ヒトの総力
ヤタガラスとユミルが再び動き出したタイミングは、ほぼ同時。両者共に、一切の躊躇なく相手に突撃していく。
ユミルは見た者を魅了するほど美しい、徒競走の選手のようなフォームで走る。それはこの一年間で自衛隊の協力の下、速く走るための方法として学んだものだ。しかもアスリートを凌駕する強靭な筋力のお陰で、ユミルは人間以上のスピードで四肢を動かす事が出来る。音速の壁を突き破った彼の身体には、無数の
対するヤタガラスも空を飛ばす、大地を駆けていた。しかし翼を大きく広げて走る様は、正に空飛ぶ鳥が走る姿。お世辞にも上手な走り方とは言えない、やや不格好なフォームだ。動きもぎこちなく、おまけに体幹も左右に揺れる有り様。
両者が同じパワーであれば、美しいフォームが勝つに決まっている。その方が効率的にエネルギーが使われ、より大きな力を生み出せるからだ。多少馬力が勝る程度でもやはり押し勝ち、かなり劣勢でも互角に持ち込めるだろう。
だが、ヤタガラスのパワーは桁違いだ。
【ゴファッ!?】
美しく効率的なフォームで正面衝突したユミルは、不格好な走り方で激突してきたヤタガラスに力負け。あたかも後転するかのようにひっくり返ってしまう。
ヤタガラスはこの隙を突いて馬乗りになる……かと思えば、そうしない。馬乗りになっても簡単にはユミルが纏う鎧を砕けない事、更には空や周りから邪魔が入る事を学んだのだ。
だからヤタガラスはユミルを蹴飛ばした。
転んだ体勢から立て直そうとしたタイミングでの、追撃の蹴り。胸の辺りを蹴られたユミルは大きく仰け反り、また転ばされてしまう。ヤタガラスはそこにまた蹴りの一撃を入れ、何度も何度もユミルを蹴飛ばした。
激しく動き回る状態では、航空機による弾頭投下は外したり誤爆したりする可能性が高くて使えない。代わりに戦車と歩兵が攻撃していたが、しかしヤタガラスの身体は光子フィールドがなくても頑強だ。苛立たせる程度の効果では、ユミルへの追撃を止めさせるには足りない。
【ガァッ! ガッガッガッ!】
一方的に痛め付ける事が楽しいのか、ヤタガラスは笑うように鳴いた。攻撃を止める気配はなく、延々とユミルを嬲る。
ヤタガラスのパワーは圧倒的だ。一撃一撃は致命的ではなくとも、こうも連続で喰らえばダメージも蓄積するというもの。止めなければ不味い。
それを一番分かっているのは、蹴られている当人であるユミル。
【グ……グヌァッ!】
転がる中でユミルは地面を掴み、土塊をヤタガラス目掛け投げ付けた!
無論、いくらユミルの怪力が強くとも、ただの土塊をぶつけたところで戦車砲ほどの威力は出せない。だが土塊が顔面にぶつかれば、目潰しぐらいには働くだろう。
これまで百合子が見てきた限り、ヤタガラスは顔面への攻撃も毛ほどに感じた事もなかった。だから目にも光子フィールドは展開されていたのだろう。しかし暗闇によってそのフィールドが消えた今、目潰しは有効な攻撃手段となったらしい。ヤタガラスはほんの一瞬、その身を仰け反らせる事となった。
身体が仰け反っていては蹴りも上手く放てない。この隙を突いてユミルは自ら転がり、ヤタガラスから一度距離を取る。
【ガアァッ!】
しかしそうはさせないとばかりに、ヤタガラスは大きく跳躍。広げた翼をさながら剣のように振るい、ユミルに打ち付けようとする!
ユミルは拳に装備した重合金ブレードを構え、翼の一撃を受け止めようとした。されどやはりパワーが違う。またしても大きく吹き飛ばされ、転ばされてしまう。今度は蹴られる前に体勢を立て直し、ユミルは跳んでヤタガラスから離れた。されど消耗が大きいのか、着地後のユミルは肩で息をしている。
ヤタガラスを戦う気にさせた。その時点で間違いなく、ユミルはきっとこれまでヤタガラスが戦ってきたどの怪獣達よりも『奮戦』していると言えるだろう。
だが、ではヤタガラスに勝てそうかといえばそうは見えない。
不利な点は二つ。一つはヤタガラスのパワーがユミルを圧倒している事。何しろヤタガラスのパワーは、自分の一・五倍以上の体格差を誇る陸上性怪獣よりも上なのだ。互角の体格のユミルでは、どれだけ鍛え上げたところで及ぶものではない。力で劣れば体勢を崩されたりして上手く攻撃が出来ず、一方的にやられてしまう事もあり得る。
二つ目は機動力。
【グアッ! ガァ!】
ヤタガラスはユミルの傍で飛び上がるや、空中で弧を描くように飛翔。ユミルの背後に回ろうとしてきた。ユミルもさせるかとばかりに身体を捻るが、ヤタガラスの方が数段早くて間に合わない。
パワーの強い奴は動きが鈍い。ゲームや漫画ではそんな傾向があるが、現実は逆だ。パワーがあればその分身体を動かす力も強く、よってスピードも速くなる。
ヤタガラスの速さはユミルを大きく凌駕していた。更にヤタガラスは自分のスピードをちゃんと理解していて、非常に精密な動きが出来ている。素早くて細かな動きが出来るとなれば、追う側としては非常に厄介だ。
ユミルの抵抗も虚しく、ヤタガラスはユミルの背中側に回り込む。次いでヤタガラスは足の爪を立てながらユミルの肩を掴み、強引に引きずろうとした。ユミルはこれも踏ん張って耐えようとするが、やはり力の強さではどうにもならない。ユミルは押し倒され、大地にごりごりと擦り付けられてしまう。
【ウグァ、ガッ、グウゥゥゥゥ……!】
暴れ回るユミルだったが、振り解く事は出来ず。ヤタガラスは一度大空に舞い上がり、ぶんっとユミルを放り投げる。空を飛べないユミルは地面に墜落し、痛みで藻掻くように四肢をバタ付かせた。
人類の叡智により、ヤタガラスの無敵の防御は剥がした。
だが逆に言えば、剥がせたのは防御だけだ。攻撃力でもスピードでもユミルは大きく劣っている。剥がした防御力だって、どうやらユミルより優れているようだ。何もかもが負けている状態での勝負。なんの秘策もなしに勝てる訳がない。
ただし人類側もこうなる可能性は考慮していた。ヤタガラスが怪獣と戦った時のデータから、ユミルと力と速さが上回っている事は明白だったのだから。硬さについても過去夜間に戦っていた事があったため、それなりに自信があるのも分かっている。
だから人類とユミルは『秘策』を用意した。
とはいえ秘策は簡単に繰り出せるものではない。使用には時間が掛かるし、ヤタガラスの動きを止めねば当てる事も困難だろう。故に秘策のための秘策も用意した。
それは百合子達が運転する、トラックの中にしまわれている。
【輸送部隊、プランBを初める】
通信機より、作戦本部からの指示が飛んできた。プランA……ユミルが装備した新兵器でヤタガラスを打ち倒すのは無理だと、自衛隊の作戦本部も思ったのだろう。
プランB開始を告げられても、百合子達運転手がする事は何もない。何故なら百合子達の仕事は、プランBを行うために必要な道具をこの地に運んでくる事。或いはヤタガラスが攻め込んできた時、積荷を守るために全力で逃げ出す事だ。荷台から荷物を下ろすのは、自衛隊員の仕事。
百合子は自衛隊員が、自分のトラックが運んでいた荷物……巨大な鎖を運び出す光景を見る。
出てきた鎖は自衛隊員が何十人も協力して運び出す、長大な代物。その割に太さは普通の鎖と同程度の、精々数センチしかない。また鎖の先、それと等間隔で真横に向かって伸びる四角い突起物が付けられている。
運び出された鎖は、付近に止まっている一台の車両の下へと運び込まれた。その車両はキャタピラこそ持っているが、砲台らしき部分は幅広く、戦車とはかなり外観が異なる。
トラックから運び出された鎖は、車両の後ろに持ち込まれる。自衛隊員はそこでなんらかの作業を行うと、鎖を車両の中へと入れていく。
自衛隊が秘策の準備を進めていく中、ユミルの動きにも変化があった。
【ウゥウウウゥゥ……!】
唸るように、ユミルはヤタガラスを睨む。
ヤタガラスが攻撃を仕掛けても、ユミルは後退してこれを受けようとしない。仮に攻撃を受けても反撃はせず、回避を優先していた。
つまるところ、ユミルは逃げに徹していた。
今までどんなに攻撃されても、積極的に攻めに転じていたユミル。その動きの変化は、賢い生物である人間には『怪しい動き』のように思えた。怪しさから、迂闊な攻撃は危険だと判断するだろう。
ヤタガラスも賢い生物だった。
【……クカァァァ……】
今まで一方的に攻撃していたヤタガラスは、不意に動きを止めた。ユミルを警戒するように、じっと睨み付けながら、僅かに距離を取る。
圧倒的強さを持ち、残虐としか言いようがない戦い方をしていたヤタガラスだが、同時に警戒心も強いらしい。自分の力に対する自信はあっても、過信はないようだ。普通ならば非常に手強い相手と言えるだろう。
だが、プランBを行うためにはその方が向いている。
【捕縛網射出!】
トラック内の通信機から、作戦本部の指示が聞こえてくる。
それと同時に、自衛隊が鎖を入れていた車両の砲台が火を噴いた! 同時に大きな、拡散するものが撃ち出される。暗闇の中でその正体を目視確認するのは難しいが、しかし作戦を知っている百合子は例え見ずとも詳細を理解していた。
投網だ。鎖で編まれた投網が放たれたのである。
この網を作る鎖もまた怪獣由来の素材で作られたもの。その強度は生半可な怪獣では破る事も出来ないほど優れている。百合子が運んできた鎖を運んだ自衛隊員達は、車両の裏でその鎖を編み(鎖の横に等間隔で並んでいた突起で結合可能な作りだ)、巨大な網を作り出した。車体はそれを広げるように撃ち出すためのもの。
無論鎖で出来ているとはいえ、網では物理的な破壊力はあまり期待出来ない。だが網とはそもそも攻撃ではなく、捕縛のためのもの。元より目的は対象を捕まえる事だ。
そして此度その対象となったのは、ヤタガラス。
【グガッ!?】
ユミルを警戒していたが故に、投げられた網への反応が遅れたらしい。ヤタガラスは躱す事も出来ず、特製の投網を頭から被る。
ヤタガラスは網を破ろうと藻掻くが、鎖で出来ているとはいえ網の構造上多少は伸縮自在な代物。刃物のように鋭いもので切り裂くなら兎も角、力で引き千切るのは中々難しい。それでもヤタガラスの怪力ならば、どうにか出来てしまうだろうが……時間は掛かる。
ヤタガラスが苦戦している間に、第二、第三の網が放たれた。ヤタガラスはそれら投網を視認したが、既に捕縛されている状況では避けようがない。三つの網を被り、ますます未動きが封じられたヤタガラスは苛立つように吼えた。
さて、ここまではあくまでも捕縛だ。しかもどれだけ頑強でもヤタガラスならいずれ破るだろう。この網は、プランBのための前準備に過ぎない。
プランBの開始を、恐らく通信越しの茜から伝えられたのか。ユミルはヤタガラスから距離を取る。ヤタガラスはユミルの行動に何か違和感を覚えたのだろうか、離れていく彼に鋭い視線を向け続け……
刹那、爆音と衝撃波が、ヤタガラスの背中から鳴り響いた。
【カッ……!?】
ヤタガラスは目を見開き、口を大きく開けて、驚愕の色を見せる。それは人類が遭遇してから、ヤタガラスが始めて見せた表情だった。
ヤタガラスの背中側では、濛々と灰色の粉塵が舞い上がっている。火などは吹き上がっておらず、徹甲弾のような質量体が撃ち込まれたというのが察せられた。しかし百合子の周りの戦車は今、砲撃をしていない。散開している他の戦車部隊も同様だ。空を見ても航空機は飛んでおらず、ヤタガラスを攻撃出来るものは、百合子の目に映る範囲には存在しない。
一体何が起きたのか? 百合子は、そして自衛隊員達はその正体を知っていた。
――――『神の杖』と呼ばれる兵器だ。
これは端的に言えば、宇宙空間から巨大な金属塊を地上へと射出する兵器。金属塊には火薬も核燃料も積んでいないが、秒速数十キロというスピードで撃ち出される。質量×速さの二乗が運動エネルギーの算出方法。秒速数十キロを誇る金属の塊は、ただそれだけであらゆる砲弾を凌駕する威力と化す。その純粋な運動エネルギーで対象を破壊するのだ。
四年前までそれは、アメリカが極秘理に開発している超兵器だと、都市伝説や陰謀論として語られるものに過ぎなかった。このような兵器を持つ事は宇宙条約で禁止されているし、そもそも威力が設置の苦労に対してそんなに強くないという致命的欠点がある。そんな面倒な兵器を使うぐらいなら、ミサイルを飛ばす方が安価で精密で確実だ。故にアメリカも四年前には、まだ保有していなかった。
だが、ヤタガラスの存在がこの兵器に現実味を与えた。
核兵器の通じない超常の生命体。そんなものが現実に出現した事で、新たな兵器の開発が必要となった。そこで注目されたのが神の杖。質量攻撃を行う性質上光が発せられず、威力はただの徹甲弾よりも遥かに強い。対ヤタガラスとしてはこれ以上ない適任兵器だったのである。
米国からしても、大陸間を飛翔する事が出来るヤタガラスは脅威。米国も倒すための協力は惜しみなかったという。四年前の二大技術大国が開発を進めた結果、僅か一年で開発・打ち上げに成功。静止軌道上を漂う衛星は、攻撃タイミングが来る時までじっとしていて……今、ついにその出番を迎えたのだ。
【ゴ……ガッ……!?】
神の杖が直撃して、ヤタガラスは大きく前のめりに動く。これまでにない、明らかな苦しみだ。
それが演技ではないと物語るように、ぼとりと、ヤタガラスの背中から何かが落ちた。
誰もがそれを注視した。ユミルだけでなく人類も、そしてヤタガラス自身も、ヤタガラスの背中から落ちたものを見つめる。
それは一枚の羽根だった。
ヤタガラスの身体から一枚の羽根が抜け落ちた――――言葉にすればただそれだけの事である。だが、それを目の当たりにした百合子は声を詰まらせ、そしてトラックの周りに居る自衛隊員達は歓声を上げた。
何故ならそれは、今までどんな攻撃にも傷一つ追わなかったヤタガラスが、始めて傷付いた瞬間なのだから。
「(ほ、本当に、本当にこれは勝てるのでは……!)」
人類が、いや、『怪獣』も含めて始めて得た成果。それは百合子達人類に、ヤタガラスに勝利するという具体的なビジョンを示す。
冷静に考えれば、羽根がただ一枚抜け落ちただけであり、勝利には未だ程遠いだろう。だが、千里の道も一歩からと言うように、塵も積もれば山となると昔から言い伝えられているように、どんな小さな傷でも重ねていけばやがて致命傷へと至る。
確かに今の装備だけでは、このまま致命傷まで持ち込むのは難しいかも知れない。余裕も殆どない。けれども勝利の道筋が見えたなら、更に知恵を絞れば新たな道も見えてくる筈だ。そして人類は、何時だって知恵と工夫で、不可能だと思える問題を解決してきた。
人類はヤタガラスを倒せるのだと、誰もが思い始めた。
【……………】
そうして人類が希望で満たされていく中で――――ヤタガラスは黙していた。
黙して、じっと見つめるは自分の羽根。たった一枚だけだが、ユミルと人類のタッグにより抜け落ちた羽根。
自分が傷を付けられたという、確かな証。
ヤタガラスはまるで考え込むように、しばしの間動きを止めていた。だが、やがてゆっくりとユミルの方を見遣る。ユミルも腕を構えてヤタガラスと改めて向き合う。まだまだユミルの闘志は折れていない。
対するヤタガラスはどうか。恐らく始めて受けたであろうダメージ。果たしてヤタガラスは怒り狂うのか、狼狽えるのか、泣き喚くのか、混乱するのか。トラックに中で百合子は、暗視ゴーグルに映るヤタガラスの姿を凝視し―――ー
恐怖で背筋が凍り付いた。
ヤタガラスは静かだった。怒りの咆哮も、困惑の慟哭も、恐怖に染まった悲鳴も、何一つ上げない。激しい動きも何もなく、傍目にはその場に立ち尽くしているように見える。
だが、その顔にはこれまでにない覇気が宿っていた。
ヤタガラスの顔が向いているのはユミルだ。地上を駆け回る矮小な人間など眼中になく、ましてやトラックを運転たしている百合子になどこれっぽっちも意識していない。なのに百合子は全身が強張るほど恐怖し、冷や汗が流れ出てくる。
嫌な予感がした。そしてその予感の答えは、殆ど間を置かずに明らかとなる。
ヤタガラスの身体が、煌々と輝き始めるという形で……
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