描く未来

「聞いたわよー。最近、ユミルが新兵器をぶっ壊したって」


 真綾の仕事部屋研究室に遊びに来ていた百合子は、にやにやと笑う真綾からそう言われた。

 ユミルが強化重合金ブレードを実戦で破壊してから、早一週間。噂話は真綾の下までしっかり届いていたようだ。出されたタンポポコーヒーを飲みながら、本当はちゃんと分かっているとは思うが、百合子は真綾の認識を訂正しておく。


「……確かに壊しましたけど、あれは不可抗力です。怪獣退治に使った結果ですし」


「知ってる。普通の怪獣相手にすら使い捨てじゃ、ヤタガラス相手じゃ使い物にならないわね」


「……なんだ、知ってるじゃないですか」


「まぁね。噂話は調べた上で語るようにしてるもの。一応科学に携わる仕事してるんだから、それぐらいはしないと」


 全てを分かった上でおちょくる。真綾がそういう人物なのは、高校生の時から知っている事だ。相変わらずですね、と心の中で呟きながら百合子は肩を竦めた。それからコーヒーを一口飲んで、ほっと一息。


「ところで今日はなんの用で来た訳? まぁ、用がなくても歓迎はするけど」


 しばし話が途切れると、真綾はそのように尋ねてきた。

 割と用もなく来る事もある百合子なので、真綾としては特に理由もない問い掛けなのだろう。そうは思っていても、此度はちゃんと理由があって訪れた百合子は、心を読まれた気がして少しドギマギしてしまう。その目的もやましい事ではないというのに。

 またコーヒーを一口。苦味が頭をスッキリさせてくれる。息を整え、気持ちを落ち着かせてから、百合子は世間話のように答える。


「別に大した用ではないんですけどね。仮にと言いますか、ヤタガラスが倒されたら世の中はどう変わるのかなーと思いまして。それでお茶ついでに専門家の意見でも窺おうかと思いました」


「専門家ねぇ。私はヤタガラスじゃなくて怪獣全般の研究者だし、そもそも私なんて趣味人程度なもんだと思うけど」


「私からすれば十分専門家ですし、趣味人の働きで私よりたくさんお給料もらっているのは色々癪です。給料分の仕事はしてください」


「アンタに講義するのは私の仕事じゃないわよー」


 軽く会話を交わし合った後、真綾は少し考え込む。ヤタガラス討伐後の世界など想像もした事がないのか、はたまた百合子にも分かりやすいよう言葉を考えているのか。

 多分後者だと、親友をよく知っているつもりである百合子は思った。こちらのためにしている行いを邪魔してはならないと、真綾が話し出すのをじっと待つ。


「……断言は出来ないけど、怪獣情勢が悪化する可能性もゼロじゃないわね」


 やがて語られた答えは、百合子としては少し予想外の結果だった。


「え? そうなのですか? でもヤタガラスがいるから、日本は空輸や空軍の運用が難しいんですよね? ヤタガラスがいなくなれば武器の輸入とか空軍の攻撃がやり易くなって、普通の怪獣との戦いが楽になると思うのですが」


「その説明をするには、まず怪獣の生態系的特徴を挙げないといけないわね」


「生態系的特徴?」


 百合子が首を傾げると、真綾は既に頭の中で纏めていたであろう説明を始めた。

 怪獣とて生き物である以上、何かを食べて生きている。

 小さな怪獣であれば、獲物に選ばれるのは普通の……例えばただの人間など……生物だ。しかし体長二十メートルを超えるぐらい大きくなった怪獣の殆どは、人間など見向きもしなくなる。それは大きくなった怪獣にとって、普通の生物では小さ過ぎて獲物として非効率だからだ。大きな生き物は、もっと大きな生き物を襲うのが効率的である。

 結果として大きな怪獣は、自分と同じぐらいか少し小さな怪獣を獲物として好む。


「怪獣が怪獣を食べる。そうする事で怪獣全体の個体数が抑制され、生態系が安定する……まぁ、怪獣とか関係なく、普通の生物でも言える話よね」


「ええ、そうですね。でも、それとヤタガラスがどう関係するのですか? 確かにヤタガラスは他の怪獣を食べますけど、別にヤタガラス一匹倒したからどうなるとは思えませんが」


「ヤタガラスが普通の怪獣ならね」


 勿体ぶった前置き。百合子の意見を軽く否定してから、真綾は次の説明を始めた。


「実はね、ヤタガラスは普通の怪獣よりも大食らいなのよ」


「はぁ。えっと、具体的には?」


「同じ体格の怪獣と比較して、大体百倍ぐらいかしら。二百倍って論文もあるけど、私としては百倍説の方がより正確だと思うわね」


「……はい?」


 さらりと語る真綾。だが、百合子は思考が僅かに停止していた。

 普通の百倍も大食い。

 言葉にすれば陳腐にも聞こえてくるが、現実として考えればあまりにも異常だ。確かにヤタガラスはとても強く、その分筋肉が多いなら基礎代謝も高くなるだろうが、だとしても非効率過ぎる。大体普通の百倍もものを食べたら、胃袋が破裂してしまうのではないか?

 一瞬で湧いてくる数々の疑問。それは真綾にとって想定済みのものだったのか、疑問への答えは百合子が尋ねるよりも前に語られた。


「正確に言うなら、一般的な怪獣が少食なのよ。身体の大きさや身体能力から考えられる基礎代謝から逆算して、大体五十分の一ぐらいの食事量しかない」


「……いやいやいやいや、それ逆になんかおかしくないですか? 百倍大食いなのは燃費が悪いで一応説明出来そうですけど、五十分の一で良いのは効率的とかって問題じゃない気がするのですが」


「その通り。エネルギー効率が良いだけじゃこうはならない。大体生物ってのは三十六億年の間ずーっと進化の中で効率化を進めてきたのよ? 完璧とは言えないにしても、かなり省エネな身体となっている。それより何十倍も効率的なんて、あまりにもインチキよ」


「えっと、つまり何かトリックがあるという事ですか? でもどんな……」


「私が研究テーマとしている、怪獣に特有な腸内細菌。どうもアレが手品のタネみたいなのよ」


 真綾曰く、怪獣の腸内で採取された新種の細菌は、水と二酸化炭素から糖を合成する力があるという。

 それだけなら植物と同じだが、この細菌は更に窒素も混ぜ合わせ、タンパク質まで作ってしまうらしい。つまり息をするだけで身体を作る材料が一通り得られる。更にその合成に必要なエネルギーは周りの熱から賄われている可能性が高く、高温になるほど活性が高まるらしい。

 現在はこの細菌を利用して合成食糧が作れないかの研究も進められているようだが、今の本題はここではない。肝心なのは、この細菌の働きにより怪獣はという事だ。


「正確にはミネラル、つまりカルシウムとかマグネシウムは身体相応に必要なんだけど、逆に言えばそれ以外はわざわざ食べなくて良い。食べた獲物のほぼ全てが身体を作る材料となり、ミネラルを十分補給出来たなら何も食べなくても成長していく……怪獣ほどの巨大生物が大発生するのも、何十メートルもの巨体となるのに数ヶ月も掛からないのも納得ね。餌は空気中にあったのだから」


「そんな……あれ? なら、なんでヤタガラスは大食いなんでしょうか?」


「さぁ? 腸内細菌が上手く働いてないかも知れないわね。メカニズムを解明出来れば殺虫剤ならぬ殺怪獣剤が作れるようになるかもだし、人体に投与して点滴代わりにするのもありね。ああ、それと怪獣の養殖が出来るようになるかも」


「怪獣を養殖してどうするんですか……まさか生物兵器とか?」


「そういう使い方もあるでしょうけど、個人的には家畜化が目的。ほら、何も食べなくても育つなら、家畜として最高じゃない?」


「人間、というか科学者は逞しいですねぇ……それはそれとして。なんでヤタガラスを倒すと怪獣情勢が悪化するのかは、なんとなく分かりましたよ」


 通常の怪獣の百倍も食いしん坊。ヤタガラスはさぞやたくさんの怪獣を殺している事だろう。ヤタガラス一匹が死ぬという事は、怪獣百体分の捕食者がいなくなる事に等しい。今まで食べられていた怪獣が、一気にその数を増やすかも知れない。

 それにヤタガラスは非常に獰猛だ。自分より大柄な七十メートル級ガマスル、数で負けていた六十メートル級レッドフェイスの群れにも、自らの意思で挑むほどに。他にどんな怪獣を襲っていたか百合子は知らないが、大体似たようなものだと考えるのが自然。

 七十メートル超えの怪獣には通常兵器はほぼ通じない。六十メートル級でもかなりの苦戦を強いられる。ヤタガラスを倒せば、それらの怪獣が食われる事はなくなり、増え放題となるだろう。

 勿論ユミルがヤタガラスを倒せたなら、他の怪獣だって倒せる筈だ。しかし次の戦いは終わりなき闘争。数で攻めてくる怪獣達に、ユミル一体でどうにか出来るのか? いや、最悪ユミルがヤタガラスと相討ちになろうものなら……


「……悪い方に考えると、なんか、凄く間違った事をしている気がしてきます」


 先日はヤタガラスを倒せるかも知れないと『希望』を抱いたのに、今度はそれが『不安』になる。あまりにも振れ幅の大きい自分の心象の変化に、百合子は苦笑いを浮かべてしまう。


「人間の活動なんてそんなものよ。あとこう言うのも難だけど、怪獣情勢の悪化は私の勝手な予想。もしかしたら大した変化なんてないかも知れないわ。ニホンオオカミが絶滅しても、シカによって日本の山全てが禿山とはならなかったように」


 生態系は複雑だ。一つの種の絶滅が予想外の大打撃を与える事もあれば、目に見えた変化を起こさない時もある。複雑に関与し、変化していく関係を完全に予測する事など、今の人間には無理な話。

 結局、ヤタガラスを倒した後に世界がどうなるかは分からないという事だ。良くも、悪くも。


「ま、そんな心配をする前に、そもそもヤタガラスを倒せるのかどうかってのが問題だと思うけどね。負けたらユミルを失うだけよ」


「いやまぁ、そうなんですけどね」


 真綾が言うように、こんな心配はヤタガラスを倒せたならの話。現時点で言えるのは新兵器を使ったユミルなら普通の怪獣ぐらいは倒せるというだけだ。

 未来の事など分からない人間に出来るのは、より良くなると信じた行動を取る事だけ。そして真綾が話してくれたような危惧は、自衛隊だって科学者から聞いている筈。リスクを飲み込んだ上で、この選択をしたのだろう。

 そしてリスクを承知でヤタガラスを倒さねばならないほど、自衛隊は切羽詰まっている訳だ。なんとも絶望的な状況だが……やらねばならないというシチュエーションは、『後ろめたさ』を消すのに役立つ。どんな結果になろうとも、そうするしかなかったと言い訳出来るのだから。


「……うん。少しだけ気が楽になりました。ありがとうございます、真綾さん」


「楽になるねぇ。むしろ暗い話をしたぐらいだと思うんだけど……ま、私も正直ヤタガラスの討伐は成功してほしいわね。腸内細菌、羽根、身体能力の秘密。知りたい事は山ほどあるんだから」


 最悪の可能性を語りながらも、自分の研究を進めるために真綾は楽しげにヤタガラス討伐を願う。極めて自分の欲望に正直だ。

 そして百合子はそんな親友の楽しげな姿が好きだ。復讐のためとはいえ、生きる気力をまた取り戻した親友の事も大好きだ。

 ヤタガラス討伐作戦に協力する理由をしっかりと胸に刻んでから、百合子はコーヒーの残りを飲み干すのだった。

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