開戦
【オオオオオオオオオオオオオッ!】
作戦開始を告げる本部の言葉と共に、ユミルが咆哮を上げて駆け出す。目指すは麓で優雅に眠っている、ヤタガラスだ。
とはいえユミルは作戦本部の号令により動き出した訳ではない。彼に指示を出しているのは、ユミルと共に百合子の近くにやってきた茜。人間好きだが自由奔放な彼に『命令』を出せるのは、ユミルが特別大好きな茜だけだったからだ。
六十メートルもある身体のユミルは、山の斜面を猛烈な速さで駆け下りていく。『鳥目』ではないユミルだが、その視力は普通の人間よりちょっと良い程度。本来なら夜の山を全速力で駆け下りるなんて真似は、人間より頑丈なので危険とは言わないが、転ばずにやるのは中々難しい。ユミルの身体は一年前より倍近く筋肉が付いていたが、それでもやはり困難だろう。
そんな彼が今容易く山を下りられる理由は、頭に付けている兜にある。目許を覆うゴーグル部分は、百合子が装着している暗視ゴーグルと同じ働きがあるのだ。つまり幅数メートルの超巨大暗視ゴーグルという訳である。これで暗闇の中でも、動きは殆ど制限されない。
ユミルは難なく麓まで到着。ヤタガラスまであと二百メートルほどの距離まで迫った。ヤタガラスは、まだ起きる気配もない。
【オォガアアアアッ!】
そのヤタガラスに対し、人間であるのと同時に怪獣でもあるユミルは、なんの躊躇いもなく拳を振るう。
そしてユミルの放った拳は、ヤタガラスの脳天を直撃した!
拳といえどもその腕に装着しているのはジャマダハル型装備こと、重合金ブレード。しかもこの重合金ブレードは、一年前にジゴクイヌを貫いたものよりも大きく強化されていた。ブレードの基礎や素材に怪獣由来の成分を用いる事で、これまで人類が開発してきたどんな合金よりも強固な金属を生み出せたらしい。
人間の兵器ではヤタガラスを苛立たせる事が精々。しかしヤタガラスと同じ怪獣由来の素材であれば、最強といえども同じ怪獣であるヤタガラスに傷を与えられるのではないか。そのような期待を人類は抱いていた。
だが、それを蹂躙してこその『怪獣』だ。
【……クカァァァァァ……】
ヤタガラスが鳴く。唸るようでも、苛立つようでもなく、呆れ返ったため息を吐くように。
ユミルが繰り出した拳と重合金ブレードは、確かにヤタガラスの頭に命中していた。ヤタガラスの頭は命中前と比べて大きく位置をずらし、それなりのダメージとなった事が窺い知れる。
されどあくまでも『それなり』だ。致命的なダメージは受けていないと、戦いの素人である百合子でも、なんとなくだが察せられた。恐らくヤタガラスにとっては、「目を覚ますのに丁度良い」ぐらいの一撃だったに違いない。
とはいえヤタガラスが、深夜に叩き起こされた事を感謝する訳がない。
次は、ヤタガラスの反撃の番だ。
【ガアァッ!】
百合子が本能的に理解したところで、ヤタガラスが動き出した! 短くも怒気のこもった声と共に、巨大な足がユミルを襲う!
ユミルは腹を正面から蹴られ、大きく吹き飛ばされた。身体が柔らかな怪獣であればこれだけで死に至るほどの、強力な打撃。鍛え上げたとはいえ生身でこれを受けたなら、ユミルは大きく怯んだであろう。
されどここでも装備が役立つ。
ユミルの身体を覆う鎧にも怪獣由来の素材が使われているのだ。それは日本に現れた怪獣の中では特に頑強な甲羅を持つ亀型怪獣・シェルドンより得られたもの。ヤタガラスが惨殺したと思われる亡骸から甲羅を得て、成分を練り込むようにして鎧を作り上げた。
無論ヤタガラスが惨殺したというところからも分かる通り、ヤタガラスの力であれば破壊可能な強度だろう。しかし簡単には壊せない筈であるし、数発だけでも受け止めてもらえれば身を守るという役割は十分に果たせる。決して無駄な装備ではない。
ユミルも蹴りのダメージは殆ど受けなかった。そのため彼は、即座に反撃へと転じる事が出来る。
【ゴアアッ!】
素早く跳び上がるや、ユミルは渾身の蹴りをヤタガラスの顔面に喰らわせた!
人間の場合、キックはパンチの三倍の威力があるという。あくまでも理論値的な話であるため正確性に欠けるが、つまりそれだけ強いという事。人型をしているユミルのキックも同様に、パンチの数倍の威力があってもおかしくない。
それを物語るように、蹴りを受けたヤタガラスの頭が大きく仰け反った。
【……! グガアアアァッ!】
続いてヤタガラスは怒るように翼を振るう! 翼の一撃はユミルを直撃し、彼の身体を何百メートルと突き飛ばす。ユミルは山の斜面に叩き付けられ、その動きを阻まれた。
ヤタガラスは翼を広げる。恐らく飛ぼうとしているのだと百合子は感じた。高速で接近するためか、はたまたそのまま体当たりでも喰らわせるのか。なんにせよ、ユミルに追撃を仕掛けるつもりなのは明白。
しかしそれをむざむざ許す人類ではない。
百合子がいる場所に同じく停車していた戦車が、突如として砲撃を始めた! 轟く爆音。鼓膜が避けそうな爆音に身体が思わず萎縮する中、百合子は暗視ゴーグル越しの景色を凝視する。
砲撃を始めたのは百合子がいる場所の戦車だけではない。ヤタガラスをぐるりと囲うように配置された、他四箇所の戦車も砲撃を始めていた。爆音が四方八方から響き渡り、攻撃の苛烈さを物語る。更に歩兵達も銃撃を始め、ユミルの援護を行う。
ここで戦車達が撃ち出しているのは、爆発する榴弾ではなく、貫通を目的にした徹甲弾だ。ヤタガラスに命中した砲弾は爆発を起こさず、砕けた破片である灰色の粉塵を撒き散らすだけ。歩兵達が持つ銃も対物ライフルであり、爆発ではなく貫通力重視のもの。兎に角爆発が起きないよう、装備を選択した結果である。
【ガッ……グガガガガ……!】
果たしてその結果は、なんとヤタガラスが苛立つように翼を攻撃に対し盾のように構えたではないか。
つまり自衛隊の攻撃に対し、ヤタガラスが直撃したくないと思った事に他ならない。これまで自衛隊の攻撃など、苛立つだけで全く気にも留めなかったヤタガラスが、である。
それはこの作戦の前提である、光子フィールドが弱まっている証だ。加えて最強の技であるレーザーも撃たない。
夜ならば光エネルギーが足りなくて、ヤタガラスは力を発揮出来ない……その推論が確信に変わる。とはいえ今なら自衛隊でも倒せるようになったという訳ではあるまい。砲撃を受け止めた翼は無傷であり、余波を受けた身体にも傷は見られないので、恐らく擦り傷ほどにも感じていないだろう。そしてここで核兵器を使っても光子フィールドが再展開されるだけ。結局人間の力だけではヤタガラスは倒せそうにない。
だが、ここにはもう一体の怪獣がいる。
【オオオオガァッ!】
ユミルだ。自衛隊の攻撃に気を取られているヤタガラスに対し、ユミルは再び重合金ブレードを装備した拳を振り下ろす!
ヤタガラスは迫りくる拳に、一瞬、苛立つように嘴を揺れ動かす。次いで自衛隊の攻撃を塞ぐのに使っていた翼を、今度はユミルの攻撃を塞ぐのに使った。怪獣の攻撃にも防御姿勢など殆ど取らなかったヤタガラスが、ユミルの攻撃を防御したのだ。
きっと作戦に参加した人々は歓声を上げただろう。百合子と同じように。しかしヤタガラスはただ頑強さだけで最強の怪獣として君臨した訳ではない。
ユミルの拳を翼で防いだ後、ヤタガラスはその翼を大きく動かした。ただし今度は突き飛ばすようではなく、横に薙ぎ払うように。
防御の硬さは光子フィールドが源でも、数多の怪獣を叩き潰した怪力は肉体由来のもの。ヤタガラスは易々とユミルを横へと突き飛ばし、自分のすぐ傍で転ばせた。これなら立て直す時間も与えない。
【ガアッ! グガアァアァッ!】
倒れたユミルに対し、ヤタガラスは何度も踏み付ける! 踏み付け攻撃はユミルの胸部に集中して行われ、その一撃に一切容赦はない。
【ゴゥッ!? グ、ウグァッ……!】
踏まれる度にユミルの口から苦悶の声が漏れ出ていた。怪獣の素材から作り出された鎧も、ヤタガラスの打撃を完全には受け止めてくれないようだ。
無論鎧がなければ、これだけで致命的な打撃となっていただろう。鎧のお陰で呻くだけで済んでいる。だがその鎧は踏まれる度に大きく歪み、百合子の耳に届くような歪な音を響かせていた。恐らく、もう長くは持たない。
このままでは鎧を踏み抜かれ、ユミルは致命的な打撃を受けてしまう。そうなれば人類に打つ手はない。決定的な敗北だ。
自衛隊もそれをみすみす許しはしない。
【総員、衝撃に備えろ!】
車内の通信機から響く声。その声から事前に通達されていた作戦を思い出した百合子は、慌てて耳を塞ぐ。
次の瞬間、空から轟音が轟く。
自衛隊の航空機だ。その飛行高度はかなり低く、雲に覆われた夜空にほんのりとシルエットが浮かび上がる。恐らく一千メートルもないような高さを飛んでいるのだろう。この高さでは空を飛べるヤタガラスどころか、普通の怪獣が投擲したものが届いて撃ち落とされかねない。非常に危険な飛び方だ。
しかしそれも仕方ない。
何故なら航空機がこれから仕掛ける攻撃は、無誘導弾頭による攻撃。コンピュータによる照準があるとはいえ、自由落下に任せて落とすだけ。軌道が逸れれば仲間であるユミルどころか、散開している自衛隊地上部隊を爆撃しかねない。おまけに夜にも拘らず、照明で対象を照らす事も出来ないのだ。可能な限り接近し、照準のズレを最小限に抑えるためには目標までの距離を縮めるしかない。
ヤタガラスは頭上を飛ぶ航空機を一瞬気に掛けたが、それよりもユミルの方が驚異だと判断したのだろう。頭上を取られたところで気にもせず、ユミルへの攻撃を続けた。確かにその判断自体は正しい。
だが、人類とて虫けらで甘んじるつもりはない。
航空機は無数の物体を落としていく。それは高い密度と高度を有す、自由落下型徹甲弾だ。自由落下による運動エネルギーだけで対象を貫く最新兵器。
ヤタガラスの脳天に激突したそれは、ヤタガラスの体勢を僅かながら崩す事に成功した! ヤタガラスは目を見開いていて、小さくないダメージを受けた事を物語る。
効果が確認された。ならば手を緩める理由はない。航空機は続々と自由落下型徹甲弾を落としていく。
【ガッ……グガァッ!】
度重なる爆撃は、極めて正確にヤタガラスの脳天を打つ。爆炎の生じない純粋な質量攻撃が、ヤタガラスの意識を空へと向けさせた。
【グ、ヌゥオオオオオオオオオオッ!】
その僅かな隙を突いて、ユミルは身体を力強く起こす!
空を見ていたヤタガラスは、ユミルの行動に僅かながら反応が遅れた。踏ん張るのが間に合わず、大きく突き飛ばされてしまう。とはいえヤタガラスにダメージを与えた訳ではない。ヤタガラスは翼を羽ばたかせて体勢を直しつつ、再度突撃しようとする。
が、ヤタガラスとユミルの間に航空機が落とした弾頭が着弾。舞い上がった粉塵が二体の間に満ちた。ヤタガラスがどの程度夜目が利くから分からないが、ユミルの背丈ほどに立ち昇った煙は煙幕代わりにはなったのだろう。ヤタガラスは飛ぼうとした動きを止めて、むしろ僅かながら後退していく。
そしてユミルはヤタガラスが攻撃を躊躇っている間、体勢を立て直していた。暗視ゴーグルを装備しているユミルにも煙幕の向こうは見えないが、しかしユミルには遠くから戦いを眺めている茜達人類がいる。ユミルの知能が高くないので簡単な話でしか状況を伝えられないが、それでも見えない部分を把握出来るのは戦いにおいて非常に有益だ。
それは、ヤタガラスも分かっているらしい。
【ガァッ!】
力強い声と共にヤタガラスは翼を振るう。
すると強烈な突風が起こり、煙幕のように漂っていた煙を吹き飛ばしてしまった。露わになるユミルの姿。しかし既に臨戦体勢を整えていたユミルに動揺はない。
仕切り直すように、ユミルとヤタガラスは正面を向き合う。
思えばユミルの一撃は不意打ちから始まった。だからヤタガラスと真っ直ぐ向き合うのは、これが初めての事。
もしも戦いが始まる前にメンチの切り合いをしたならば、ヤタガラスはユミルをどう見ただろうか? 怪獣でもカラスでもない百合子に、ヤタガラスの気持ちを読む事など出来ないが……恐らくろくな関心を向けなかっただろう。睡眠中だったとはいえ、ユミルが殴り掛かるまで寝ていたぐらいなのだから。
しかし今のヤタガラスは違う。ユミルをじっと、鋭い眼差しで睨み付けている。敵意と闘争心を剥き出しにした姿は、ユミルを敵と認めた証だ。
ここからが本当の勝負。ユミルもそれを理解しているに違いない。
【ゴォアアアアアアアアアアアアアッ!】
故にユミルは世界が震えるほどの咆哮で自らの気合いを入れ直し、
【グガアアゴオオオオオオオオオオッ!】
ヤタガラスはその咆哮さえも掻き消えるほどの声量で、雄叫びを上げるのだった。
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