偽りの獣共

「……正に人類は詰みに入ったって感じね」


 真綾の放り投げた新聞が、ばさりと音を立てて床に積まれた本の上に乗る。

 元々汚らしい真綾の仕事部屋が更に汚れるところを前にして、しかし百合子は何も言わずに押し黙った。ただ静かに、俯くばかり。出されたタンポポコーヒーにも手を付けない。

 そんな百合子の姿を見て、真綾もため息を吐く。自分の分のコーヒーを一口飲んでから、百合子に話し掛けてくる。


「……安全圏でぬくぬくしてて、現場に出てもいない人間がこういうのも難だけど、あまり気にしない方が良いわよ。あなた一人がどうこうしたところで、何も変わらなかったでしょうから」


「それは、勿論分かっています。私なんてしがない運転手でしかない訳で、私がうじうじしても何も出来ないって事ぐらい。でも……」


 言葉を途切れさせ、百合子は再び俯く。真綾の二度目の言葉は、しばしの間来ない。

 一週間前に行われた二度目のヤタガラス討伐作戦は失敗に終わった。作戦の要であるユミルと神の杖攻撃衛星、更に自衛隊の戦力の大半を失う形で。

 得るものがないどころか、人類が生きていくために欠かせなかったユミルという存在まで失った。最初こそ自衛隊は ― 作戦失敗自体は公表したが ― ユミルの死を隠そうとしていたが、ユミルの存在は百合子達が暮らしている町では周知の事実。自衛隊員そのものが激減していた事も合わさって、五日と経たずに真実は暴かれてしまった。

 それに対する世間の反応は、達観。

 やはりヤタガラスには勝てないと思い知り、このまま怪獣に滅ぼされるのだという想いは日本人の多くに根付いていた。暴動やデモが起こらなかった訳ではないが、片手の指で数えられる程度。諦めの空気が強化された程度であり、少なくとも現状大きな問題にはなっていなかった……長期的にはこの方が大問題になるだろうが。憎悪と怒りに満ちた社会は安定がないもののまた立ち上がれるのに対し、諦めに満ちた社会はそのままゆっくりと死んでいくだけなのだから。

 しかし百合子にとって、そんなのは大した問題ではない。勿論日本社会の終わりは問題だと思うが、百合子はあの作戦でトラック運転手としての仕事はちゃんとしていた。自衛隊員達も真剣に、死力を尽くして戦っていた。その上で負けたのだ。全力を出した結果の敗北であるなら、それは所謂運命というもの。納得出来る訳でも受け入れる訳でもないが、仕方ないとは百合子も思う。

 だが……


「……茜さん。ユミルさんの事で、大分落ち込んでいるみたいで……私が、この作戦に参加しないよう引き止めていたなら……」


 ユミルは最初からヤタガラスにリベンジする気満々だった。茜が、自衛隊が話を持ち込まずとも、たった一人でヤタガラスに再戦を挑み――――恐らく本気を引き出す事も出来ずに負けただろう。

 だから茜がした事は、そこらの有象無象の怪獣と同じ死に方をする筈だったユミルに、より奮闘した死に方を与えた程度のものでしかない。罪悪感を覚える必要なんてないもの。

 しかしいくら百合子がそう言っても、茜は聞き入れない。茜自身が自分の所為だと思う限り。


「……茜については、時間が解決してくれる事を祈るしかないわね。私もカウンセラーという訳でもないし」


 ま、あんまり何時までもうじうじしてるなら私が直に引っ叩いてやるわ――――そう言って真綾は荒々しく鼻息を吐く。そこは普通カウンセラーとか紹介しない? 科学者の割に脳筋な親友の意見に百合子は思わず苦笑い。

 とはいえ時間を置く、という点に関しては同意する。こちらが下手に気を遣って何度も顔を合わせていたら、ゆっくり考える時間もないだろう。


「そうですね。しばらくはそっとしましょう……えっと、自分の事ばかり話してしまいましたね。今日は真綾さんの話を聞きに来たのに」


 気の持ちようを変えるように椅子に座り直しつつ、百合子は話題を変えた。

 そもそも百合子が真綾の下を訪れたのは、真綾が話したい事があるといってきたのが始まりだ。第二次ヤタガラス討伐作戦の前から来ていた話……怪獣に関する大発見をし、話をしたいというもの。

 果たして真綾はどんな話をしたかったのか? 怪獣の専門家でない百合子にあまり専門的な話が理解出来る自信はなかったものの、興味があるのは確か。だからこそ真綾の下に来たのだ。

 真綾は少し考えるように部屋の天井を仰ぎ、それからぽつりと話し始めた。


「……まず、最近の研究について。ヤタガラスの遺伝子解析が行われたわ」


「遺伝子解析?」


「アンタ達が参加した駆除作戦で、羽根が一枚抜けたでしょ? アレのお陰でようやく遺伝子が採取出来たのよ」


 真綾に言われて過去を振り返れば、確かにそんな時があったなと思い出す。惨敗だと思われた作戦だったが、全く何も得られなかった訳ではないらしい。

 割には合わないですね、と思いつつ、百合子は真綾の話に意識を戻す。


「遺伝子が採取出来たって事は、ヤタガラスの正体が何か分かったって事ですかね?」


「ええ、その通り。遺伝子の比較が行われて、正体はすぐに分かったわ」


 なんだと思う? そう言いたげな真綾の視線だが、百合子はカラスなんてハシブトガラスとハシボソガラスぐらいしか知らない。さぁ、という気持ちを伝えるべく肩を竦めた。


「答えはね、、よ」


 すると真綾は答えをすぐに語った。

 語ってくれたが、百合子は固まる。その答えの意味が、よく分からなかったがために。


「……え?」


「ヤタガラスの遺伝情報は、日本に生息するどのカラスとも異なるものだったわ。つまりヤタガラスは、カラスじゃない」


「え? え、いや、でも怪獣って、既存の生物が巨大化した存在じゃ……」


「もっと言うとね、前に話したと思うけど、怪獣には共通した変異があるの。でもヤタガラスの遺伝子にはそれがない。つまり他の怪獣と、なんの共通点も見られないのよ」


 つらつらと語る真綾。彼女は段々興が乗ってきたのか、更に話を続けた。


「そもそも、ヤタガラスが空を飛べる事自体がおかしいのよ」


「? カラス、じゃないとしても、鳥なら空を飛べるものでは?」


「空を飛ぶってそんな簡単なものじゃないのよ。身体の軽量化は当然として、それでいて骨は一定の強度を保ち、運動量の大きさから呼吸効率も上げないといけない。飛行時の方向感覚も必要だし、身体に合わせた飛行のフォームがある。翼や翅を動かすには大きな筋肉が必要。そしてこれらの機能は、長い進化によって獲得したものよ」


「……つまり?」


「怪獣化による巨大化で、どの生物も飛行能力を失う。コックマーが分かりやすいわね。空飛ぶ昆虫であるゴキブリが、巨大化と共に飛べなくなるんだから」


 更にと、言葉を前置き。一息入れるように真綾はコーヒーを含み、口の中を潤す。


「そしてヤタガラスの光子フィールド。夜間、太陽がない時でもヤタガラスは自力で発光し、光子フィールドを再展開していた。つまりアイツは夜の戦闘を想定した身体をしてるの。まるで自分の弱点を理解しているみたいに。こんなの、ただ巨大化しただけじゃ得られないし、得たとしてもちゃんと働くとは限らない。何十何百何千という世代を経て、淘汰を繰り返さないと無理」


「……つまり、それって……」


「ヤタガラスは、他の怪獣と違って歴史を積み重ねてきた一つの種という事よ。怪獣の定義次第ではあるけど、ある意味、一番野生動物に近い存在でしょうね」


 真綾の口から語られた言葉に、百合子は答えを返せない。どんな言葉を言うべきか、それが思い付かない状態だ。

 ヤタガラスが歴史を積み上げてきた種という事は、元々地球にはあんな生き物がたくさんいたのか?

 にわかには信じ難い。それにヤタガラスが普通の生物だとしたら、もしかしたら他にもヤタガラスのような存在がいるかも知れないではないか。正直なところそれは信じられないというよりも、受け入れられない……感情的な気持ちを抱いてしまう。

 唖然とする百合子。だが、真綾の話はまだ終わらなかった。


「――――さて、ここからが本題なのだけど」


「え? 今のが話したかった事じゃないんですか?」


「当たり前でしょ。私はヤタガラス討伐作戦前に、大発見をしたから話したい事があるって伝えたんじゃない。ここまでの話は全部、ヤタガラスの羽根が抜け落ちてからの発見でしょ」


 呆れたように真綾に言われ、確かにその通りだと百合子も思う。思うが、故にますます混乱した。

 真綾はわざわざこの話を先にした。それは、この話を先に持ってくる方が良いと判断したからだろう。つまり、ここまでの話は『前座』だという事。

 これからの話は、今の話よりもずっと大きなインパクトがあるものなのだ。


「……何を、見付けたのですか」


 百合子は恐る恐る、絞り出すような声で尋ねる。

 真綾はコーヒーをまた一口。それからしばし口を閉ざしていたが、ゆっくりと、言葉を紡ぎ出す。


「私の研究が、怪獣の腸内細菌についてなのは前に話したわよね?」


「ええ、覚えています。怪獣の体内にしかいない種なんでしたっけ?」


「その通り。で、細菌を形態だけで分類するのも中々大変だから遺伝子解析をしたの。ちょっと時間が掛かったけど、結果が出たわ」


「へぇ。じゃあ、なんの仲間かぐらいは分かったのですか?」


「ええ、分かったわ……地球生命の仲間じゃないって」


 真綾の答えを頭の中で反芻しながら、百合子もコーヒーを飲む。

 しかし口にコーヒーを含んだ直後、百合子の思考が止まる。

 今、真綾は――――と言ったのか?


「……どういう、意味です?」


「そのままの意味よ。細菌から採取した遺伝情報は、地球に生息するどの細菌のデータとも一致しなかった。というかそもそもDNAじゃなかったし」


「つ、つまり、その……」


「怪獣の体内にいた細菌は、地球由来のものじゃない」


 百合子が声を詰まらせる中、真綾は躊躇いなくその『事実』を言葉にする。

 そして彼女の話はまだ終わらない。


「私達人類は、ヤタガラスだけが特別な怪獣と思っていた。だけど事実は逆だった」


 特別とは、数の少なさではない。

 特別とは逸脱したもの。本来あるべき形と異なり、奇怪なもの。溢れかえり、最早日常になろうとも、特別は隠せない。

 だから真綾は、告げた。


「ヤタガラス以外の怪獣が特別だったのよ――――地球外生命体により作られた、地球にいない筈の生き物なんだから」

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