破滅の光

 ヤタガラスが光っている。

 百合子は思わず暗視ゴーグルを外した。暗闇の中で世界を見るためのゴーグル。それがなんらかの不調を起こしたのではないかと考えた……否、がために。

 だが、そうではなかった。

 ヤタガラスは本当に光り始めていたのだ。最初はほんのり全身が輝く程度だったが、時間と共にどんどん強くなり、今や直視が難しい有り様。ユミルもあまりの眩しさからか、腕を構えて光を遮ろうとしている状態だった。

 一体、何が起きている?

 誰かがヤタガラスを光で照らしているのか? 一瞬そんな考えが百合子の脳裏を過ぎったが、すぐにあり得ない事だと切り捨てた。此度の作戦はヤタガラスが光子フィールドを、光の防壁を纏っているのだという前提で進められている。だから曇りの日の真夜中に作戦を始めたし、戦車もトラックも照明は点けず、爆撃機は撃墜の恐れがある超低空を飛んだ。作戦を確実に成功させるために、人類側は光を徹底的に排除したのだ。

 ならば自然の光か? 否である。未だ空には暗雲が満ちているし、仮に月明かりがヤタガラスを照らしたとしても、煌々と輝くほどの光量はあるまい。星の光でも同様だ。そして作戦開始からそれなりに時間は経ったが、まだ午前一時にもなっていない。日の出には早過ぎる。

 何より、空に浮かぶ雲が照らされているのだ――――明らかに地上側から。

 ならば考えられる可能性は一つだけ。


「(ヤタガラスが、自分で光っているのですか……!?)」


 それは、全ての前提を覆す真実。認めたくないとどれだけ思えども、そんな思考すら掻き消さんばかりにヤタガラスの光は強くなっていく。最早ヤタガラスの姿は人間の目では殆ど見えない……まるで真実を拒むものには、何も見えやしないと窘めるかのように。

 ヤタガラスは未だ手加減をしていたのだ。夜間に光子フィールドを展開していなかったのは、きっと自ら光り輝くのが疲れるからに過ぎない。逆に言えばやる気になれば何時でも展開出来たのに、今まではやる気にすらならなかったという事。

 その意味では、神の杖は良い仕事をしたと言えよう。ヤタガラスを本気で怒らせた、初めての事例なのだから。しかしその怒りの代償は、あまりにも大きなものとなる。


【……………】


 光り輝くヤタガラスは、静かに大空を見上げた。

 雲に覆われて、空の様子は何も見えない。けれどもヤタガラスの鋭い眼差しは、確かに何かを捉えていると百合子は感じた。しかし今の空には航空機も飛んでいない。何かがあるとすれば……


【ガアッ!】


 考えていた百合子の前でヤタガラスは鳴く。短く、されど大気と大地を震わせる咆哮。

 或いは、世界を震わせたのは『閃光』の方か。

 レーザー光線だ。光り輝くヤタガラスの顔の先から、一閃の光が放たれていた。百合子は幾度となくヤタガラスのレーザー攻撃を見てきたが、此度のものは何時もと違う。何しろヤタガラスを束縛していた鎖で出来た網が、レーザーの余波だけで砕け散ってしまうほどの威力だ。見ているだけで全身に鳥肌が立ち、恐怖が心を支配する。

 そして本能的に確信した。あのレーザーにより、唯一ヤタガラスに傷を付けた兵器……


【……グカアァァァァァ】


 邪魔者を排除したと、ヤタガラスも確信したのだろう。レーザーを撃ち終えるのと共に、ヤタガラスの視線は正面に立つユミルへと戻された。自由を示すかのように翼を広げ、背筋を伸ばした姿勢は強者の風格を見せつせる。

 ヤタガラスはユミルとやり合うつもりだ。ヤタガラス的には「準備運動は終わりだ」と思っているのかも知れない。本気の戦いをしようと、気持ちが切り替わっている。

 対するユミルは、身体が震えていた。

 彼は今になって思い知ったのだ。周りにいる人類と同じように。

 『人類』はヤタガラスに勝てない。何をしても、どうやっても……アレは人類の想像力の遥か上を行くのだから。


【……そ、総員、攻撃を再開しろ!】


 しかし一部の人類は、まだ勝負を諦めていなかった。作戦本部から攻撃開始の指示があったのである。

 それはヤタガラスの力で心が挫けそうになっていた人々にとって、縋りたい一言だった。続けて通信機からは「あんなのはただの苦し紛れに過ぎない」や「光子フィールドは復活したがそのために莫大なエネルギーを使っている筈だ」、「打撃を与えて消耗を促せば何時が消える」という言葉が次々と流れてくる。多くの自衛隊員達がその言葉に勇気付けられたようで、銃撃と砲撃が力強く始まった。

 ――――冷静に、客観的に考えれば、そんなのはただの思い込み、或いは願望に過ぎないと分かる。ヤタガラスが人類の前であのような発光現象を起こしたのは初めてで、一体どんな力なのかも分かっていないのに。大体光子フィールドが消えたところで、神の杖が落とされた今、どうやってヤタガラスに傷を付けるというのか。

 それでも撃ち出した弾丸と砲弾は、物理法則現実に従って真っ直ぐヤタガラスの下へと向かう。寸分狂わぬ精密射撃。自衛隊の攻撃は、全てヤタガラスを直撃する筈だった。

 ところがどうした訳か。命中する筈だった砲弾が、ヤタガラスに触れる直前にした。


「……は?」


 呆けたような声を、百合子は漏らす。

 自分でも、何を言っているんだと思う。放たれた砲弾が着弾せずに消えるなんて、そんなのは物理法則に反しているではないか。

 しかし自衛隊がどれだけ攻撃を続けても、まるで現実を突き付けるように砲弾はヤタガラスの着弾前に消えていく。小さくて見えないが、きっと弾丸も同じように消えているのだろう。

 何が起きているか分からない。分からないが……直感的に思う事はある。

 


「っ!」


 百合子はその直感を信じた。いや、元々直感を信じやすい性格だと言うべきか。加えてそのお陰で、自分や友達の命がなんとかなった事もある。

 百合子はトラックのアクセルを踏み締め、車を動かし始めた。


「お、おい! 待て、待機――――」


 命令を無視して移動しようとする百合子を、自衛隊員が引き止めようとしてきた。規律を重んじる『軍隊』としては、勝手な行動は戒めなければならない。自衛隊員の行動は極めて正しい。

 正しいが、それは人の世の正しさ。人類が支配者顔をしていた五年前なら世界の理でも、怪獣が支配する今の世界で、人の正しさなど踏み潰されて終わるもの。そして百合子の直感は、人よりも怪獣に近い。

 どちらを優先すべきか、百合子の中では明白だ。


「逃げてください! このままだと、全員死にます!」


 百合子は叫ぶのと同時に、トラックを問答無用で走らせる。

 果たして百合子の叫びが届いたのか。他のトラックも次々と走り出し、この場から逃げようとする。自衛隊員達は引き止めようとするが、一部その自衛隊員までもが逃げ始めた。一人が逃げるとまた一人が逃げ、戦車も何両か後退を始める。

 これで作戦があと一歩で失敗したら、きっと百合子にその責任がおっ被せられるだろう。社会的に殺され、町ではろくな暮らしが出来ないに違いない。或いは投獄もあり得るか。

 しかしそんなものは百合子の足を止めるに足りない。百合子の本能は、確実な敗北を予感していたのだから。

 そしてその予感は正しいものだった。


【ガアアアアアッ!】


 ヤタガラスが吼えた、刹那の事である。

 ヤタガラスの全身から光の『波動』が放たれたのだ。さながら、これまでヤタガラスの身体を覆っていた光が解き放たれたかのように。波動はゆっくりと全方位に広がり、淡い虹色の輝きで世界を満たしていく。

 率直を言えば、サイドミラー越しに見ていた百合子はその光景を美しいと思った。例えるならば虹が地上に現れ、優しく全てを照らしているかのよう。もしも天国が実在するならば、きっとこのような光に満たされているのだと思えた。至近距離であの光を見ていたら、無意識に触りに行ったかも知れない。

 されど実態は、その光は天国を満たすものではなく――――天国へと送るものだったが。

 広がっていく光は、拡大する過程で様々なものを飲み込んでいく。山の木々、斜面、砲弾や網の残骸……それらも光に飲まれたが、次の瞬間、まるで塵へと変化するように砕けていくのだ。そして最後には塵さえも砕け、痕跡すら残さず消えていく。

 あの光はあらゆるものを滅ぼす、破滅の輝きなのだ。

 光は何百メートルと広がり、山の斜面どころか山をも乗り越えようとしてくる。一足先に逃げた百合子とトラックはどうにか難を逃れた、が、動かずに戦い続けた戦車は光に飲まれる。戦車の分厚い装甲すら簡単に粉砕され、中に居た、或いは逃げようとした人間諸共消し飛ばす。そこには天国らしい慈悲はなく、消えるという結果のみがあるばかり。

 そして光が襲い掛かるのは、ヤタガラスの正面に立つユミルも同じだった。


【ギィギャアアッ!?】


 ユミルが悲鳴を上げながら、吹き飛ばされる。その身に纏う鎧がボロボロに崩れ、内側にある筋肉までもが消された。肋骨が露わとなり、腕も太さが半分ほどになってしまう。

 僅か一撃。

 たった一撃で怪獣・ユミルの身体が、半分近く。いや、様々な怪獣素材で作られた、最高の防具を装備した上でこの被害だ。もしも生身だったなら、ユミルさえも普通の人間と同じように消し飛んでいたのではないか。

 本気を出したヤタガラスにとっては、怪獣も人間も大差ないという訳だ。


「(だ、駄目です……この戦いは、もう本当に終わりです!)」


 強まる危機感。だがその気持ちが大きくなるほどに、百合子は逃げようとする想いよりも、大きくなる想いを自覚する。

 茜の存在だ。彼女はユミルに指示を出すため、この付近に来ていた。車両や戦っていた自衛隊員達と比べれば後方だとしても、指示を出す都合戦いが見える位置には居た筈。

 彼女を連れていかなければ。そんな使命感にも似た気持ちから、百合子は辺りを見渡す。

 ここですぐに茜の姿を見付けられたのは、幸運と言えただろう。


「茜さん!」


 茜の姿を見付けた百合子は、トラックから降りて友の下へと駆け寄る。

 茜の傍には二人の自衛隊員がいた。自衛隊員達は茜を守るためかヤタガラスから離れるよう、茜を運ぼうとしているようだ。

 ところが当の茜は身を捩り、二人の拘束から逃れようとしていた。それも必死に、目に涙を浮かべながら。


「百合子ちゃん! 車を出して! ユミルを、アイツを助けないと!」


「駄目です! ヤタガラスへの接近は自殺行為です! 見たでしょうあの攻撃を!」


 百合子の姿を見るや茜は叫びながら前に進もうとして、自衛隊員二人に止められる。必死に藻掻く彼女だが、二人掛かりで止められてはどうにもならない。

 茜はユミルを助けようとしている。

 彼が最も好いていたのが茜だ。その好意を向けられて、茜も彼を好いていた。危機に陥る彼を助けたいと思う理由など、それで十分だろう。

 そんな彼女を見て、百合子は掛ける言葉を失う。百合子にとって茜は大切な友達だ。同時に、百合子もユミルの事を大事な仲間だと思っている。

 茜もユミルも助けたい。けれどもユミルを助けるためには茜を危険に晒す事となり、茜を安全な場所に連れて行くのはユミルを見捨てる事に他ならない。

 どちらかを選ばねばならず、どちらも選べない百合子はその場で動けなくなってしまう。茜の方も、どれだけ暴れても自衛隊員達を振り解く事は無理だと察したのだろう。


「……ユミル! ユミル早く逃げて!」


 彼女に出来るのは、ユミルに向けて大声で叫ぶ事だけ。


【ガ……ァ……ガ……】


 そのユミルは苦しそうに呻きながら、ゆっくりと立ち上がる。

 身体の半分が消滅し、内臓やら骨やらが露出していた。顔面もぐちゃぐちゃで、おそらく目は見えていない。全身からだらだらと血を流しており、恐らく、この場から逃げたとしてもそう長くは生きられそうにないと百合子は思う。

 そこまで酷い状態であるが、ユミルから闘志は失われていない。

 ユミルは股を開き、腰を落とし、拳を構えた。ゆらゆらと揺れる体幹に力強さはないが、戦う意思はひしひしと感じられる。茜が必死に逃げるように訴えているが……彼から逃げようという素振りも気持ちも、百合子には伝わってこない。

 何故そこまでして戦うのか? 人間に言われたからか、それとも大好きな茜を守るため? 理由を考えようとした百合子だったが、はたと気付く。

 一年前、ユミルは自らの意思で身体を鍛え上げていた。

 その後人間が申し出た協力を受けたが、それは自分の目的を達成するのに役立つから。最初から彼は、自分の目的のために行動を続けていたのだ。

 ヤタガラスに今度こそ打ち勝つと。

 自分の身体がボロボロになっても、或いはボロボロだからこそその目的を果たそうとしている。何が彼をそこまで掻き立てるのか、百合子には分からない。怪獣としての意地か、人類としてのプライドか、ユミル個人の執念なのか……

 その答えが分かる時は、訪れないだろう。


【ゴアアァアァアアッ!】


 ヤタガラスに向けてユミルは駆ける。ボロボロの身体を庇わず、渾身の力で拳を振り下ろす。茜が何かを叫んだが、ユミルの雄叫びに紛れて何も聞こえず――――

 ヤタガラスの身体から放たれた二度目の輝きが、彼の身体を今度こそ跡形もなく消し飛ばすのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る