光の壁
「先日の戦闘で、ヤタガラスに関する秘密がかなり解明されたらしいわ」
とある公共食堂にて。今のご時世ではすっかり高級品となってしまったラーメンを食べながら、白衣姿の真綾がそのような話を切り出した。
真綾の奢りで同じくラーメンを食べていた私服姿の百合子と茜(茜は昨日退院したばかりだ。今日はそのお祝いも兼ねている)は、麺を摘んでいた箸の動きを止める。それからキョロキョロと、昼時故それなりに人で賑わう……高価なラーメンを食べているものはおらず、雑穀で作った粥ばかりだが……食堂内を見渡してから、二人揃ってずいっと身を乗り出してその話を始める。
ただし最初は、窘める形で。
「ちょっとちょっと。いきなりそんな話して良い訳?」
「ヤタガラスの情報って、機密とかじゃないんですか?」
「機密情報だったらこんな場所じゃ話さないわよ。別にヤタガラスの全てがトップシークレットなんて訳じゃない。生態機能ぐらいなら普通にネットでも公開されてるわよ」
まぁ、ネットを使えるぐらいインフラが整ってる人が稀だけど――――最後に一言そう付け加えて、真綾はラーメンを一口食べる。確かに百合子達一般人にとって、インターネット環境はかなり縁遠いものになってしまった。コストを問わなければスマホ端末の部品は日本で作れるが、材料の『原料』ともなるとやはり輸入に頼り気味であるため、ヤタガラス達怪獣の出現以来価格が高騰している。百合子も今使っている携帯端末は、通話とメッセージ機能しかない極めて単純な(その分頑丈で省エネと良いところも多い)代物だ。ネットで公開されている情報なんて知る由もない。
真綾は立場上、そうしたものに触れるのが容易だ。こんなところからも、自分達と親友の経済的な『格差』を百合子は思い知る。尤も百合子や茜は、そこに嫉妬するようなタイプではないのだが。
「なら良いですけど……いや、良くないか。茜さんは先日大変な目に遭ってるんですから、もう少し配慮してですね」
それよりも百合子が言いたいのは、ヤタガラスとの戦いで心に傷を負った茜への配慮。ヤタガラスを思い起こすような事を言わないでほしいものだ。
「何よ、別に平気じゃないの? 自衛隊から『再打診』された話、受けたって聞いたわよ」
されど真綾は、この問題と顛末についても把握しているようで。
真綾の言う通りだ。茜は自衛隊からの再打診……ヤタガラスと戦うようユミルを説得するという作戦に合意した。
正確には、ユミルの気持ちを確かめた上での説得だ。ユミルがヤタガラスと戦いたくないなら、無理強いはしない。そしてその時は茜も、姉の仇を取るのは諦めるという。
だけどもしもユミルがヤタガラスにもう一度挑むなら、茜はその手伝いをしたいと語っていた。
彼女はまだ諦めていないのだ。姉の仇を討ち取り、復讐を果たす事を。百合子としては、もう親友に危険な目に遭ってほしくないのが本音だが……親友のしたい事を、激情を、引き止めるのもしたくない。
だから百合子に出来るのは、ふてくされるように頬を膨らませるのが精々。
「……うん。私は大丈夫だよ」
そして当の茜は、気丈に振る舞う。
茜本人が大丈夫と言うのだから、今更百合子が何か言える事もない。真綾はこくりと頷き、ちゅるりと麺を啜ってから、話の本題に入る。
「そもそも、自衛隊は何故ヤタガラス討伐作戦を始めたと思う?」
「え? それは、ヤタガラスを倒せると考えたから……?」
「その通り。だけど実際には倒せなかったどころか、部隊は呆気なく壊滅。何故だと思う?」
疑問を呈する形で問われたので、百合子は麺を啜りながら考えてみる。
言われてみれば、奇妙な話だ。自衛隊というのは自殺志願者の集団ではない。勝てない勝負に突っ込んで、戦力を大幅に減らすなんて間抜けはまずするまい。ましてや此度の作戦は民間人を招集してまでして戦力を補充している。失敗時の批判、権威の失墜は相当のものになる事は容易に想像出来た筈だ。ならば少なくとも、自衛隊としては勝算を見出していた作戦だったと言える。
ところがその勝算はあえなく潰え、敗走を余儀なくされた。
これを「自衛隊が馬鹿だから」で片付ける人間は、その馬鹿な自衛隊と同じ失敗をするだろう。失敗には原因がある。自衛隊が勝てない勝負に挑んだのには、勝てると誤認する何かがあったと考えるべきだ。馬鹿かどうかは、その原因を知らないうちに語れるものではない。
無論、一般人に過ぎない百合子や茜が自衛隊の内部事情なんて知る訳もなし。真綾の問いには分からないと答えるしかない。真綾もその答えは予想していたようで、すぐに話の続きをしてくれた。
「実はね、ヤタガラスは物理攻撃に弱い可能性があったのよ。そういう研究データが上がっていた訳」
「え? そうなのですか?」
「例えばバンカーバスター……核シェルターをぶち抜くための爆弾だけど、米軍がこれを寝ているヤタガラスにぶち込んだ時があったんだけど、この攻撃はそれなりにダメージを与えたらしいわ。まぁ、羽根一枚落とさなかったし、その後米空軍はボッコボコにされたけど」
「駄目じゃんそれ」
「あと、怪獣による攻撃。これもそこそこ通じているみたいだったわ。九十メートル級の一撃でようやくって感じだけどね」
他にも……等々「物理攻撃が有用」と言うデータを真綾は語っていく。その話の真偽などは百合子にはよく分からないが、真綾がソースとして挙げたものだ。一旦は正しいものとして信じる。
強いて百合子も見たものがあるとすれば、四年前に目の当たりにしたレッドフェイスとの戦いか。あの時のヤタガラスは、最も大きなレッドフェイスの攻撃にはそれなりによろめいていた。核攻撃にも耐える身体が巨大生物の拳程度で怯むというのは、成程、よくよく考えれば奇妙な話だろう。
「これらのデータから、自衛隊は新兵器を開発したの。巨大な刀剣状の兵器。それでヤタガラスの身体を切り裂くって訳ね」
「あ、その新兵器なら私も見たよ」
真綾の説明に茜がそう答える。輸送部隊だった百合子もちょっとだけ見た、あの謎車両の事だろう。剣のような見た目と思っていたが、本当に剣のように使っていたらしい。
しかしながら、その作戦は失敗した訳で。
「でも、新兵器は通じなかった訳ですよね? テストとかしてなかったのでしょうか」
「あら、テストはしたんでしょ。この前の作戦で」
「……私らは捨て駒という訳ですか」
悪態混じりに吐いた言葉に、真綾は「多分ね」と同意する。
私達の命をなんだと思っているんだと、正直百合子としてはかなり嫌悪感が湧き上がった。しかしながら『現実的』に考えた場合、なんらかの形での試験運用が必要だ。そして試験とはいえ実戦での効果を確かめるにはそれなりの規模の作戦展開が必要で、そのために訓練を積んだ自衛隊員を使うのは勿体ない。
先の戦いは勝てれば勿論それで良いが、負けても後に活かすつもりではあった。無駄に命を賭けた訳でないと分かれば……戦いを生き延びた百合子としては納得こそ出来ないが、口を閉ざすぐらいには我慢出来た。
「それで? テスト結果は?」
むしろ肝心なのは、茜が尋ねたように何かを得られたのかどうか。ここで何も得られなければ、それこそ先の戦いで死んだ人々は犬死となってしまう。
「結論から言えば、新兵器の効果は殆どなかったわ。計算結果に反してね」
「……計算結果通りなら、上手くいったと。なんで計算と違う結果になったのさ」
「実は先の作戦には、もう一つ調べたい事があったのよ。ヤタガラスの防御力に関して、ある論文が海外から出ていてね」
「論文?」
首を傾げる百合子と茜に、真綾は淡々とした口調で話す。
曰く、論文によるとヤタガラスの身体を覆う羽根は、奇妙な光沢を放っている。
光沢というのは、端的に言えば光の乱反射だ。そして光の反射は、構造や位置が変化しなければ同じものが返ってくる。つまり観測者と対象、それと光源が止まっていれば、光沢は一枚の絵のように何時までも変化がないのだが……ところがどうした事か、ヤタガラスの身体の光沢は、まるで水に溶け出す絵の具のように常時揺らめく。そんな事は本来ならばあり得ない。
更にもう一つ奇妙な点がある。ヤタガラスの羽根には、殆ど熱反応がないという。昼でも夜でも、真夏の直射日光下でも外気温と全く変わらない。
これは明らかにおかしい。そもそも黒さとは何かといえば、それは外から降り注いだ光エネルギーの反射がないという事だ。黒さの指標に『吸収率』を使うのはそうした理由である。しかし吸収した光エネルギーは、別に何処かに消えてしまう訳ではない。エネルギー保存の法則に従い、ちゃんとこの世に残り続けている。ただし、光とは違う形に変化しているが。
具体的には熱だ。黒いものを日差しの下に出すと熱くなるのは、吸収した光が熱エネルギーに変化した結果である。ヤタガラスへの羽根は奇妙な虹色の光沢こそあるが、色としては黒一色。光エネルギーを取り込んでいるからこそその色であり、ならば昼間は表面温度が上がるのが自然。
ところがどうした事か、ヤタガラスの羽根からは放熱が殆ど観測出来ない。研究者達は四年間、様々な観測を行った。だがどの観測でも熱の放射は検知出来ない。そうなると当然、エネルギーの放射はないという事になってしまう。エネルギー保存の法則によってそれはあり得ない筈だ。取り込んだエネルギーが消える事はないのだから。
しかしそれこそが思い込みだったのではないかと、一人の若い科学者が気付いた。柔軟な脳の持ち主であるその科学者は、発想を逆転させてみたのだ。
熱の放射が観測出来ない理由は、光エネルギーが羽根の中に留まり続けているのが原因ではないかと。
「じゃあ、溜め込んだエネルギーは何処にいったのか? 植物よろしく基礎代謝を賄うためじゃないのは確か。だってアイツ、物凄い量の怪獣を食べているんだもの」
「……あ! まさかレーザーって……」
「それも使い道の一つと考えられているわね」
レーザーとは即ち大出力の光エネルギー。羽根で吸収した光を束ねて吐き出せば、強力な攻撃となる。
無論それを成し遂げるためには、とんでもなく高度な機構が必要だろう。具体的な説明が付いたものの、それはヤタガラスの非常識さを浮かび上がらせるだけ。人間が勝てるとは到底思えない。
それに百合子は、レーザーは使い道の一つという答え方をした。つまり他の使い方があるのだ……間違いなく、話の本題である『ヤタガラスの防御力』に関わる形で。
「もう一つの使い道。これは論文内でも完全に憶測と書かれていたけど、ヤタガラスは光子フィールドを展開している可能性があるわ」
光子フィールド。如何にもSF映画に出てきそうな名前に、百合子と茜は互いに顔を見合わせる。
実際これは論文中に出てきた造語だ。曰く、高密度の光の素粒子、光子を充填する事で物理的強度を得るというもの。光子はヤタガラスの羽根の表面で膜のように展開されており、熱や光などを遮断……正確には受け流すとの事だが……してしまうという。
ヤタガラスに何故核攻撃が通じないのかは、未だ解き明かされていない。中心温度が数億度に達する核の炎に耐えられる物質など、この世に存在しないからだ。しかしこの光子フィールドの存在を仮定すれば、説明が付く。核爆発により生じた『光』がヤタガラスの防御力を強めてしまったのだ。しかも理屈の上では光が強ければ強いほど防御力が増すのだから、核出力をどれほど上げたところでヤタガラスの守りは突破出来ない。眼球など羽根に覆われていない柔らかな場所に通常兵器が通じないのも、光子フィールドの薄い膜があるのだと予想される。
「勿論、ここまでなら『こういう原理なら説明が付く』ってだけの話よ。証拠は何もないし、生物がシールドを張るなんて誰もが否定していた。でも」
「貫ける筈の新兵器が全く通じなかった」
茜が話の続きを予想すれば、真綾は「そういう事よ」と答える。
「後はユミルとの戦いでの記録ね。自衛隊の方で撮影していた動画があるんだけど、実に興味深かったわ」
「……ユミルの事助けないで、撮影なんてしてたんだ」
「ま、助けるだけの余裕もなかったでしょうけどね。アレ、ユミルが勝手にやってきて、勝手に暴れたってのが実情みたいだし」
真綾が呆れたように語り、事情を知っている百合子はちょっと苦笑い。若気の至りとはよく言ったものであるが、彼のお陰で助かったようなもの。それを嗜めるというのは、少々居心地の悪い事だ。
話が逸れかけたところで、真綾は咳払い一つ。話を元に戻す。
「兎も角、自衛隊が撮影した動画で、ヤタガラスの撃とうとしたレーザーが不発で終わった時があったのよ」
「え。あのレーザーが不発に?」
「そう。それからヤタガラスは西の空を見て、太陽が沈んだ事を確認していた。挙句ヤタガラスはユミルに止めを刺さず、飛んでいった……ここから一つ、言える事がある」
「えっと、ヤタガラスは太陽の光がないと、レーザーが撃てないという事でしょうか……?」
思い返せば四年前、無数のレッドフェイス達と戦っていたヤタガラスも、日の出まではレーザーを撃とうとしなかった。あの時は必殺技だから使うタイミングを見定めていたのかと思っていたが、先日の作戦で人間相手にバカスカ撃ち込んでいた事を思えば事実は異なる。
単純にエネルギー源である光がないから撃てなかった。そう考えるのが自然なのだ。
「以上の理由から、ヤタガラスが光子フィールドを纏っているという論文は有力なものとなりつつある。本当は羽根の一枚でも手に入れば良いんだけど、アイツ、全然羽根が生え変わらないのよねぇ」
肩を竦めながら話を纏めると、真綾はラーメンをまた啜る。麺が伸びてきた百合子と茜の分と違い、真綾の方はもう殆ど食べきっていた。
伸びてきた麺を啜りながら、百合子は考える。
正直、百合子には未だ信じられない。生物がフィールドだかシールドだかを張るなんて、いくらなんでも滅茶苦茶だ。自然な存在だとはとても思えない。
しかしながら相手は最強の怪獣ヤタガラス。あらゆる怪獣を踏み潰し、蹂躙してきた正真正銘の大怪獣。今更常識だの自然だのを例に挙げる事のなんと虚しい事か。現実に通じていないのだから、それを否定するのはただの願望だ。
問題を解決するには、まずは現状を受け入れる事が肝心。そして現状さえ受け入れれば、存外解決策というのは見付けられるものなのである。
「……もし本当に光子フィールドとかいうものがあるのなら、昼間に戦うのは自殺行為ですね」
「そうね。わざわざ相手の得意な時間帯で勝負してやる必要はないわよね」
「それにいくら夜でも、核兵器なんて使えない」
「言うまでもないわね。光が駄目だって話なんだから、それをやるのはただの間抜け。出来れば普通の爆弾も遠慮したいところ」
おさらいをするように百合子、そして茜が語れば、真綾はそれを肯定していく。
使える攻撃は光を発しない物理が基本。それも生半可なパワーでは駄目だ。そして夜間でも自由に動かせる機動力を持ち、ヤタガラスの攻撃を受けても簡単にはやられない耐久力が必要だろう。
即ち――――
「夜に怪獣対決に持ち込む。そしてその怪獣に、ユミルを使いたい……と」
自衛隊の『目論見』に辿り着いた茜は、大きなため息を一つ吐いた。
「だから私に説得を頼んだ訳か。唯一人間と友好的な怪獣を確実に仲間とするために」
「そーいう事ね。まぁ、悪い話ではないと思うわよ。ヤタガラスを倒したからといって、協力的なユミルを始末しようなんて奴はそういないでしょうし」
真綾の語り口は穏やか。それは事態がどう転んでも構わないという気持ちの現れか、はたまた茜の悩みを少しでも和らげようと考えての事か。
果たしてその言葉は、茜にとってどれだけ励みとなったのか。複雑な感情を滲ませるその顔を見る限り、あまり効果はなかったのだろう。
けれども茜が何かを言う事はなく、残りのラーメンのスープを、言葉を押し流すように飲み込むだけだった。
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