巨人と怪鳥
二本の腕が、ヤタガラスの喉を締めるように巻き付く。太い足も胴体を抱え込み、動きの拘束を狙っていた。
ヤタガラス越しの姿故に、全身が見えている訳ではない。しかし百合子は、『彼』がそこにいるのが分かった。何故? どうして? 疑問は幾つも浮かんでくるが、それはこの際どうでも良い。
大事なのは彼――――ユミルがこの場に現れ、そしてヤタガラスに攻撃を仕掛けた事だ。
【オマエ! アカネ、イジメタ! ユルサナイ! ユルサナイ!】
ユミルは大声で吼えながら、ヤタガラスの首を更に締めていく。野生の闘争心を剥き出しにした敵意は、純粋な殺意へと昇華。窒息によりヤタガラスの命を奪おうとしていた。
だが、ヤタガラスは違う。
ヤタガラスはキョトンとしていた。突然の奇襲攻撃を喰らいながら、奴はなんのダメージも受けていない。首を締められても苦しそうにはせず、むしろ首を少し回して、背後に立つユミルをじっと見るだけ。
大きく翼を広げたヤタガラスは軽く跳躍するや、翼を羽ばたかせて空中でくるりと一回転。
その遠心力だけで、ユミルは呆気なく振り解かれてしまった。とはいえそれはユミルが非力なのではない。巨大なユミルの身体を乗せたまま、なんの苦もなく飛び上がったヤタガラスの力が異常なのだ。
【グァッ……ヌウウゥッ!】
吹き飛ばされたユミルは燃え盛る森の上を転がり、やがて山の斜面に叩き付けられた。が、すぐに立ち上がる。炎の上を通ったが、やはり怪獣の身体は頑丈らしく、ユミルの身体には焦げ目一つ付いていない。
起き上がったユミルは強靭な脚力で大地を蹴り、人間よりも素早いと思える『動作』でヤタガラスへと接近する。激しい怒りと敵意を露わにしながら。
【……ガァッ】
だが、ヤタガラスに危機感を抱かせる事すら出来ない。
短く鳴いた後、ヤタガラスは足を前へと突き出すようにしてユミルを蹴る。駆け抜けていたユミルはその蹴りに対し腕を交差させて受け止めようとしたが、ヤタガラスのパワーの方が圧倒的に上。ユミルはまたしても蹴散らされ、土煙と木々の破片を撒き散らしながら大地を転がる。
【グ、アアアアアアッ!】
そうして転がりながらも、ユミルは反撃として掴んだ土を投げ付ける。その土は、果たして狙ったものか百合子には分からないものの、ヤタガラスの顔面に命中した。
人類が繰り出した兵器でも傷一つ付かないヤタガラスであるが、『目潰し』には顔を顰める。痛がった様子はないのでダメージはない様子が、視界を塞がられる事は鬱陶しいのだろう。その顔には明らかな苛立ちが募っていた。
再び立ち上がったユミルがまた土塊を投げ付け、それが顔面に当たった瞬間――――ヤタガラスは怒りを爆発させる。
【グガアアアアアァァァッ!】
咆哮を上げながら、ヤタガラスは片翼を大きく振るう。
ただそれだけの動きで周辺にある森、いや、山そのものが震えるほどの爆風が引き起こされた。風は木々を木の葉のように舞い上がらせ、戦車の残骸も纏めて飛ばしていく。
そして風が向かう先にいるのはユミル。
ユミル目掛けて、無数の『ゴミ』が襲い掛かる! ユミルもまた『怪獣』であり、これまで人間に攻撃された事こそないが……大きさから推測するに、通常兵器程度ならば耐えられる頑丈さがある筈だ。ただの暴風で飛ばされたゴミであれば、ダメージとなるほどの衝撃は受けまい。
されど此度の風はヤタガラスが生み出したもの。自然の限界を無視した爆風は、飛ばしたゴミに現代兵器以上の破壊力を宿す。しかも今まで辺りを照らしていた火災も爆風により消え、戦場が夕刻の薄暗さに閉ざされてしまう。『飛翔体』の姿は殆ど見えず、ユミルは金属や木々を避けるどころかろくに防ぐ事も出来ず。強烈な打撃を受けたその身は、大きく体勢を崩した。
そこをヤタガラスは見逃さない。
よろめくユミルに対し、ヤタガラスは悠然と接近。おもむろに足を前へと突き出して、ユミルを蹴飛ばして横転させてしまう。転倒したユミルはすぐに起き上がろうとするが、それを許すほどヤタガラスは甘くない。立とうとすれば脇腹を蹴り上げ、守ろうとすれば背中から踏み付ける。傍若無人な攻撃でユミルを追い詰めていく。
【グォ、オ、オグルァッ!】
ユミルも大人しくやられはしない。雄叫びを上げて身体に力を入れ、ヤタガラスが蹴り上げるよりも早く立ち上がる。次いでヤタガラスがユミルを蹴るために上げていた足にしがみつき、今度は自分が押し倒してやるとばかりに大地を蹴った。
されど、ヤタガラスは動かない。
片足立ちでいようとも、ヤタガラスはユミルの力を難なく受け止めたのだ。
【グガッ、ガッ、ガッ】
なんだお前それで全力かぁ? ――――そう言わんばかりの、軽薄な鳴き声をヤタガラスは出す。鳥類故に表情筋などない筈の顔も、心なしかユミルを小馬鹿にしているようだ。
形勢逆転のつもりが、何も変わっていない。ユミルは驚いたように目を見開き、歯を食い縛って渾身の力を出そうとする。しかしこれでもヤタガラスをよろめかせる事すら出来ない。まるで大人と子供の力比べのようだ。
それでもユミルが何時までも諦めずにいると、ヤタガラスの表情が変わる。嘲笑うものから、苛立ったものへ。最初は小馬鹿にしていた虫けらが段々鬱陶しくなってきたのかも知れない。
【……グガアァアッ!】
【ゴアッ!?】
一声鳴くのと共に繰り出した蹴りは、ユミルの身体を大きく跳ね上げた。何万トンあるかも分からない巨躯が地面に落ちれば、小さな時間を引き起こす。それでもまだ勢いは失われず、ユミルは再び地面を転がされてしまう。
結果的にヤタガラスから離れ、体勢を立て直すチャンスを得たユミル。だが今度は上手く立ち上がれない。今まで何度も蹴られていたが、此度の強さはかなりのものだったのか。或いはここまでの戦いで身体にダメージが蓄積しているのか。
今や老人のように動きが鈍いユミルだったが、ヤタガラスの頭に容赦の文字はなかった。
ヤタガラスは前に突き出すように、翼の先をユミルに差し向ける。その翼の先は、徐々に小さな発光を始めた。
ヤタガラスはレーザーを撃つつもりだ。ヤタガラスにとっては通常攻撃に過ぎないそれは、しかし体長六十メートル超えの巨大猿レッドフェイスを容易く貫通する威力がある。ユミルがどれだけ頑丈かは分からないが、これより繰り出される大出力レーザーに耐えられるとは思えない。
ユミルも嫌な予感がしたのだろう。わたわたとした動きで、立ち上がるのも後回しにして這いずるように逃げようとする。だが光の速度で放たれる攻撃の前では、どんな速さの逃走も無意味。
哀れ、ユミルは最強の怪獣の一撃で、あえなくその命を散らす……百合子はそう考えていた。
ところがである。
――――ぷすんっ。
ヤタガラスの翼から、なんとも間の抜けた音が鳴ったのだ。
なんだ? と百合子が思ったのも束の間、放っていた翼の先の光まで消えてしまう。さながらガスが切れたコンロのように。
【……ガァ?】
自分の翼の『異常』に、ヤタガラスは首を傾げる。今まで光っていた自分の翼の先を覗き込むという、割と危なっかしい事までやっていた。しかし不思議がっていたのは短い間だけ。
やがてヤタガラスは首を動かし、西の空を見つめる。
見つめるといってもそこには、少なくともこの戦いを遠目に見ているだけの百合子には、何もないように思えた。精々太陽が殆ど沈んで、微かな朱色が滲んでいるだけ。その朱色も、眺めているうちに消えてしまう。
太陽が完全に沈んで夜になると、どうした事か、ヤタガラスの身体から力が抜けた。身体自体が虹色に発光しているため、その様子はハッキリと見える。今までユミルに向けていた敵意も段々と薄れていた。
ヤタガラスの心境など、怪獣ですらない百合子に読めるものではないが……感じた雰囲気を一言で例えるなら、白けた、といったところか。
【……ガァッ】
そんな印象を裏付けるかの如く、ヤタガラスは大きく翼を広げると、大空に向けて飛び立ってしまう。
巨体が一瞬で天空に旅立つほどのパワーにより、暴風が周辺に吹き荒れた。けれども百合子の乗るトラックがひっくり返るほどではない、本当にただ強いだけの風。夜空に浮かんだ黒い身体はやがて見えなくなり、目視で行方を追い駆ける事は叶わない。
人間である百合子は、トラックの中でぼんやりとするばかり。何が起きたのか、どうしてヤタガラスの翼からレーザーが出なかったのか、どうしてこの場から飛び去ったのか……百合子には何がなんだか分からない。いや、果たしてこのどれか一つでも分かる人間がいるのだろうか? 科学者でもなんでもない、ましてや自分が天才だなんて一度も思った事がない百合子だが、そう思ってしまうぐらい頭がこんがらがっていた。
確かな事があるとすれば、ただ一つ。
【ゥ、ウゥ……】
呻きを漏らすほど痛めつけられながらも、ユミルが五体満足で、ヤタガラスとの戦いを生き延びた事ぐらいなものだった。
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