リベンジマッチ

 大人になると、月日の流れが早く感じるものだ。

 小学生か中学生か、兎も角幼い頃に百合子はそんな話を聞いた覚えがある。聞いた時は ― まだ幼いのだから当然だが ― 実感など沸かなかったが、二十歳を超えて大人となった今となってはよく分かる。一年という言葉を聞けば長いと思うが、実際に過ごしてみれば瞬く間に過ぎ去ってしまう。

 そう、一年などあっという間だ。仕事をして、休みの日にだらけたり遊んだりしていたら、すぐにその時は訪れる。

 それは例え人類の今後を、良くも悪くも左右するであろう時であっても、だ。


「(ついに、この時が来ましたか……)」


 、一年の月日が流れたこの日――――百合子はあの日と同じくトラックの中に居た。

 その間百合子達の身に何かあったかといえば、特段そんな事もなし。世界の危機だろうが人類の命運が掛かっていようが、人の社会は何事もないかのように進んでいく。何時も通りの仕事をし、これまで通りの生活を送り……精々自衛隊直々の仕事の依頼があった程度だ。

 真綾の方はこの一年で何か大きな『発見』をしたと、百合子は手紙で知らされたが……手紙が来た頃から仕事が忙しく、詳しい話を聞きに行く事は出来なかった。手紙曰く世紀の大発見らしいので、仕事が一段落したら聞きに行きたいと考えている。

 ……成否に関わらず、今日を生き延びる事が出来ればの話だが。


「(……凄い光景ですね)」


 トラックの窓から、辺りを見回す。

 今の時刻は夜十一時。しかも街灯などない真夏の森の中であり、今日の天気は朝からずっと曇りという状況だ。百合子のトラックがいる場所は木々が伐採されて開けた土地となっているが、夜と曇りの二つが合わさり肉眼では景色が見通せない暗さに満ちている。普段であればトラックのライトを点けるところだが、それはため出来ない事だ。

 代わりに今の百合子は『暗視ゴーグル』を装着している。緑一色の『景色』は極めて見辛いが、暗闇と比べれば遥かに良好な視界だ。これのお陰で百合子は自分の乗るトラックの周りに並ぶ、無数の物体を視認する事が出来た。

 百合子が乗るトラックの横にずらりと並ぶのは、同型車種の大型トラック。数はざっと二十両ほどだろうか。トラックの前方にはそれと同じぐらいの数の自衛隊の戦車も並んでいた。更に戦車の傍には、大きな銃を携行した歩兵が何百人といる。歩兵達も暗視ゴーグルを装備していて、何やらSFの世界からやってきた人物のようにも見えた。

 暗視ゴーグル越しでも圧を感じるほどの大部隊。昼間に見たならば中々壮観な光景だったに違いない。しかもこのような部隊は一つだけでなく、百合子がいる場所とは数百メートル離れた別の山にもあるという。聞いた話では、全部で五つの部隊があるそうだ。

 合計百両の戦車に、数千人の歩兵部隊。比喩でなく、今の日本の軍事力の総力を結集させたのだろう。

 されどこれでも、展開した部隊の中心に位置する麓にて佇む怪獣――――ヤタガラス相手では、不足なんてものではないだろうが。


「(いよいよ始まるんですね。ヤタガラス討伐作戦の本番が)」


 ヤタガラス討伐作戦が今日この時間に行われるのには、相応の理由がある。

 まず最低限の条件として、ヤタガラスが持つ無敵の守りこと光子フィールドをどうにかしなければならない。そこて光エネルギーの供給がない、夜間に実施される事となった。また朝から曇り空であれば日中の光エネルギー供給も少なく、夜間の光子フィールドが極めて薄い可能性が高くなる。

 本当なら、更に日照時間が短くて日差しの弱い冬場にやるべきなのだが……冬場は大量の燃料需要があり、戦車を動かすと凍死する市民が出かねない。そのため寒さを和らげる必要のない、温かな時期に行わねばならなかった。

 かくして今日、気温・日中の天気の条件を満たし、夜間に作戦決行という運びとなったのだ。


「(しかしあれ、多分寝てますよね……)」


 暗視ゴーグル越しに見えるヤタガラスの姿は、明瞭とは言い難い。しかしそれでも、頭を垂れているように見える姿勢は、睡眠を取っているとしか思えないものだった。

 人間が包囲しても、安眠を妨げる事すら出来ない。ヤタガラスにとって人間の存在など、耳許を飛び交う羽虫以下という訳だ。虫けらが何をしていても興味などないし、それが自身を害するものなら、後で対処すれば良いと考えている。

 正に強者の余裕。英雄譚であればその余裕を(時には姑息とも言われるような)知略で突き、打ち倒すところだが……真の強者は知略など力で踏み潰す。ヤタガラスはそうやって人類の叡智を全て打ち砕いてきた。ヤタガラスの振る舞いは驕りでも過信でもない、本当の余裕だ。

 果たしてその余裕を、今日こそは崩せるのか。

 ――――否。今日こそ崩すために、日本は、人類はこれまで尽力してきたのだ。そしてそのための秘策は、間もなく此処を訪れる。

 百合子がそう考えていた時に、ずしん、という振動が背後からやってきた。


「(ついに来ましたね)」

    

 百合子は振動が伝わってきた背後を見るため、車窓から身体を乗り出す。

 森の木々より遥かに巨大な、高さ六十メートルはあるだろうシルエット。仮に暗視ゴーグルがなく、全身が暗闇に包まれていたとしても、存在感はひしひしと感じられた事だろう。

 その巨大な身体を、金属の装甲が覆っていた。鎧のように胸部や腹部などの致命的な部分を守っており、しかし動きを妨げないよう蛇腹のような細かなパーツも付いている。六十メートルの身体に合わせて作られた『特注品』は、その身体にぴったりと合っていた。

 更に腕には鋭い刃こと、ジャマダハル型の武具が装備されている。二枚の刃を接合して作られたそれは、鋭利と呼ぶにはやや太く、だからこそ突き刺された時の傷口が凄惨な事になるのが想像出来る。

 頭にも大きな、兜のようなものが装備されていた。ただしこちらは細長いアンテナが二本伸びていて、目元を覆うゴーグルのようなものもある。防具というよりも器材といった様子だ。とはいえ金属で出来ているそれは防御力皆無というものではなく、それなりには身を守るのに役立つだろう。

 騎士のように固めた全身。それでも人型の、一年前と比べて倍近く筋肉で膨れ上がったシルエットだけで『彼』だと判断する事が出来る。

 人間の怪獣・ユミルだ。

 そしてそのユミルの傍には、彼の友達にして百合子の親友――――茜の姿がある。周りには迷彩服姿の自衛隊員の姿もあり、彼女の事を守っているようだ。


「(茜さん……)」


 心の中で呟いた百合子の声。それが聞こえたかのように、茜は百合子の方を見て、身体を車窓から出している百合子と目が合う。昔ならここで手の一つも振っただろうが、二人とももう仕事をしている社会人。目と目で会話を交わせば、それで十分だ。

 そうして親友とのコンタクトを取った後、トラックの運転席の傍にある通信機が着信音を鳴らす。あちこちから響く虫の声に紛れて聞こえないなんて事がないよう、音量を大きくしてから受信のボタンを押す。


【こちら、作戦司令本部。作戦開始時刻の前に、本作戦に参加してくれた戦士達に感謝を伝えたい】


 通信機から聞こえてきたのは、本部からの言葉だった。


【五年前、日本に怪獣が現れて以来、自衛隊は多くの怪獣と戦ってきた。国民を守りきれなかった事も、多々あった】


 五年前。それが百合子の人生を大きく左右したのは間違いない。もしも怪獣が現れなければ、きっとトラックの運転手の仕事は、少なくともまだしていなかっただろう。才能があって、運転が好きだとしても、大学や専門学校への進学を目指しただろうから。


【その中でもヤタガラスとの戦いは、敗北の連続だった。敗北しかなかった。その結果が、日本と他国との断絶だ】


 仮に怪獣があちこちに出ていても、ヤタガラスがいなければ、やはりトラック運転手にはならなかったかも知れない。社会が追い詰められるまでの猶予が伸びれば、苦しくなったとしても、今まで通りの暮らしが出来たかも知れないのだから。


【最早日本社会の体力は限界だ。資源は底を突き、燃料も残り僅か。来年は、今の生活すら続けられないだろう】


 そして今のトラック運転手という仕事も、来年には出来なくなるかも知れない。トラックを作る鉄も、トラックを動かすためのガソリンも、もう日本には殆ど残っていないのだ。

 全てはヤタガラスが原因。

 ヤタガラスが邪悪だとは言わない。それは人間が、人間を襲うクマを悪魔と呼ぶような身勝手さと同じだから。しかし人を襲ったクマを、人間への罰だといって野放しにするのは正しくない。人間を守るためにも、戦い、倒さねばならない。それはヤタガラスが相手でも同じだ。

 『今』の生活を守るため、『これから』もこの生活を続けるため、人類の敵を倒さねばならない。


「(私に出来るのは、その手伝いぐらいですけど……精いっぱい、頑張りましょう!)」


 一人類として、この作戦に参加している友達も守るため、百合子は決心を新たにする。

 そしてその想いは、この場にいる誰もが抱いた事だろう。


【総員、健闘を祈る――――作戦開始だ!】


 通信が終わるのと同時に、第二次ヤタガラス討伐作戦の開始時刻を迎えるのだった。

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