とまでは言わないけど、そういう気持ちもマシになる、かも」
「かもじゃないですか!」
荒療治が過ぎる。そういう気持ちを込めて改めて責めるが、真綾はやはり気にしない。
その自信の一番の根拠は、間違いなく荒療治を受ける側である茜が、存外平気そうな態度をしてあるからだろう。
「……まぁ、荒療治としては、悪くないかもね。実際、ちょっと前に頼んではいたからね、私をヤタガラスの研究に同行させてって。流石に今日やるなんて聞いてなかったけど」
ましてや肯定的な返事までする始末。
責めてる側である筈の百合子の方が、これには言葉を失ってしまった。
「悪くないって……それに、頼んでいたってどういう事ですか?」
「あの作戦が失敗してから、ずっと考えていたの。私のしてきた事って、なんだったのかなって……考えて、考えて、でも答えなんて出なかった」
「そりゃ、答えなんて出ないでしょうよ。ヤタガラスについて全然知らないんじゃ、答えなんて出しようがないわ」
「ほんとにね……」
呆れるような、自嘲したような、そんな笑みを浮かべる茜。
復讐を誓った相手の事を、よく知ろうとするものだろうか?
勿論復讐を遂げるための情報――――相手の行動パターンや弱点に関するものは積極的に得ようとするだろう。だが、それ以外の情報は? 例えば相手の『正しさ』を理解しようとするだろうか?
しないだろう。そして弱点や強さばかりを調べたところで、そんなのは表面的なものでしかない。倒して何があるのか、倒せなかったらどうなるのか……何も分からない。
だから失敗した時に、時には成功したって、何も残らない。
「出来事に意味を見出すのは人間の得意技であり、美点であり、欠点でもあるわ。本来、自然に意味なんてないもの。誰が死のうと、何が滅びようと、それは結果でしかない。結果に意味を求めたって、期待通りになるとは限らないのに」
「うん、そうだね………ヤタガラスについて知れば、私は、今までされてきた事、してきた事に、納得出来るようになるかも知れない。そりゃ、そんな保証は何処にもないけど、でも――――」
「意味というのは、知識がなければ与えられないわ。そして目的通りの役に立たなくても、新しい生き方を教えてくれたり、或いは世界に彩りを与えてくれる。あなたの得た知識は誰で……例えヤタガラスであろうと奪えない、人だけの力となるわ」
真綾と茜は語り合いながら、その意思を確認していく。
二人のやり取りを見ていた百合子は、自分が少し恥ずかしくなってきた。二人ともちゃんと前に進む事を考えていた。対して自分はどうだろうか? 未来をちゃんと考えていたのか? ヤタガラス調査に同行させると聞いて、脊髄反射で反対していたのではないか?
茜のためを思うなら、彼女をヤタガラス調査に向かわせるという方法を――――
「(いや、流石にこれは駄目でしょ)」
納得しかけて、百合子は顔を横に振った。いくらなんでも危険が過ぎるし、精神的負担も大き過ぎる。茜がそれを考えるのは構わないが、真綾がそれを荒療治に使おうというのは少々頭のネジが外れかけてると言わざるを得ない。
そもそも、ヤタガラスというのはそう簡単に会いに行けるものなのだろうか?
「ところで真綾さん。ヤタガラスって、私達が会いに行っても問題ないのでしょうか? 研究ってなると、私達素人が参加出来るものではないと思うのですが。というか調査期間二週間とか言ってますけど、私ふつーに明日も仕事なんですが」
「うん、それは大丈夫。人員不足にかこつけて私があなた達二人を捩じ込んでおいたから。百合子達の職場は自衛隊直轄というのもあって、その辺の融通は利かせてもらえたわ。いやー、書類の改竄とか初めてしたけど、案外バレないものね」
「捩じ込むのは良いですし仕事の都合も付けてくれたのは感謝しますけど、せめて事前説明をですね……って、え、改竄?」
さらっと語られた真綾の言葉。まさかと思いながら百合子が問い返すと、真綾は不敵に笑い返す。
そして直後に、思い詰めたような表情を浮かべた。
「このヘリの面子になら、話しても問題ないわ。改竄の協力者だから。協力って言ってもやり方を教わったぐらいだけどね」
「な、なんでそこまで……」
「茜のため、なんて言っても信じないわよね。柄じゃないし」
真綾は肩を竦めながら笑う。彼女は手段を選ばない性格であるし、信頼する友達にはさらっと機密情報を流したりするが、れでも基本的には合法または手順通りに物事を進めるタイプだ。ズルをしても後々面倒になるだけだと知っているからである。
正攻法で出来るのなら、多少時間が掛かっても彼女は遠回りを選ぶ。無理なら無理で、安全な方法を念入りに探る。書類の改竄なんて、如何にも危険な方法をやるとは考えられない。
そして真綾は理由もなしにそんな事をする輩ではない。ならば必ず、理由がある筈だ。
「理由は二つ。一つは時間がないから。ヤタガラスに負けて人類側、というより日本の戦力はほぼ壊滅状態。このままだと遠からぬうちに日本社会は完全に滅びる」
「そう、ですね。なんとなく、そうなる予感はしています」
「お陰でこっちの研究予算が削られてね。だから予算があるうちに、ヤタガラスのデータをちゃんと取りたい。他の人が調べた論文はあるけど、こういうのってやっぱ研究目的によって重視するポイントも違う。私の欲しいデータは、私が集めるのが一番なのよ」
「……そういえば真綾さんの研究って、怪獣の腸内細菌でしたよね。つまりヤタガラスのデータって……」
「体内の様子を探れるならなんだって構わないけど、現実的なのは糞ね。出来れば出したてほやほやが良いわ。一応ね、ヤタガラスの糞は既に他の研究者が見付けて、研究されてるの。そこに私の研究対象……怪獣化を引き起こしてると思われる細菌が存在しない事も、明らかになってる。でもその糞って出されて数日後の、干からびた奴なのよね。菌だって生き物だから、干からびた奴だと大部分死んでる訳だし。だから新鮮なのを採りたいのよ」
「糞採りって…… 」
「糞は素晴らしいわ。糞を調べればその生き物が何を食べたか、どんな行動パターンなのか、何を好むのか、必要な栄養素はどんなものか、様々な事が手にとるように分かるんだから」
けらけらと心底楽しそうに笑いながら、真綾は糞について語る。科学的に面白い話をしているつもりなのだろうが、どう足掻いても糞の話。百合子は苦笑いを浮かべた。
しかし笑顔はここで終わり。小さくため息を吐いた後、真綾の表情が明確に強張る。
「……もう一つの理由は、私の直感」
「直感? 何か気になるの?」
茜からの問いに、まぁ根拠も何もないけどね、と真綾は答えながら頷く。
茜は「ふーん」と一言呟くだけで、それ以上の追求はしない。百合子も特段詳しく訊こうとは思わない。
ただ、百合子は ― そしてきっと茜も何処かで ― 真綾から『とある話』を聞かされている。だからその直感に一つ、心当たりがあった。
怪獣達の腸内に存在する細菌が、地球外由来の存在である事だ。
まだ推論の段階であるものの、遺伝子が地球上のどんな生命とも異なるのだ。ほぼ間違いはあるまい。そうすると一つの疑問……何故地球外の細菌が怪獣の体内にいるのか、という謎が浮かんでくる。或いは何故地球外細菌達は怪獣化を引き起こしているのか、という根本的疑問だ。
それが本能ならばまだ良いが、もしも怪獣の誕生になんらかの思惑があるなら……
「(考え過ぎ、だとは思うけど)」
地球外生命体とはいえ、所詮は細菌だ。複雑な思考を持つようなものではあるまい。
しかしそれでも考えてしまう。この怪獣出現騒動が、その細菌達の思惑により起こされたのではないかと。怪獣が出現してから早七年。どんな思惑かは分からないが、怪獣の数が十分増えたとして、そしてその思惑が人間にとって不都合なものなら……
……猶予はもうないかも知れない。
「博士、目標地点に到着しました」
三人が沈黙していると、ヘリコプターのパイロットからそのような言葉を掛けられた。
やや思い詰めた顔をしていた真綾は、けろっと笑ってみせる。問題など何もないと言わんばかりに。
「幾度となく仕掛けた自衛隊の攻撃により、ヤタガラスは航空戦力に相当の嫌悪感がある。ヘリのまま近付くと撃ち落とされる危険があるわ。でも人間にはあまり関心がないから、生身でならそれなりに安全に近付ける」
「だから、目標地点……ヤタガラスから少し離れた場所に降りて、歩いて近付く訳ですね」
「その通り。ヤタガラスの縄張り内に他の怪獣は殆どいないから、ま、それなりには安全よ。それなりにはだけど」
「強調されたら余計怖いんだけど」
呆れ顔になる百合子と茜。だが真綾は思わせぶりな笑みを浮かべるだけ。
そうこうしている間にヘリは着陸。
窓の外から見える景色は、森のすぐ傍。この森の何処かにヤタガラスがいるのだろう。他愛ない会話はこれで終わり、という訳ではないが、森の中というのは油断して良い場所ではない。ヤタガラスが支配する、人の手から離れた大森林ならば尚更だ。
パチンッと頬を叩いて気合い充填。
シートベルトを外した百合子は、力強い歩みで外へと出るのだった。
森の中を進む、百合子達三人組。
ヘリで移動していた時間は凡そ四時間。空には太陽が高く昇っていて、地上を煌々と照らしていた。尤も、大森林の中では、爽やかな春の日差しも大半が遮られているが。お陰で地上はそれなりに薄暗い。とはいえ芽生えたばかりの若葉越しに差し込む光は、雅で風情ある印象を感じさせてくれる。これはこれで自然の美しさであり、精神的な癒やしを与えてくれるだろう。
社会人として日々仕事に精を出す百合子にとって、休みの日は週に二日もない。そんな貴重な休みの一日を、この爽やかな森で過ごすのも悪くないと百合子は思った。
……此処がヤタガラスの縄張りでなければ、の話だが。
「……あ、あわわ……あわわわわ……」
「分かりやすく狼狽えてるわねぇ。ヘリの中じゃあんだけ気合い張ってたんだから、堂々と構えなさいよ」
「そーだよー。私ですらこんな平気でいるんだからさ」
右往左往する百合子を窘める、真綾と茜。声を掛けられて百合子はびくりと身体を震わせながら振り返り、反発するように顔を顰める。
「だ、だって……私達、武器を持ってないじゃないですか。しかも私達をヘリに連れ込んだ人達は一緒に来てくれないですし……」
百合子が言うように、今の百合子達は一切武装していない。猟銃どころか拳銃すら持っていなかった。これではもしも怪獣と鉢合わせたら、例えコックマーの幼体でも為す術もなく殺されてしまうだろう。
しかしそれを指摘しても真綾は顔色一つ変えない。それどころか呆れるように肩を竦めていた。
「さっき言ったじゃない、ヤタガラスの縄張り内に怪獣なんていないわよ。喰われるわ殺されるわ追い出されるわで。あとアンタ達を運んだ人達は機材の運搬とか遠くからの観測とか、他の仕事があるんだから私らの護衛なんて無理よ」
「そ、そうですけどぉ。でもでもだって……」
「大体猟銃で倒せる怪獣なんてテッソとコックマーの幼体ぐらいじゃない。しかも群れてる事が多いし。まともに戦ったら命がいくらあっても足りないでしょ」
「しかも銃ってそこそこ重いからね。逃げる時に背負っていたら、遅くなるし、スタミナも持たないし」
百合子が捏ねる駄々に対し、真綾と茜は合理的に正論を述べていく。確かにちゃんと考えれば、武装しない方が生存率が高いようだ。
武器があると安心するのは、人間が武器によって自然を克服してきたからだろう。しかし安心と安全は、決して = の関係ではない。時には安心出来ない状況が安全という場合もあるのだ。
……勿論理屈だけでは安心出来ないから、安心安全の問題というのは色々面倒な訳なのだが。
「ま、駄目なら駄目でそれまでよ。どーせ人間何時か死ぬんだから、深く考えない方が幸せよ」
「出来れば死ぬのは遅い方が良いです! そりゃ覚悟すればまだマシですけど、今日いきなり連れてこられてそれは無理ってもので――――」
「ストップ。静かに」
キャンキャンと文句を垂れる百合子だったが、その言葉を遮ったのは茜。小声のようで、だけど芯の通った声は耳にハッキリと残る。
ごくりと、百合子は思わず息を飲む。
百合子は茜と何年も仕事……怪獣狩猟を行ってきた。百合子がしていたのはトラックの運転手であるが、それでも危険な目に遭ったのは一度や二度ではない。そしてそうした危険を事前に教えてくれるのは、基本的には茜である。
先の茜の声色は、丁度嫌な予感がした時に使うもの。今は仕事中ではないが、声色の『意味』は変わらない。
百合子は口を閉ざし、周りの音に意識を集中させる。
すると、ずしん、ずしんという音が聞こえてきた。
音はかなり遠くから響いているようで、音量としては小さい。しかし重厚感のある音色で、小さくて腹の底が揺さぶられるような感覚に見舞われる。そしてその音は、どんどん近付いてきているようだった。
そのまま百合子達が立ち尽くし、動かずにいると、今度はメリメリと木々をへし折るような音も聞こえてきた。何かを引きずるような鈍い音も聞こえてくる。
やがて、それは木々の隙間の奥に姿を現す。
巨大な鳥の足という形で。
「ようやく見付けたわ……!」
真っ先に反応したのは真綾。彼女は好奇心を滲ませた声で独りごちるや、なんの躊躇いもなく現れた足目指して駆け出した。
百合子も真綾の後を追おうとした、が、すぐにその足を止める。
茜が足腰を震わせながら立ち尽くしていたからだ。一瞬、どちらの下に向かうべきかと百合子は考えたが、すぐに決断は下せる。一人にしたらいけないのは、より元気のない方だ。
「茜さん! 大丈夫ですか!?」
百合子はすぐに茜の下へと駆け寄る。茜はなんとか笑い返そうとしたが、表情は強張っていてぎこちない。
当然だろう。例え全容が見えていなくても、アレがなんであるかを想像するのは容易い。トラウマとして胸に刻まれているなら尚更だ。
見に行きたいと頼んだのが茜自身だとしても、その判断が必ずしも適切だとは限らない。ましてや此度は色々な事情が重なって、まだ精神的に回復しきっていないタイミングでの出来事だ。無理をしているのではないか……
その考えが顔に出ていたのか。茜は首を横に振ると、「大丈夫っ」と声を張るように答えた。
「元々、覚悟はしてたんだ……予定より早まっただけで、やりたい事には変わりない。真綾ちゃんを追うよ!」
「……分かりました。駄目だって思ったら、ちゃんと言ってくださいね!」
茜はこくりと頷くと、すぐに走り出す。
百合子もその後を追うように走る。幸いだったのは、まだ春の季節で森の中が明るく、そして典型的な理系である真綾は大して足が早くない事。もたもたと走る後ろ姿は、追えばすぐに見えてきた。
そして真綾が立ち止まった姿も。
百合子達はさして時間も置かずに、真綾の傍に辿り着く。そこは木々のない開けた場所……いいや違う。木々は薙ぎ倒され、地面の上に横たわっているのだ。そして『巨大な何か』が引きずられた事で、倒された樹木は左右に退かされるように押し退けられている。
ただ通るだけで示す、圧倒的なパワー。されどその力を百合子は幾度となく見てきた。人間のみならず怪獣すらも虫けらのように踏み潰す、真の大怪獣。
だからだろうか。その後ろ姿を間近で見ても、左程大きな恐怖心が湧かなかったのは。
「ヤタガラス……」
百合子が思わずその名を呟く。
大怪獣ヤタガラスが、百合子の眼前を悠然と歩いていた。
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